俳優ジャッキー・チェンの映画キャリア
ジャッキー・チェンのターニングポイントはいくつもあった。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971年)でのスタント、『スネーキーモンキー/蛇拳』(1976年)『ドランク・モンキー酔拳』(1978年)でのブレイク、ゴールデンハーベスト社と契約した『ヤング・マスター/師弟出馬』(1980年)、『バトルクリーク・ブロー』(1980年)『キャノンボール』(1981年)でのアメリカ進出、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)での脱カンフー映画、『レッド・ブロンクス』(1995年)での全米No.1達成……。
本当に枚挙にいとまがないが、そんな中でも世界的な地位を確立したという意味では『ラッシュアワー』シリーズ(1998年~)こそが映画人ジャッキーのハイライトと言って良いのではないだろうか。
ジャッキー映画史上最高のヒット作
香港の中国返還直後に製作された『ラッシュアワー』。監督のブレット・ラトナーはジャッキー映画の大ファンであり、『レッド・ブロンクス』でアメリカでも成功を収めたジャッキーに早速、本作への主演をオファー。当時『WHO AM I ?』(1999年)の撮影のため南アフリカにいたジャッキーに直接会って説得し、ジャッキーは快諾。すぐにロサンゼルスでクリス・タッカーと会談して意気投合し、本作の製作が本格的にスタートした。
『ラッシュアワー』はラロ・シフリンが音楽を務め、『燃えよドラゴン』(1973年)をイメージするオープニングから始まる。中国公使の娘の誘拐事件を解決するため、香港警察のリー刑事はロサンゼルス市警の問題児カーター刑事とタッグを組んで国際的マフィアと対決する物語。王道の異文化交流型バディ・アクションだ。
ジャッキーはすべてにおいて安全を重要視するハリウッド式のアクション撮影にうんざりしつつ、香港で自身のスタントチーム〈成家班〉を使って追加撮影するなどして映画は完成する。そして1998年9月に公開されるやジャッキー映画としては初めて北米興収1億ドルを突破し、全世界興収も2億4000万ドルを超え、ジャッキー映画史上最高のヒット作となったのだった。
本作の大成功でハリウッドスターの仲間入りを果たしたジャッキーは、香港とハリウッドで作品を量産する大スターとしての地位を確立し、アカデミー賞でのプレゼンターとして登場するなど世界での認知度も飛躍的に向上していった。そして『シャンハイヌーン』(2000年)でもヒットを飛ばしたジャッキーは、満を持して続編『ラッシュアワー2』に主演する。