ファルハディ監督の作品に触れる幸せ
イラン人のアスガー・ファルハディ監督。
『彼女が消えた浜辺』(2009年)を観たとき、役者の演技力と展開の見事さに衝撃を受けて、イラン映画が世界の先端を行っているんじゃないかと思った。
いまでも半分くらいそう思っている。
乗り気でない若い女性の友人を誘って、浜辺のコテッジへ出かけるグループ。
楽しく過ごした翌日、浜辺にいたはずの彼女が突然姿を消してしまう。
何も言わずに帰ってしまったのか、それとも…。
初めて観たときは一瞬ドキュメンタリーなのかと勘違いをしてしまったほど、あまりにも役者の演技が切迫していて、イラン独特の文化が垣間見える中、彼らの心臓の鼓動が聞こえてくるような、そんな作品。
2017年、イランを旅した時にヤズドで若いフランス人カップルと一緒に車をチャーターして、ゾロアスター教徒の聖地チャク・チャクへ行った。
女性ドライバーが現れた時は、珍しくて驚いたが、さらに驚いたのは彼女の英語のうまさ。
てっきりイギリス留学経験があるんだろうと思ったら、イランから出たことがないと言う。
大変なインテリで気遣いも申し訳なくなるほど。
全行程6時間以上だったので、その間、政治から映画の話まで、フランス人カップルをほったらかしにして果てしなく話し込んだが、やはり映画のことになると熱が入り、アッバス・キアロスタミのあれがすごい、これもいい、に引き続き、『彼女が消えた浜辺』へと話題は移り、彼女に聞かれた。
「それで、あんた、どの女優が好きなの」
「イラン人女性はみんな好きです」
「そういうの、いらないから」
「あのー、消えちゃった方の」
「あ〜、日本人はみんな彼女のようなタイプが好きなの」
「タレ目に弱いかも」
「単純ね」
ということで、私はタラネ・アリドゥスティが大好き。
ファルハディ監督作品で、タラネの2度目の出演作『セールスマン』は2016年のカンヌ映画祭で脚本賞、男優賞を受賞しているが、個人的には彼女に女優賞をあげるほうが真っ当だと思ったくらい、彼女は別格。
大きく話は逸れてしまったが、ファルハディ監督は世界中で注目されており、次に何を撮るかが、常に映画界では話題になる。
ついに世界的俳優ペネロペ&ハビエルでスペインを舞台に撮った
本作『誰もがそれを知っている』(2018年)で初めてイラン人が登場しない作品を撮った。
(『ある過去の行方』はフランスが舞台だが、イラン人が主要登場人物の一人。)
本当はファルハディ監督にはイランをベースに撮り続けて欲しい。
検閲がある中、ギリギリで宗教的タブーをかわしながら世界を熱狂させる作品を作って、アカデミー外国語映画賞を2度も受賞して、トランプの入国制限令に抗議して授賞式をボイコットする心意気を見せてくれたんだから、イランで痺れるようなものを撮って、もう一度トランプに悪態をついて欲しい。
が、だ。“もう一歩駒を進めてみたい”という気持ちもわかる。
ペネロペ・クルスとハビエル・バルデム夫婦を主人公に当て書きをしたものが撮れるとなれば、やるでしょう。やるわ。責められん。
そして今回もファルハディ監督はひねった。
微妙な心の動きを追うと思わせておきながら、途中からいきなり裏切った。そっちに転がすか、と驚愕。その後も展開が読めず、チョー緊張。
人間が好きなのか、嫌いなのかわからないが、常にファルハディ監督は“嘘をつかなければいけなかった時の人の心の状態”をじわじわと観客の胃に染み込ませるような作り方をする。
一度嘘をつけば、さらに大きな嘘で覆うしかない。
だが、その嘘は本当に隠せているのか。
生きていれば人間は誰でも、必ず、例外なく嘘をつく。
その心に抱えるやましさをファルハディ監督は描こうとしているのか、あるいは嘘をつく人間を優しく抱きしめようとしてくれているのか。
この作品は2018年のカンヌ映画祭のオープニング作品として上映された。
ファルハディ監督は登りつめたまま降りてこない。
さて、映画と関係ないが、イランを一人でまわったと話をすると、「怖くなかった?」とほぼ全員に聞かれるが、アフガニスタン、パキスタン、イラクの国境近隣地域を除いて、危険はないと言って構わない。
一度も差別的な扱いを受けたことはないし、逆に歩いていればよく声をかけられ、日本人だとわかるとまず握手を求めてくる。道はわかるか、困っていることはないか、イランは好きかと立ち話が長くなる。
何かを売りつけようとされたことも全くございません。
こんな国ってなかなかないですよ。
イランで撮った写真をおまけにつけておきます。
文:大倉眞一郎
『誰もがそれを知っている』
結婚パーティーの真っ最中に発生した少女誘拐事件をきっかけに、露わになる家族の秘密と嘘。どこの国にも起こりうる、痛切な感情のドラマ。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
出演: |