イッセー尾形×村上春樹
音声メディアへの関心が高まる中、豪華俳優陣による朗読作品を次々配信しているのが<Amazon オーディブル>だ。
なかでも日本語原文として初のオーディオ化となる『ねじまき鳥クロニクル』『螢・納屋を焼く・その他の短編』などの村上春樹作品は、とくに大きな注目を集めている。人間の心の深遠をのぞかせる村上の作品世界が一体、どんなオーディオ空間にアダプトされ、立ち上がるのか?
そこで今回は、必聴の朗読作品である『東京奇譚集』を朗読したイッセー尾形と、コンテンツ製作担当者・宮川もとみの特別対談を敢行。本作がリスナーにとって「プレミアムな体験」になると話すお2人に、オーディブル作品の“声”がもたらす「想像力」について聞いた。
「イッセーさんの朗読が、どんなオーディオの旅になるか」
―今回、初めてオーディブル作品を朗読した率直な感想を教えてください。
イッセー尾形(以下、尾形):難しかったです。一編目の「偶然の旅人」を最後に回し、「ハナレイ・ベイ」から朗読が始まったんです。「ハナレイ・ベイ」にはキャラクターがたくさん登場するので、キャラクターごとに差をつけたいと思いました。
母と息子の差、あるいはどうしようもない若者二人の差、現地の人の差など、小さな差異を声で表現することを発見しました。5編のうち一番振幅が大きかったのが、「ハナレイ・ベイ」だったと思います。
―「ハナレイ・ベイ」は2018年に映画化されていますし、鮮やかな映像が文字からでも浮かびます。
尾形:確かに映像が浮かびますよね。
―イッセーさんの朗読を聴いて、宮川さんはどんなことを感じましたか?
宮川もとみ(以下、宮川):最高でした。一人芝居はもちろん、映像作品では、性別を超えて、男役も女役も演じられるイッセーさんは、パフォーマンスの技量では最高峰に位置する方です。世界観が奥深い村上春樹さんの作品が、イッセーさんの朗読によってどんなオーディオの旅に連れて行っていただけるのか楽しみにしていました。オファーを受けていただいて、ほんとうに嬉しく思いました。
尾形:いえいえ。あまり独善的な解釈だと、村上さんの世界を逆に小さくしてしまうのではないかと思っていました。
宮川:イッセーさんの朗読は、微妙なラインをものすごく繊細に気遣われたものだと思います。『東京奇譚集』は、ありそうでなさそうで、しかしそれでいて、ありそうな物語です。朗読によって物語を聴いている時間は、さも自分の人生に今こんな不可解なことが実際に起きているかのような感覚に陥りました。ここまでの生々しさを感じる朗読は、今まで体験したことがなかったと思います。
「まずは自分の心地よさ。自分が聴きたいように喋ること」
―2編目の「ハナレイ・ベイ」から朗読を始めたということですが、全編を通じてどの辺からコツを掴みましたか?
尾形:もう最初からです(笑)。ただ、言い間違いは何度も指摘されました。どうしても喋り口調になってしまう箇所があったんです。
―村上さん自身が<僕>として登場する「偶然の旅人」は、一番最後の収録作品となったわけですが、難しくはかなったですか?
尾形:すでに4作品の収録を終えていたので、もうこれは勢いで“自分が村上春樹だ”と(笑)。
宮川:素晴らしい(笑)。
―冒頭でジャズの描写がありますが、イッセーさんの声で一体、どんなジャズが聴こえるのかと物凄く楽しみです。オーディブルの朗読作品は通常の朗読と違い、空間が立ち上がってくる感覚があります。宮川さんは、製作者としてどんなことを心掛けましたか?
宮川:オーディブルで基本的に守っているのは、聴く方の想像力を固定してしまわない読み方です。リスナーの方々がストーリーを聴いた時に、それぞれ自分なりの絵が思い浮かんでくることが大切。朗読から触発された自分なりの想像力でより濃厚で個人的なストーリー体験になると思っています。子どもの頃の読み聞かせのような自由度です。
尾形:親が物語を声で聴かせてくれましたよね。物語の結末は分かっているんだけれど、何度も何度も聴いてしまう(笑)。あれは物語の内容というより、その声が聴きたいからリピートするんでしょうね。
宮川:おばあちゃんが読んでくれる『泣いた赤鬼』の方が、同じお話なのに好きだったりしましたね(笑)。
尾形:おじいちゃんの方がよかったり(笑)。
―イッセーさんはリスナーを物語の世界へ誘導する上で、どんなことを足がかりにしましたか?
尾形:まず自分の心地よさです。自分が聴きたいように喋ること。あまり大きな声ではないし、囁くのは意味ありげな気がする。通常の会話より少しトーンが下がったくらいですね。それから村上さんの作品は、間のあけ方などを即興で朗読しないといけません。テキストとしてその都度、解釈していくとくたくたになるんです(笑)。朗読ならではの体験で、楽しかったですよ。
「作為になるか想像力を刺激するかは、紙一重のもの」
―俳優として台本を読むこととは、また違う体験でしたか?
尾形:それがね、似てるんです。『トニー滝谷』(2004年)という映画の市川準監督から、僕が演技らしい演技をしていない時のほうがいいと言われことがあります。僕の中では全然、仕事していないんですよ。作為になるか、想像力を刺激するかは、紙一重のものです。『トニー滝谷』の経験を何度も思い出しながら、今回の朗読の魅力を感じていました。
―宮川さんは、収録風景を見ていかがでしたか?
宮川:とても孤独な作業だと思いました。オーディオブックは、朗読者にとっても作品に向き合いながらも物語にどっぷりつかる両方を同時に行う独特な時間なのだと思うんです。自分が聴きたいようにお読みになるということでしたが、それは普通ではできません。自分が思うように発声しても、自分の声に驚くものです。
尾形:はじめてテープレコーダーで自分の声を聴いた時には、これが自分の声かと、びっくりしましたよ(笑)。
宮川:朗読者によって、こんなにもストーリーから得られる体験が変わってくるのかと、今回改めて感じました。
―収録はやはり相当、孤独な作業でしたか?
尾形:一人芝居で、自分の感受性でネタを書いて自ら演じるのとは全く異質です。村上さんの感受性で書かれた小説作品に、微調整しながら、ニアミス程度くらいで自分を重ね書きしていくような感覚です。それがどこまで近いのか、あるいは近くないのか、分からないんです。それが孤独な作業の内に入ると思います。ただその分、妙な達成感もありました。
「村上春樹さんの原作とイッセーさんの朗読はプレミアムな体験になる」
―「画家パーティ」という一人芝居が印象的で、いやらしい感じの画家はとにかくスピーチをするんですが…。
尾形:いやらしいと思います(笑)。
―そこでサラリーマンが“絵画を鑑賞するのが嬉しい”と言っていました。読書や絵画鑑賞などを含め、日常の中でどのようにオーディオ文化を楽しんだらよいでしょうか?
宮川:私はイギリスに住んでいたんですが、イギリスでは生活の中に音声コンテンツ音がとけ込んでいます。リテラシーや文化レベルの高い人たちが、生活の中に取り入れやすい音メディアによってストーリーや情報を吸収していくのは素晴らしいことだと思いました。それを目の当たりにして、音が人の人生を豊かにしていくのだと信じ、日本に帰ってきたといういきさつがあります。
当初、オーディブルは自己啓発や最新のビジネス書を聴くコンテンツが多かったんです。それがコロナ禍のおうち時間により、リラックスして小説作品を聴く需要が増えました。今、メインユーザーとしてのビジネスマンという垣根はどんどん壊れているかなと思います。ビジネス書にはニーズがありますが、もっと人間的な文化レベルを上げるために、小説を取り込もうとするリテラシー欲の高い方々からリクエストが増えています。その意味で、村上春樹さんの原作をイッセーさんの朗読で聴くことは、多くの方にとってプレミアムな体験になると思います。
―日本語原文として初となる村上春樹作品のオーディオ化ということですが。
宮川:『東京奇譚集』は短編集なので、物語にあまり触れたことがない方にもオススメです。長編は耳がトレーニングされていないと難しいこともあるようですが、これは最初の一冊にパーフェクトだと思います。
尾形:この短編集の中に、村上さんのテーマが凝縮されています。5編すべてに“喪失”というモチーフがあり、それを巡って主人公がどんどん自覚していく。しかも単に喪失ではなく、喪失vs自覚のダイナミックな緊張感が全編に漲っています。オーディオブックとしては1時間程度なので、導入として最適と思います。
―オーディブルは、どんな状況で聴くのがベストでしょうか?
尾形:僕は自分の部屋で、自分の声を聴くようにしています。勉強をしながら、視覚はデスクの上を見ていますが、耳は聴いている状況。その時に、次の作品のアイデアが思い浮かぶ気がするんです。
宮川:通勤時間をちょっとしたリラックスタイムにすることができるでしょうし、物語に浸りながら洗い物をしたりすると、単純作業も楽しくなります。私はお風呂でもよく聴きますし、走っている時に聴くと物語と一緒に並走しながら、周囲の景色が変わります。日常の中に、そんなワープする感覚が生まれるんです。
尾形:人の経験は視覚によるものより、音の記憶の方が底知れぬ影響力があります。ここにオーディブルの可能性があると思います。オーディオで文芸作品を聴いた後に、聴いたことを思い出す経験です。1日経ったくらいじゃ分からない。半年後くらいに、聴いた経験を急に思い出す。音の記憶は一瞬で終らず、持続すると思います。日常の中のささやかな声です。
「多重な声の中に包まれていく自分がいる、現代人の新しいモデル」
―オーディブルの朗読作品が今後、日本でどのように浸透していくと思いますか?
尾形:これは現代人の喪失の問題ですよね。コロナで喪失したコミュニケーションや健全な生活。一方、ウクライナは危機に瀕し、もう安全はないのか。結局、力が勝つのか。絶望です。そんな中で、小さな喪失を扱った『東京奇譚集』では、人々は巡り会い、希望を持つ。ささやかだけれど、何かを見つけていく。失ったものには見合わないかもしれないが、着実に自覚して前進している。
そうしたものを声に乗せていくんです。勝つだの負けるだのと、急かされた世の中でふっと声が聴こえる。作品の声でもあるし、朗読者個人の声でもある。音のある生活、声のある生活であり、多重な声の中に包まれていく自分がいる現代人の新しいモデルです。
宮川:音は日常生活の中に入り込んで自分の時間を包み込んでくれる要素があります。それが音声メディアの強さの一つだと思います。いまPodcastが人気の理由は、この“日常の感覚”です。孤独感から逃れることができて、誰かが一緒にいてくれているような気分になります。現代人を救済する場面が多いとさえ思います。
もう何年も旅には出ていませんが、私は『東京奇譚集』を聴いた時に旅に誘われたような気分で、ほんとうにイギリスやハワイに行ってしまった気持ちになりました。その場にいながら色んな体験が出来るメディアとして、まだまだ可能性があると思います。
尾形:フィクションの力! ノンフィクションは人間にとって大事なものですが、それ以上に大事なものがフィクションの力です。オーディブル作品は、それを喚起させてくれるものだと思います。
宮川:私の好きな作家さんが、こんなことを言っていました。――小説を読むということは、言葉の海原に航海に行くようなこと。たくさん読むほど、経験も自分の世界も広がる。だから、旅に出よう――と。いま国外に行けず、冒険心や想像力が狭まっていく中で、本作のオーディオ体験によって視野が広がり、いつの間にか、失われたイマジネーションを感じていただけたらいいなと思います。
尾形:想像力が広がりますね。まさに“夢は枯野をかけ廻る”です。
取材・文:加賀谷健
Amazonオーディブル『東京奇譚集』は2022年7月15日(金)より配信中
2022年7月25日(月)までの間、Amazonプライム会員限定で、オーディブル又はAmazonサイトからご登録いただくと、オーディブルを3か月間無料でお楽しみいただける新規会員登録キャンペーンを実施中。
『東京奇譚集』
肉親の失踪、理不尽な死別、名前の忘却……。大切なものを突然に奪われた人々が、都会の片隅で迷い込んだのは、偶然と驚きにみちた世界だった。孤独なピアノ調律師の心に兆した微かな光の行方を追う「偶然の旅人」。サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」など、見慣れた世界の一瞬の盲点にかき消えたものたちの不可思議な運命を辿る5つの物語。