鬼才ジョージ・ミラーの新作『マッドマックス:フュリオサ』公開中!
今から9年前に公開された『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)を見て、その面白さにぶっ飛んだ若い映画ファンは少なからずいるだろう。トム・ハーディ演じる同作品の主人公マックスの活躍する続編の企画がいろいろと噂される中、シャリーズ・セロンが演じていた短髪で片腕の女性大隊長フュリオサの若き日を描いたスピンオフ作品『マッドマックス:フュリオサ』が5月31日(金)より公開されている。
若き日のフュリオサ役には、『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)の好演の記憶も新しいアニャ・テイラー=ジョイが扮していて、予告編の映像だけでもアドレナリンが分泌されるような迫力映像に仕上がっている。
だが、ここでは俳優たちのことよりも、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、そして『マッドマックス:フュリオサ』という、2010年代、2020年代を代表するアクション映画として必ずや語り継がれるであろう傑作を世に送り出したジョージ・ミラー監督を、そのキャリアの軌跡を振り返りつつ紹介したい。
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医者として働きながら24歳で放った処女作『マッドマックス』
今日、たとえばウィキペディアでジョージ・ミラーの経歴を知ろうとすると、「医者を目指して医科大学へ進学。学生時代に短編映画を制作しコンクールに出品したところグランプリを獲得したのがきっかけでテレビと映画界で働くようになった」としか記されていない。これだとなんだか、医者を目指していたが漫画家への道へ進んだ手塚治虫と同じようなイメージを持ちがちだと思うのだが、事実はちょっと違う。
ミラーは“医者になるのをやめて監督になった”のではなく、“医者として働きながら映画への情熱やみがたく監督へと転向した”のだ。『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983年)の劇場パンフレットに紹介されていたミラーの略歴によると、彼は大学卒業後の2年間、シドニーのセント・ビンセント病院に勤務し、そのうちの半年間は急患病棟勤務で、多くの痛ましい交通事故犠牲者を診たり、見送ったりして過ごしたという。
商業映画としての処女作『マッドマックス』(1979年)の脚本・監督を手掛けるチャンスを掴んだのは24歳の時。オーストラリアの片田舎で、凶悪犯罪を引き起こす暴走族相手に、スーパーチャージャー付のV8エンジン搭載、600馬力にまでチューンアップした特殊追跡車で私的制裁を繰り広げていくマックス・ロカタンスキーの物語は、医者として冷徹な目で見てきた交通事故の悲惨な死に方への憤りをベースにしていたのだろうか。観る者に大きなショックを与え、多くの映画作家たちに圧倒的な影響を与えてきた。
ジョージ・ミラー監督『マッドマックス』三部作、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、『トワイライトゾーン/超次元の体験』、『イーストウィックの魔女たち』、クリス・ヘムズワース出演『白鯨との闘い』、アニャ・テイラー=ジョイ出演『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』
CS映画専門チャンネル ムービープラス「『マッドマックス:フュリオサ』公開記念特集」で2024年6月放送