このクソみたいな時代で感情を取り戻すために世界と戦う
2017年、インディペンデント映画の登竜門として知られるサンダンス国際映画祭(ショートフィルム部門)にて『そうして私たちはプールに金魚を、』で日本映画初のグランプリを獲得した長久允監督。国内外で話題を呼んだ映像作家が満を持して長編デビューを果たした『ウィーアーリトルゾンビーズ』は、まさに“マコト・ナガヒサ”というおもちゃ箱をひっくり返したような、エモさ際立つ青春冒険活劇だ。
よく晴れたある日、火葬場で出会った3人の少年と1人の少女は、いずれも両親を突発的に亡くしたばかり。バス事故による事故死、ガス爆発での焼死、借金苦による自殺、果ては変質者による殺人と、不幸のオンパレードのような現実に周りの大人たちは涙を流して故人を偲ぶが、4人はまるで感情をなくしてしまったゾンビのように、その瞳からはただの一滴も涙をこぼすことはなかった。
夢も希望も未来もなくしてしまった小さなゾンビたちは、失った感情を取り戻すためゴミ捨て場の片隅に集まり、バンド<LITTLE ZOMBIES>を結成しセンセーショナルにデビュー。やがて彼らの活動は社会現象となり、大きな波紋を広げていく……。
映像の“圧”がハンパない! こだわり抜いた撮影に脱帽
両親を失った少年少女の物語と聞くと「お涙頂戴の感動ものか」と穿ってしまいそうだが、そう一筋縄にはいかないのが本作の困ってしまうところ(いい意味で)。ポップでカラフルなビジュアル、ちょっとふざけたようなデザイン、そして突き抜けた演出が湿っぽさを吹き飛ばし、日本映画、いや映画そのものの枠に収まらない不思議なアート作品に昇華させている。
とにかく映像の“圧”が半端なく、エグみギリギリの濃厚な編集、どうやって撮ったのか想像もできないトリップ感あふれるカメラワーク、詰め込まれた色とりどりのビジュアルには全く余白がなく、思わずめまいがしそうなほど。現実なのか妄想なのか、よからぬ世界に迷い込んでしまったかのような感覚は、寺山修司が率いたアングラ劇団『天井桟敷』を彷彿とさせる。この独特の映像を作り上げるために監督は、撮影前に全シーンの絵コンテを描き上げ、さらにスタッフで演じたビデオクリップまで作ってカメラアングルを決めたというからスゴい。
そんな映像に拍車をかけるのが、徹底的にこだわりぬいて作られた音楽だ。120分の映画のために90曲も要したという音楽の数々は、パンク~オペラまでをファミコン的な8bitサウンドで構築し、酩酊感をさらに押し上げている。特に、NY在住の日本人ユニット・LOVE SPREADと共作した劇中歌「WE ARE LITTLE ZOMBIES」は脳内リピート必至で、鑑賞後には思わず口ずさんでしまうことだろう。
長久監督の脳内エキスぶちまけ映像はエンドロールまで続く!?
長久監督の個性的なルックスや、スクリーン上で繰り広げられる圧倒的なビジュアルにばかり意識を持っていかれそうになるが、本作の根底に流れているのは「子どもが絶望しない映画が作りたい」というアツい想いだ。「人生ってクソゲーなのかな?」という問いかけに対し、シニカルなブラックユーモアたっぷりで提示される答えには、絶望を回避するヒントがちりばめられている。
映画という形でぶちまけられた“マコト・ナガヒサ”の脳内エキスは我々の想像をはるかに超えて、120分間の隅から隅までを埋め尽くし、観る者を全く飽きさせない。その余白のなさはエンドロール後も続くので、劇場が明るくなるまで席を立つのは厳禁だ。
『ウィーアーリトルゾンビーズ』は2019年6月14日(金)から公開