かつてインドを恐怖させた「デリーのモンキーマン」
キッドが暮らすヤタナには、もう1人の「モンキーマン」が存在する。その正体は、金を稼ぐために猿顔のマスクを被って、地下格闘技の試合で「噛ませ犬(殴られ役)」となって闘うキッド自身だ。
当初は互角に闘ってみせるが、最後にはコテンパンにやられて、毎度リングの外へと蹴落とされるモンキーマン。――日本版チラシにも写真が使われている、この黒い毛の猿マスクは、遠い記憶を呼び起こす。2001年に話題になったUMA(未確認生物)、“デリーのモンキーマン”だ。
英語版ウィキペディアでは「Monkey-man of Delhi」という項目も立っているのだが、全身黒い毛に覆われた身長120センチほどの猿のような生き物が、ニューデリーに出没して大騒ぎになったのは2001年5月頃。何件か目撃情報があり、それをもとに警察で描かれたスケッチがこのWikiに載っているものだ。
本作でキッドが被っていた黒い毛のマスクとは少々感じが違う(むしろモンチッチに似ている)し、デヴ・パテルも“デリーのモンキーマン”に関してはインタビューなどでも言及していないので、アイディアの出どころは違うかと思うが、この出来事を基に作られたヒンディー語映画『デリー6』(2009年)なども思い出してしまう。
主人公を助ける「ヒジュラ」の人々、伝説的タブラ奏者の存在
※映画の内容に一部触れています。
「噛ませ犬」のキッドが、黒い毛の猿マスクから白い毛の猿マスクに変えた時、彼の復讐が本格化する。そしてその復讐を助けるのが「ヒジュラ」のコミュニティの人々、というところも、デヴ・パテルの優れた選択眼を感じさせる。
タミル語映画の巨匠マニラトナム監督が、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の衝突事件を描いた『ボンベイ』(1995年)の中で、主人公夫婦(夫はヒンドゥー、妻はムスリム)の双子の子供を助ける人物にヒジュラを選んだように、ヒジュラは時として境界や対立を超える人物として設定される。
そのヒジュラのコミュニティにいるのが、タブラ奏者ザーキル・フセインであるのには驚かされた。日本で言えば、先年亡くなった小澤征爾のようなマエストロ的存在で、父親のアッラー・ラカーがシタール奏者ラヴィ・シャンカルのタブラ奏者であったことから、ラヴィ・シャンカルとのセッションも多い。
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— Culture Explorer (@CultureExploreX) February 7, 2024
この名タブラ奏者の奏でる素晴らしい音に乗って、キッドがカンフーの練習をしながらその技を覚醒させていくシーンは、本作最高のシーンと言っていい。
なぜインドでの劇場公開が“棚上げ”されているのか?
本作に出演するインド人俳優たちも、マニラトナム監督作『PS1 黄金の河』(2022年)&『PS2 大いなる船出』(2023年)のショビタ・ドゥリパラがホステスのシータ役、個性派でコメディ演技に優れるピトバッシュがキッドの相棒となるアルフォンソ役、そしてラナ警部役は名優アヌパム・ケールとキラン・ケールの息子シカンダル・ケールと、個性的な面々を揃えてある。見応えは十分だ。
惜しむらくは、本作がインドでは劇場公開が実現せず、配信だけになったことである。当初予定されていた4月19日の公開に間に合うよう、中央映画検定局に申請を提出したのだが、検定局では検定委員たちに見せる試写を開催しないままになっているという。「暴力シーンが過激だったからだ」と言う人もいるが、それなら該当シーンのカット等を命じればいいわけで、試写すらやらないというのは異例である。何が当局をおびえさせたのか――ぜひご自分の目で確かめてもらいたい。
ジョーダン・ピールら勢いのあるハリウッド映画人が協力したこともあるのだろうが、デヴ・パテルの堂々たる監督デビュー作である。次作が楽しみな監督が、また1人誕生した。
文:松岡 環
『モンキーマン』は2024年8月23日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
『モンキーマン』
幼い頃に母を殺され、人生の全てを奪われた〈キッド〉は、夜な夜な開催される闇のファイトクラブで猿のマスクを被り、〈モンキーマン〉を名乗る“殴られ屋”として生計を立てていた。
どん底で苦しみながら生きてきた彼だったが、自分から全てを奪ったヤツらのアジトに潜入する方法を偶然にも見つける――。
何年も押し殺してきた怒りを爆発させたキッドの目的はただ一つ「ヤツらを殺す」。
【復讐の化神〈モンキーマン〉】となった彼の、人生をかけた壮絶なる復讐劇が幕を開ける!
監督・脚本・主演:デヴ・パテル
プロデューサー:ジョーダン・ピール(『ゲット・アウト』『NOPE/ノープ』)、バジル・イワニク(『ジョン・ウィック』シリーズ)、エリカ・リー(『ジョン・ウィック』シリーズ)
制作年: | 2024 |
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2024年8月23日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開