「殺ったか否か」より重要なことがある?
結果としての「死」に向かって、赤裸々なプレイバックが繰り広げられていく本作。しかし、盲目の息子ダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールの絶妙な存在感もまた、我々が真実にたどり着くことを見事に阻害する。
感触や声・音を頼りにしている人物の“目撃者”としての証言は信用に値するか、というのはたびたび描かれるテーマではあるものの、本作は夫婦/親子に対する普遍的な“共感”も配置することでトリッキーなサスペンス劇から距離を取り、その設定が一段階深いものになる。この件の“当事者”は誰か? そもそも“明確な真実”など存在するのか? と。
そして忘れてはいけないのが、“観察者”=ダニエルの介助犬スヌープの存在だ。終始しんどい問答が続く本作において、スヌープがシャワーを嫌がったり◯◯させられるシーン、ペタペタした足音は、ささやかな癒やしを与えてくれる(よくがんばった!)。カンヌで<パルム・ドッグ>を受賞したのも納得の俳優犬ぶりだ。
難解ではない、けれど猛烈に“しんどい”法廷劇
やがて物語は拷問のような法廷劇へと移り、サンドラのプライベートなあれこれや夫婦・家族生活の実態がつまびらかにされていく(ここで監督は観客を意図的にイラつかせようとする。検察を演じる俳優の憎たらしさたるや!)。ダニエルの失明の原因、夢に破れた夫サミュエルの憤り、サンドラ自身の〇〇などなど、観ていて体が硬直してくるほどの生々しさだ。この法廷シーンでは演劇俳優や非俳優も起用していて、わざとらしさを感じさせないあたりも生々しさに貢献している。
作家のサンドラは、志を同じくしていた夫サミュエルに先んじて成功を掴んだ。しかし家庭では家事・育児の夫婦間バランスや過去の不義理について責められ、法廷でもそれを反復させられる。その様子は、完全に自立した女性に対する“攻撃”であり、ジェンダー・ステレオタイプやホモフォビアがはびこる社会に対する監督からのメッセージでもあるだろう(トリエ監督はカンヌ国際映画祭が1946年に開催されて以来、パルム・ドールを受賞した3人目の女性監督。受賞式のスピーチでは仏マクロン大統領を批判した)。
また、ドイツ人のサンドラが法廷で英語とフランス語を使い分ける姿からは、複雑な人間関係や愛情を言葉にすることの難しさ・滑稽さも滲み出る。同じく“言葉”を巧みに操ったパク・チャヌク監督の『別れる決心』(2022年)のように、殺人犯の可能性がある主人公を無垢で傷つきやすい人間のようにも描いていて、(カッコ付きでの)“ミステリー”や“サスペンス”としての成分は削ぎ落とされていく。
スッキリとした結末は望めないものの、本作は「とにかく鮮烈なものを」という観客の欲求に応え、かつ「殺ったか否か」の“先”に連れていこうとする。さり気なく積み重ねられるサンドラの人物像や豊かなボディランゲージ、夫サミュエルの言動の真意、息子ダニエルが最後に下す決断……物語の端々から読み取れるものをゆっくり咀嚼し、二度三度と鑑賞してみるのが正解かもしれない。
ちなみに劇中、観客が何度も耳にすることになるのがBacao Rhythm & Steel Bandの「Pimp」というインスト曲。これはラッパー/俳優の50centによるヒット曲「P.I.M.P.」(※歌詞の内容はご推察)のカリビアン増量カバーで、物語の舞台となる雪山との凄まじいギャップが可笑しい。
ただ、この曲は夫サミュエルが発するどんな言葉より、彼の心境を表しているようにも感じられて……。とにかく観れば観るほど味わいが増してくる、そんな映画だ。
『落下の解剖学』は2024年2月23日(金・祝)より全国公開
『落下の解剖学』
人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。事件の真相を追っていく中で、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ〈真実〉が現れるが――
監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演:ザンドラ・ヒュラー スワン・アルロー ミロ・マシャド・グラネール アントワーヌ・レナルツ
制作年: | 2023 |
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2024年2月23日(金・祝)より全国公開