ピュアであろうとする少年は時に過激に変身して行く
虐げられ社会に忘れられた子どもたちを主人公に描くダルデンヌ兄弟。子どもたちは誰も守ってくれない状況で、自分でどうにかしようとしてはどんどん深みにはまって行く。ダルデンヌ兄弟はそんな子どもたちを見つめ、そして最後の最後に耳かきいっぱいほどの、とてもささやかな幸せの予感をふりかける。
今回の主人公は中学生のアフメド。母と兄姉たちとベルギーで暮らす少年。彼は一家の中でただ一人敬虔なムスリムであろうとし、モスクに通い、お祈りを欠かさず、そして密かに戦争で死んだ従兄弟を崇拝している。
アフメドはボランティアによる自習教室に通っている。そこでは移民の子どもたちに自国の文化や言葉を教え、さらに学校の補習もしながら、ベルギーの社会生活に子どもたちが順応できるよう指導もしている。アフメドはそこに馴染めない。女性教師が挨拶の握手を求めるのを「女性には触れない」と拒否したところから、アフメドの日常生活が狂って行く。
「テロリスト=ムスリム」9.11後、 固定観念化するイメージ
「Young Ahmed(英題)」Photoⓒ CHRISTINE PLENUS
「アフメドは正しいことをしようとするのです。2001年9.11の事件以来、テロリストというとムスリムというイメージになっています。経済的、信念などの理由でテロは行われると思われています。彼らは自分と違う人々は悪魔で殺すべきだという考えを持っていると思われています。しかし、現在それはどの宗教でも狂信的な人々は同じように考えていますよね。私たちは宗教について描こうと考えたのではありません。私たちは、どの宗教にも狂信があることを描きたいと思いました。そしてそれは若くピュアな少年にとりつきます。アフメドはそんなに貧しくもなく、賢く、社会的に孤立しているわけでもありません。けれど、彼は死んだ従兄弟を英雄視し、自分も彼のようになりたいと考えます。なぜでしょうか。「ブリキの太鼓」のギュンター・グラスは自伝的な最後の本で書いています「父なる国を守りたいと思って14歳の時、ヒトラー親衛隊に加わった」と」とリュック・ダルデンヌ監督。
続けてジャン=ピエール・ダルデンヌが「アフメドはすでに狂信になっています。もう子供ではなく、肉体的にも精神的にも若い男性になりかけているこの年頃の少年は、家族から離れ他の人と出会う時期で、家族にはないものを求め、簡単に変わっていくのです。母親を拒否し、世界をピュアなものとピュアではないものに分け、自分をピュアでないものから守ろうとする。そんな年頃なのですね。そして彼にとって一番ピュアなことは死なのです」と付け加える。
ダルデンヌ兄弟は主役の子どもたちを素人から選ぶことが多い。今回のアフメド役の少年イディル・ベン・アディもオーディションで選ばれた。「サッカーの話をした覚えがあります。しばらくして電話があり、決まったと言われ母が抱きしめてくれました」映画の中よりも大人びているが、仕草はまだ子どもっぽい。二人の演出法について「監督は二人で一人のようでした。同じことをい言うんですよ、一つの声の一人の人みたいに」と教えてくれたのはアフメドの先生で命を狙われたイネスを演じた女優ミリアム・アケネドゥだ。
握手を求めるイネスで始まり、そして終わる。ダルデンヌ兄弟の映画は最後にほんのひとかけらの希望を付け加える。それがこの監督兄弟の優しさでもあり、人は良きものであるはずだという信念なのだろう。
文:まつかわゆま
「Young Ahmed(英題)」2020年公開
「Young Ahmed」
ベルギーに暮らす13 歳の少年アーメッド 。テレビゲーム好きの普通の少年だった彼は、徐々に尊敬するイマームに感化され、過激なイスラム の思想にのめり込み、考えを認められない先生を殺さねばならない、と思い込んでゆく ……。
制作年: | 2019 |
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監督: |