モデルになった殺人鬼、エド・ゲインとは
原題は『テキサス・チェーンソー大虐殺(マッサクル)』で、邦題の『悪魔のいけにえ』は配給会社の日本ヘラルドがつけたもの。映画の元になったと言われているのは、1957年に発覚し、アメリカを震撼とさせたエド・ゲイン事件である(日本ではゲインという呼び方が定着しているが、本来はギーンと発音する)。
MGM+ To Stream Docuseries On Serial Killer Ed Gein Who Inspired ‘Pyscho’ and ‘The Silence of the Lambs’ https://t.co/qBDjaGPGXU pic.twitter.com/ICRZ2OkfYN
— Deadline (@DEADLINE) June 6, 2023
エド・ゲインは、墓地から掘り出した何十体もの遺体でランプシェードや衣類を作ったとされ、2件の殺人で有罪となり、1984年に亡くなるまで精神病院に収監されたサイコパス。ヒッチコックの『サイコ』(1960年)を始め、『羊たちの沈黙』(1991年)などにも影響を与えた。中でも『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスは、ホラー映画が輩出してきた殺人鬼の中で、不気味度と残酷度において群を抜いているだろう。
生涯ホラーを撮り続けた恐怖映画の偉人
監督のトビー・フーパーは1943年1月15日テキサス州オースティン生まれ。子供の頃から映画に興味を持ち、60年代には大学で教えるかたわら、ドキュメンタリー映画を撮影するようになる。1969年に『Eggshells(原題)』という実験映画で長編デビュー。この映画に俳優として参加したキム・ヘンケルと共同で脚本を書き、自身で監督・製作を務めたのが長編2作目の『悪魔のいけにえ』だった。
『悪魔のいけにえ』で注目され、ハリウッドへ進出したフーパー。引き続きマリリン・バーンズを起用した『悪魔の沼』(1976年)、自身最高のヒットとなった『ポルターガイスト』(1982年)など、遺作となった2013年の『悪魔の起源 -ジン-』まで一貫してホラー映画を作り続けた。
『悪魔のいけにえ』の凄さは、怖さが徹底していて無駄のないところにある。自主映画に近い低予算映画だったから無駄が出来なかったということもあるだろうが、フーパーがドキュメンタリーを撮っていたこともリアルさに貢献している。ホラー映画にありがちな予測可能なストーリー展開は一切なく、恐怖の根源にまっすぐに突き進んでいく、その容赦のなさがとても怖い。
ニューヨーク近代美術館に永久保存された名作ではあるけれど、見終わって、しばらくはマリリン・バーンズの絶叫が耳から離れなくなる。怖がりな方には絶対にお薦めしないので、ご注意を。
文:齋藤敦子
『悪魔のいけにえ[公開40周年記念版]』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年3月放送