“七人もの”には常に侍の影
『七人の侍』(1954年)も『荒野の七人』(1960年)も私はテレビ、しかもハイビジョン前の、今から思えばボヨヨーンとした画面でしか観たことがなかった。ただ、怪獣映画が何より好きな子供だった私が「もう、黒澤、ヤベーぞ」と言えるほど感動した記憶もない。何しろ小学生には長すぎた。207分だもん。インド映画なみ。
本当に頭をかち割られるような衝撃を受けたのは、2016年に4Kデジタルリマスター版を大スクリーンで見せられた時。あれはなんというか、“鑑賞した”というよりも“体験”。全てが新しく、オリジナルで、リアルで、暴力的なほどの監督の執念に熱が出た。
しばらくは会う友人に「黒澤の『七人の侍』、ヤベーぞ」と当たり前のことを言って回ったが、シネフィルの友人たちは当たり前だと思っていたわけで、思い出すたびに恥ずかしくて、布団から出たくなくなる。
1954年に公開された『七人の侍』は世界中を震わせて、監督、俳優、大人、子どもが「こういう映画を作ろう」と思ってしまった。思った結果“七人もの”があちこちで作られるようになり、今でも「こりゃあそこからのパクリだろう」というものが出てくるから、1本の超越した映画は一つの文化を作るのだと再認識する。
ちなみに黒澤は1本としてリメイクの許可を出してはいないので、あれはみんなパクリかというとそうでもなくて、東宝が許諾しているので「仕方ない」ということになる。本人は怒っていたらしいが、ある意味、黒澤の凄さが伝播していったということなので、良きこととしていただきたい。
2つの「マグニフィセント・セブン」
マグニフィセント・セブンは『荒野の七人』であり、『マグニフィセント・セブン』(2016年)である。どちらも原題は同じ「The Magnificent Seven」だもん。『荒野の七人』、面白かったね。なにしろほぼ全編黒澤のストーリー通りだもん。刀、竹槍を銃に替えただけ。ほとんどの登場人物の設定までこだわって真似してるし、最後の侍大将のセリフまでそのまんまなんだから、あっぱれと言ってもいい。面白くしなかったら、黒澤が許さんかったですよ。許してないけど。
しかし、一発当てると続編なのかそうでないのか、様々な作品が作られる。
だから、一新する必要があった。人心一新、改元と同じだが、換骨奪胎して出直さねばならない。そのためには真似してはいけない。クリエイティブとは飛躍だ。ジャンプが必要なのだ。もう、ありえない設定にしよう。『七人の侍』だってフィクションだったのだから、フィクションを超えていけ。そんな覚悟があったのではなかろうか。
日本で2017年に公開された『マグニフィセント・セブン』は『七人の侍』ではなく、『荒野の七人』のリメイクとして作られた。この世界のことではなく、パラレルワールドの出来事である。
『荒野の七人』はメキシコが舞台だったが、こっちはアメリカでの設定。南北戦争で戦った北軍の黒人(デンゼル・ワシントン)が大将となり、底辺から這い上がってきた中国人(イ・ビョンホン)がナイフを投げる。矢の名手、ネイティブアメリカンも七人の一人である。村長にあたる役を演じるのが女性で、彼女も戦闘に参加する。
冷静に考えれば南北戦争後であっても、そんな集団が悪者どもを退治するという状況は極めて考えにくい、というか、ありえない。そこで成功した。
『荒野の七人』が『アベンジャーズ/エンドゲーム』のように蘇った。蛇足だけど『エンドゲーム』も人数は違うものの『七人の侍』っぽいよね。違う? 間違ってたらごめんなさい。
役者は『荒野の七人』クラスを集めた。テンポがいい。ナイフ、矢に対抗して、荒くれ集団が持ち出す卑怯な武器も意表をつく。こういう気楽だけど、しっかり根のある作品を見直すのもいいですね。ちなみに『七人の侍』もリマスター版がブルーレイで観られますから、そちらも合わせてご鑑賞ください。
文:大倉信一郎
「特集:24時間 ウエスタン」はCS映画専門チャンネル ムービープラスにて2019年6月放送
『マグニフィセント・セブン』
暴虐の限りを尽くす悪漢によって牛耳られたとある町。家族を殺されたエマは、賞金稼ぎ、ギャンブラーら、ワケありのアウトロー7人に復讐を依頼する。最初は金目当てだった即席のプロフェッショナル集団は、圧倒的な数と武器を誇る敵を前に、命懸けの闘いに挑んでゆく。
制作年: | 2016 |
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監督: | |
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