黒澤明と映画を作ろうとしたイタリアの映画青年
日本から仲代達矢が単身イタリアへ渡って悪役を演じたことで知られる『野獣暁に死す』は、セリフや説明が最小限に削り取られ、大物スターも派手な爆発も下手なギャグもない、まるで無駄なぜい肉をそぎ取った短距離アスリートのようなシンプルこの上ない復讐マカロニ・ウエスタンだ。1968年11月には日本語吹替版で、加山雄三・浅丘ルリ子主演の東宝映画『狙撃』と二本立て公開された。
あらすじはといえば、「5年の刑を終えたビル・カイオワ(モンゴメリー・フォード)が4人の腕利きガンマンを集めて無法者集団のボス・フェゴー(仲代達矢)を追う。フェゴーはビルの妻を殺したうえ駅馬車強盗の罪を着せた宿敵だった……」以上だ。
原題は「今日は俺、明日はお前だ!」と、復讐を誓う男の決意がみなぎっているが、邦題はおそらく仲代の出世作でもある傑作ハードボイルド『野獣死すべし』(1959年)から連想したものだろう。が、それだけではない。『野獣暁に死す』は、黒澤明監督の時代劇『用心棒』(1961年)をリメイクした『荒野の用心棒』(1964年)によってイタリア西部劇が世界的にブレイクしたことをよく理解していた、あるイタリア映画人による“日本愛”にあふれた作品でもある。
監督トニーノ・チェルヴィはもともとプロデューサーとして、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティが監督したオムニバス映画『ボッカチオ’70』(1962年)やミケランジェロ・アントニオーニの『赤い砂漠』(1964年)など、芸術性の高い映画を製作していた映画青年だった。1966年には突如来日して、次は黒澤明、フェリーニ、ヴィスコンティによるオムニバスを作ると記者会見まで開いている。ところが、さすがにイタリアでも芸術映画では製作費が集まらなかったようで、とりあえずオムニバス企画は棚上げにし、当時世界的大ブームだったマカロニ・ウエスタンを自分で作ることにしたらしい。
そこで思いついたのが、仲代達矢の起用だ。仲代は、マカロニ・ウエスタン誕生のきっかけともいえる黒澤の『用心棒』で、着流しにマフラー姿で拳銃をぶっ放すニヒルな悪役を演じていたし、日本でチェルヴィは東宝映画『大菩薩峠』(1966年)のイタリア配給権を獲得していた。仲代がすさまじいばかりの迫力で斬って斬って斬りまくる、岡本喜八監督の大殺戮時代劇だ。
仲代達矢への多大なる敬意を込めた実名クレジット
ファーストクラスのエアチケットを渡された仲代は、まだ脚本すらできていない段階でローマへ飛んだ。高級ホテルに滞在して送り迎えは高級車。日本では考えられないような厚遇ぶりで、半月間の乗馬と射撃訓練も受けたという(本人談)。
その間に監督と共に脚本を書いていたのは、当時、若手の映画評論家だったダリオ・アルジェントだ。後に『サスペリア』(1977年)でイタリアン・ホラーの巨匠となるアルジェントは、このころセルジオ・レオーネの『ウエスタン』(1968年)や、『地獄の戦場コマンドス』(1968年)など娯楽作品の脚本を書きまくっていたのだが、『野獣暁に死す』で主人公が仲間を集めていく前半などは、ほとんど黒澤の『七人の侍』(1954年)を参考にしたとしか思えない(仲代もチョイ役で『七人の侍』に出演していた)。
当初はスペイン・ロケの予定もあったようだが、予算不足ですべてイタリア国内で撮影され、クライマックスは荒野ではなく、ローマ北西のマンツィアーナ地区の森の中。仲代はマチェーテ(大きなナタ)を懐から取り出して振り回す。森の中といえば、やはり黒澤明の『羅生門』(1950年)だ。『羅生門』がグランプリ(金獅子賞)を受賞して世界に日本映画と黒澤の実力を知らしめたのは、どこあろう、イタリアのヴェネチア国際映画祭だった。
そしてなにより凄いのが、仲代の名が「Tatsuya Nakadai」とクレジットされていることだ(順番的には主要登場人物の最後、日本映画でいえば「トメ」の位置)。なにが凄いって? 説明しよう。この作品の主人公ビルを演じる主演俳優はモンゴメリー・フォードだが、彼はそもそも「ブレット・ハルゼイ」の名でハリウッド映画『蝿男の逆襲』(1959年:劇場未公開)などに出演しゴールデン・グローブ賞有望新人賞を受賞していた正真正銘のアメリカ人俳優だ。マカロニ・ウエスタンでは、“アメリカ映画を装う”ためにアメリカ人風の別名がつけられてきた。ジュリアーノ・ジェンマは最初「モンゴメリー・ウッド」だったし、バッド・スペンサーの本名はカルロ・ペデルソーリだし、セルジオ・レオーネですら『荒野の用心棒』ではボブ・ロバートソンだった。
しかし、トニーノ・チェルヴィはアメリカから連れてきたアメリカ人俳優ブレット・ハルゼイに、わざわざ「モンゴメリー・フォード」(ジェンマの芸名とジョン・フォードを組み合わせたようだ)を名乗らせ、その一方で、日本人・仲代達矢を「本名」でクレジットしたのだ。まさに仲代への多大なる敬意が感じられる処遇ではないか。タイトルバック場面で「モンゴメリー・フォード」は冬の荒野を馬で駆けて行く。途中、コートを羽織り、「マフラー」を首に巻く。ここでも『用心棒』の仲代達矢が参考にされている。
仲代は、前半まったく口をきかず、不気味な強盗団のボスをケレン味たっぷりに演じて見せる。途中からさすがにセリフをしゃべるが、現場では日本語で演じ、マカロニ・ウエスタン流にすべて吹替えられたそうだ。パーカッションを利かせた音楽もどこか東洋風だし、最後の決斗で「フォード」と仲代が静かに向かい合う“間”は、『椿三十郎』(1961年)のクライマックスを意識しているとしか思えない。
日本愛が炸裂! もう一人の日本人キャストがいた
トニーノ・チェルヴィの日本愛は止まらない。実は、『野獣暁に死す』にはもうひとり日本人が参加している。彼の名はヒロシ・ナカエマ。中東でイスラム文化を学んでいたが、ヒッチハイクでヨーロッパへ移り、ローマでアルバイトとして誘われたのが、この作品でのスタントマンの仕事だったという(本人談)。スタントマンといっても、特に吹替が必要な場面もなさそうだし、それよりもインディアンに似た東洋人のルックスが必要とされたのではないだろうか。
仲代達矢演じるフェゴー(明確にはされないがメキシコ人と白人の混血らしく、名はジェームズ)が率いる駅馬車強盗集団にはコマンチと呼ばれるインディアンが何人もいる。その中で、最後まで生き残るがバッド・スペンサーに捕まえられてハチの巣のように撃たれる長髪・ヒゲ面の男がヒロシ・ナカエマだと思われる(クレジットもないため確認のしようがないが、どことなく日本人風に見える)。ナカエマは、翌年にもアンソニー・ステファン主演のマカロニ・ウエスタン『十字架の長い列』(1969年)で最後に殺されるメキシコ人役を熱演(この時の撮影の様子は日本の週刊誌のグラビア記事になった)しているが、その後はパリで画家として活躍、なぜかボンドガールのオルガ・キュリレンコと仲が良いとのことだったが……その後の消息は不明だ(ご存知の方はご連絡ください)。
トニーノ・チェルヴィは、その後も『火の森』(1970年)はじめ10作ほど監督作を世に出したが、ほとんどがエロティックものだった。フェリーニやヴィスコンティ、黒澤明とも映画を作る機会はないまま、2003年に世を去った。
文:セルジオ石熊
「特集:24時間 ウエスタン」はCS映画専門チャンネル ムービープラスにて2019年6月放送
『野獣暁に死す』
模範囚として釈放されたビル・カイオワは、恋人を殺して自分に無実の罪を着せた仇、エル・フェゴーを捜す旅に出る。ビルの幼馴染みだったフェゴーは、今では残虐非道な強盗団のボス。ビルは強盗団と対決するため、銃の名手ミルトンら、名うての男4人を雇い、フェゴーの手下を次々と倒していく。
制作年: | 1968 |
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