気軽に観られるポップさと、その先にある毒
既に公開されている予告編などからうかがえる通り、基本的にはコメディテイストの本作。全9話にわたって、大志とゆいが“理想の離婚”に向かって突き進んでいく姿を面白おかしく展開させていく――。のだが、ただ「笑える」だけにとどまらないのが大きな特長。選挙にまつわるドロドロのパワーゲーム、夫婦というテーマが浮き彫りにする“正しさ”の押し付け、他人の色恋沙汰に執着し消費する民衆……。
これは配信作品だからということもあるのかもしれないが、なかなかに攻めた物議をかもしそうなセリフも飛び出し、個人的にはヒヤヒヤさせられる瞬間も。ギャグについてもライトからブラックまで多種多様なテイストが用意されており、観る側がどの深度(或いは立場)で向き合うかによって印象が微妙に変化していく。要は、気軽に楽しめる作品でありながら、観進めていくと“毒”に行き当たる構造になっているのだ。
「夫婦」が当人以外にもたらす安心感の正体
例えば、夫婦の在り方について。不倫夫と“サレ妻”という構造はあくまで出発点で、物語は「政界」「芸能界」を中心に夫婦という概念を解体し、再検証していく。例えば大志は、ゆいの人気にあやかって当選した部分があり、ゆいはゆいで「結婚しているからこそ来る仕事」の恩恵を受けてもいる。
それが離婚の危機で揺らいだとき、当人以外がエスカレートし、大志とゆいは蚊帳の外に置かれてしまう。『離婚しようよ』では、「夫婦」が当人以外にもたらす安心感の正体とは? といった問いかけが、どこか冷笑的に行われていくのだ。
「政治家の妻はこうあるべき」という大志の母・峰子(竹下景子)の主張は、突き詰めていくと凝り固まった“役割”の押し付け的な価値観に行きつく。かたや、ゆいの母・富江(高島礼子)は恋多き女性で、父親がそれぞれ別の弟妹が多くおり、世間受けはあまりよくない。大志の対立議員候補である想田豪(山本耕史)は愛妻家だが、イメージ戦略として利用する一面も。