13年ぶりにアメリカ作品がパルム・ドールを受賞
第77回カンヌ国際映画祭が閉幕した。
パルム・ドールはアメリカのショーン・ベイカー監督による『ANORA(原題)』。ブルックリンに住む23歳のセックス・ワーカーの物語である。ANORAというのは彼女の本名。自分ではアニーと名乗っている。祖母はロシアからの移民なのでアニーはいくらかロシア語を話すことができるが、それがきっかけで思いがけない騒動に巻き込まれていく……。
アメリカ作品がパルム・ドールを獲得するのは2011年の『ツリー・オブ・ライフ』以来13年ぶり。2011年には日本で大地震が起こり、中東では“中東の春”(※アラブ諸国で起こった民主化運動)が始まり、シリア内戦が始まった。2014年にはウクライナで親ロシア政権を倒したマイダン革命があり、ロシアによるクリミア半島の占拠が始まり、COVIDのパンデミックを挟んで、2022年2月24日のロシア侵攻につながっていく。
2022年5月のカンヌ映画祭の開幕式にはウクライナ大統領ゼレンスキーがオンラインで登場、カンヌの参加者を驚かせたことを覚えている。そして、2023年10月からはイスラエルとパレスチナの衝突が始まり、多くの命が失われ続けている。
つまり、この13年でカンヌ映画祭を取り巻く世界の状況は非常に大きく、悲劇的な方向へと変化しているのだ。
レバノン人監督はスイカのバッジ、ケイト・ブランシェットは黒白緑のドレスでレッドカーペットに
カンヌ映画祭は世界情勢を反映する映画祭である。もともとの始まりが、ファシズム陣営に対する自由主義陣営の映画祭として立ち上げられたものであり、この13年の間も人々を迫害する権力に対して自らの立ち位置を明確にしてきた映画祭だ。そして今年、映画祭はロシアの反プーチン派の監督キリル・セレブレニコフの作品と、イランからの亡命を表明したモハマド・ラスロフ監督の作品を長編コンペ上映に迎え、カンヌクラッシック部門ではセルゲイ・ロズニツァ監督のウクライナ戦争ドキュメンタリーを上映、カンヌプレミアと監督週間にはパレスチナ人の若者たちの困難を描く作品を選出した。
審査員のレバノン人監督ナディーン・ラバキーはスーツの襟にパレスチナ支持のシンボル、スイカのバッジをつけていたし、カンヌの公式プログラムの一つとしてUNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)の記者会見を行ったケイト・ブランシェットは、ソワレ(公式上映)の際に着た黒と白のドレスの裏地に緑の生地をあしらい、それをレッドカーペットで翻すとパレスチナ国旗カラーになるという粋な連帯表明をしてみせた。
カンヌ国際映画祭でケイト・ブランシェットが着用したドレスに世界が注目。
レッドカーペットの上を歩くブランシェットのドレスは黒、白そして緑──カーペットの赤が加わることで、パレスチナ国旗のカラーに。 https://t.co/k8MX4CjXqV pic.twitter.com/J2QYsncJjU
— VOGUE JAPAN (@voguejp) May 23, 2024
一方、フランス国内では文化予算の縮小が進み、末端の労働者、アルバイトや非正規職員にまで保障がいきわたっていないという事実がある。例えば今年、子どもたちに映画の楽しさを伝えるべく増やされたアニメーションの上映だが、アニメの制作には非常に多くの人手が必要で、当然彼らにも生活の保障は必要なのだ。
また、映画祭も多くの末端労働者に支えられている。そこで、この状況に対して映画祭のレッドカーペット前でシュプレヒコールがあげられたり、デモが行われたりした。映画祭の音楽・録音関係を担当する<ラジオ・フランス>もストライキを決行。記者会見の録音/データのアップをボイコット。おかげで二日分の記者会見データが録音できなかった。
けれど、記者からも映画祭運営側からも文句は出ない。デモもストライキも労働者の当然の権利だからである。日本では忘れかけられている、権利は自分で守り、戦いとるものだということを映画祭で改めて教えられた今年であった。
長編コンペ部門22本中、14本が女性主人公の物語
しかし、なんといっても今年の最大の傾向はフランス版「#MeToo」運動の推進である。映画祭はある視点部門の開会式で、女優ジュディット・ゴドレーシュが監督した17分の短編『Moi Aussi(私も)』を上映。メイン上映会場であるリュミエール劇場前のレッドカーペットでは監督やスタッフが一列に並び、両手で口を覆うというパフォーマンスで「私たちはもう黙らない」という作品のテーマをアピールした。
ゴドレーシュは、フランス映画界で性虐待被害者の一人として名乗り出た当事者である。#MeToo運動の発足時、フランスはアメリカの運動の盛り上がりに遅れ、運動は女性の権利平等を求める方向へと流れていってしまった。2018年にカンヌで行われた女性映画人たちによるアピールも#MeToo運動とは距離を置いていたのである。前会長ピエール・レスキュールが進めた女性映画人顕彰活動は、現会長イリス・ノブロックに引き継がれ、審査員の男女比など、より厳密に実行されようとしているなかで、映画祭も再び性虐待の問題に取り組むべきだということになったという。
ゴドレーシュの『Moi Aussi』は映画界だけではなく、さらに女性だけではなく、性虐待を受け、今まで黙らされてきたり、自ら口を閉ざしていていた人々みんなに対して「もう黙らなくていい。あなたは悪くないし、加害者は明らかにされるべき。あなたは一人で悩まなくていい。仲間がいる」と話しかけ、寄り添っていく。上映会場になったドビュッシー劇場で挨拶に立ったゴドレーシュが何回も涙をぬぐっていた姿は忘れられない。
女性の活躍という視点で今年の長編コンペ部門22本を見てみると、女性監督の作品は4本とさして多くはない。しかし、22本中14本が女性主人公の物語であり、さらにそのうち6本が複数の女性キャラクターがヒロインをサポートする“シスターフッド”映画であった。彼女たちは自由と尊厳を求めて、彼女たちを押さえつけている男たちやシステムと戦おうとするのである。彼女たちは果敢に、あきらめず、涙を見せず、顔を上げて、くらいついていく……。
受賞結果を見ると、女性監督の作品が2本、主人公が女性の作品が8本の賞に対して6本で、それぞれが今ある社会のシステムに対して抗う女たちの姿を描いていることがわかる。国際批評家連盟賞を受賞した山中瑤子監督の『ナミビアの砂漠』のヒロイン(演:河合優実)も、その一人だった。これが何よりも今年のカンヌ映画祭の傾向だといえるだろう。
しかし。はっきり言えば、今年の長編コンペティションが傑作ぞろいだったかというと、そうとも言えなさそうだ。