壮絶描写の合間に張り巡らされた伏線
映画はいくつかの章立てで構成されており、「初めての生存者」の存在によって“誤認逮捕”が明らかになるところから始まる。長きにわたる捜査が時間を前後しながら描かれ(※某大物監督のように混乱させはしない)、異常な犯人像をゆっくりと炙り出していく。捜査の苦労は大きな落胆とともに度々振り出しに戻されるが、ときおり挟み込まれる謎の人物の影が、本筋であるはずの捜査劇の“想定外”を常に予感させる。
主人公の刑事イッサと、若手のイワン(エフゲニー・トゥカチュク)のバディぶりにも注目したい。被害者や遺族は前代未聞の事件に苦しめられたわけだが、腐りきった組織が捜査関係者を苦しめる様子も丹念に描かれており、そこかしこでイッサとイワンとの対比が活きてくる。このあたりは一見エンタメ要素の底上げのようだが、しっかりと注視しておくことをおすすめする。
なお、Netflixの『マインドハンター』(2017年~)で描かれているようにアメリカでは70年代から犯罪者プロファイリングがあったが、それに相当するものが当時のソ連にも既にあったかのような描写がある。真偽不明ではあるものの、それがこの事件に何かしらの成果をもたらしたのかは“楽園たる我が国に猟奇殺人など存在しない”というソ連の態度を顧みれば察しがつくだろうし、劇中でも捜査関係者の苦悩として強調される。ただし、ここはそれ以上に重要なシーンでもあるので全ての言動に集中しておきたい。
最凶殺人鬼を生んだ壮絶な歴史的背景
1978年から1990年にかけて52人を殺害したとされるチカチーロは、知られざる傑作サスペンス『ロシア52人虐殺犯/チカチーロ』(1995年)や、その原作の影響下にある『チャイルド44 森に消えた子供たち』(2014年)など、さまざまなフィクション/ノンフィクション作品を生み出してきた。しかし『殺人鬼の存在証明』は過去のどんな作品とも異質であり、もっと言えば奇妙ですらあり、本家(?)ロシア映画界の意地も感じられる。
チカチーロは1936年にウクライナに生まれ、ソ連による人為的飢饉(ホロドモール)を幼少期に経験した。飢えのあまり人肉食も横行したというホロドモールや第二次大戦のにおける他国からの侵略により、筆舌に尽くしがたい惨事を目の当たりにしただろう。犯罪者の背景にばかり囚われると問題の本質を見失いかねないが、80~90年代のソ連から現ロシアがはたしてどれほど変われているだろうか、なんてことも考えてしまう味わいどころの多い映画である。
『殺人鬼の存在証明』は2024年5月3日(金・祝) より 新宿バルト9ほか全国ロードショー