鈴木P「我々の代わりに吾朗くんがカンヌに」
宮崎駿「気の毒だけれど頑張ってください」
「スタジオジブリ、ジブリ美術館、そしてジブリパークすべてを代表して、この名誉パルム・ドールの授与にお礼を申し上げます」
そう挨拶を始めた吾朗監督は「もう少ししゃべってもいいですか?」と続け、「今回、本当ならば宮崎駿と鈴木敏夫がこの場に来るべきだったと思いますが、その代わりに二人からのビデオ・メッセージをご覧ください」と紹介すると、リュミエールの大スクリーンにはエプロン姿の宮崎駿監督、そして鈴木敏夫プロデューサーが並んで映し出された。
鈴木プロデューサーが「今回、カンヌ映画祭がスタジオジブリに名誉パルム・ドールというのをくださることになったんですよ。いつもは個人に送られるもので、グループは初めてだそうです。美術館とパークも含めての受賞です。これは大変なことなんですよ」と語ると、ひょうひょうとした宮崎駿監督が「よくわかっておりませんが、ありがとうございます」と答える。
鈴木:「我々の代わりに宮崎吾朗監督がカンヌに行きます」
駿:「気の毒です」
鈴木:「(苦笑)それでね、今回4本の短編を授与式会場で上映してくれるそうです。以前、短編を海外で見てもらって評価を聞いてみたいって、映画祭に応募していたことがあったでしょ」
駿:「知りません(苦笑)。みんな断られたのね」
鈴木:「(笑)そうだけど、今回は初めてやってくれるそうです」
駿:「ありがたいです」
鈴木:「それでね、吾郎くんが行くわけですよ」
駿:「気の毒だけれど頑張ってください」
――そんな鈴木プロデューサーととぼけた宮崎駿監督のやり取りに会場は沸いた。続いて、今回の長編コンペ審査員で『怪物はささやく』などのスペイン人監督J・A・バヨナがプレゼンターを務める授与式に。
「ジブリのアニメは世界をちょっぴり良くしてくれた」
バヨナ監督は、「ジブリのアニメーションは世界をちょっぴり良くしてくれました」と一言。会場からは日本語で「ありがとうございましたー!」と声がかかり、歓声と拍手が一層高まる。次いで吾朗監督が再び語る。
先日、『君たちはどう生きるか』がアメリカのアカデミー賞を受賞しました。その場にいた人たちがオスカー像を持って帰ってきました。そのとき初めて知ったのですが、オスカー像ってケースに入っていないんです(笑)。なので、アメリカに行ったジブリの人間はタオルに包んでオスカーを東京まで持って帰ってきました(笑)。パルム・ドールはちゃんとケースに入っていてよかったなと思いました。
これには会場から笑いと拍手が巻き起こり、観客の大ウケが収まると「まじめな話をしていいですか?」と吾朗監督は改まって話しはじめた。
スタジオジブリは今から40年前、高畑勲・宮崎駿・鈴木敏夫によって創られました。それから40年、たくさんの映画を作るとともに、ジブリ美術館を作り、ジブリパークの建設を進めています。創業者の三人の業績は疑いのないものですが、これには加えてたくさんのスタッフの献身があってのことです。この賞をスタッフの功績に捧げるとともに、喜びを共にしたいと思います。
同時に今のジブリがあるのは、スタジオだけで成し遂げられたものではなく、世界のファンとサポーターがジブリを愛してくれたからの賞だと思います。本当にありがとうございます!
鳴りやまない拍手は数分間も続き、しばらくしてジブリ作品の上映が始まった。短編『めいとこねこバス』、『やどさがし』、『パン種とタマゴ姫』、『毛虫のボロ』の上映が終わると、明るくなった会場に再び拍手と歓声が渦巻く。1階から3階まで満杯の観客は総立ちだ。
ゲスト席にスポットライトが当たると、スクリーンに吾郎監督たちが映し出され、何回も何回も観客席に手を振る。そのたびに歓声が大きくなり、収まる気配もない。最後に再び監督にマイクが渡された。
ジブリは40年間アニメーションを作り続けてきました。そして、今ここにこうしているのは、もう40年間作り続けろということなのかなと思いました。
リュミエール劇場の観客たちのうねりを感じ、筆者は、こんなに多くの人たちが、とてもとても、とてもジブリ・アニメを愛しているのだと思った。本当に今ここに宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーがいてくれたら、とも思った。
が、5月19日にカンヌクラッシック部門で上映された宮崎駿監督を追ったドキュメンタリー『HAYAO MIYAZAKI AND THE HERON』の荒川格監督が言うように、宮崎駿監督にとってすでにパルム・ドールの受賞もアカデミー賞の受賞も過去のことになっているのだろう。宮崎駿は過去を振り返らない。宮崎駿監督は今日も明日もひたすら毎日「目の前のこと」をやり続けているのである。