斎藤工、妊娠する
窮屈と捉えるか、好機と受け入れるか――。変化、或いは変動の時代。SNSの普及によって作り手は常に受け手の苛烈な批評(批判)にさらされ、従来のものづくりとは大きく様相が変わってきた。その結果、小説家・朝井リョウが映画監督を主人公に据えた著作「スター」の表現を借りるなら、“色んな方向に目配りしてる”作品が増えつつある。
しかし一方で、旧来のバイアスから解き放たれ、これまで取り上げられなかった分野や人々に光を当てる作品が生まれる土壌も育ってきた。作り手に対するメリットとデメリット、その両面が明確に可視化されたフェーズになってきたのかもしれない。
そうした変化のただなかにあって重要なのは、やはり「対話」であろう。『コーダ あいのうた』(2021年)や『ドライブ・マイ・カー』(2021年)など、本年度の第94回アカデミー賞受賞作品の中にも相互理解を促す映画は数多くあり、多様性とも密接に絡んだ「不寛容からの脱却」、その手段として対話の重要性を再定義する作品の必要性が高まっている向きは強い。
2022年4月21日より配信されるNetflixドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』も、こうした流れを汲んだ作品といえそうだ。
周囲の無理解や制度の不整備を“一緒に”考えさせる
本作は、 “男性妊娠”を題材にとった物語。全8話にわたって、「男女が妊娠する世界」を通し、相互理解や社会における子育てバリアフリーとは何かを見つめていく。原作は坂井恵理の同名漫画だが、男性妊娠が確認されてから10年(原作)→50年(ドラマ)という設定や主人公の職業がレストランチェーンの企画部(原作)→広告マン(ドラマ)など、諸所にアレンジを加え、社会性&現代性といったテーマを2022年仕様にした印象だ。
気ままな独身生活を送る広告マン・桧山健太郎(斎藤工)は、予期せぬ妊娠を告げられ、生活が一変。すったもんだの末に出産を決意するも、男性妊娠に対する偏見やパートナーの亜季(上野樹里)との度重なる衝突など、問題は山積み。さらに彼は、妊娠~出産に立ちはだかる壁(キャリアや生活等々)を目の当たりにしていく――。
たとえば男性妊娠に対して、世間一般の認知・意識は「知っているけど見たことはない」レベル。偏見もいまだ根強く、桧山は妊娠を周囲に打ち明けられないまま体調を崩したり、精神的に不安定な状態に陥ったことで上司や後輩から「らしくない」などと言われ、重要なプロジェクトから外されてしまう。カミングアウト後も拒否反応を示されたり、「キャリアに穴が開いた」と言われたり、サポート体制や会社の制度も整っておらず……。桧山はその身をもって、世の妊娠者たちが置かれた現状を体験していく。
『ヒヤマケンタロウの妊娠』は上に述べたように寓話的な作品であり、概要だけを聞くと啓蒙的なカラーが強いドラマに思えてしまうかもしれない。実際、男女が妊娠する世界を描くことで、今現在の社会における矛盾や機能不全を訴える性質は備わっているし、亜季にステレオタイプな男性性をあえて付加する男女逆転の演出を施すことで、逆説的に現実世界の男性→女性に対する無理解を浮き彫りにさせる部分もある。ただ、本作が見事なのは、主義主張を押し付けるのではなく、「一緒に考える」点に重きを置いているところだ。
変容し続ける時代の価値観の最前線から、さらにアップデートを
本作は、桧山も亜季も仕事に没頭でき、自分の時間が確保された独身生活を気に入っており、結婚や妊娠を将来設計として考えていない(それぞれが見てきた家庭の事情もあり)というところから始まる。要は当事者になることでゼロベースから意識が変化していく姿が、全8話を通して丁寧に描写されていくのだ。ふたりの戸惑いや、互いの価値観に対する「それおかしくない?」という衝突、その先にある価値観の刷新は、妊娠経験者&パートナーにとっては「あるある」の宝庫ではないか(筆者自身、観賞中に何度もパートナーの妊娠→子育て初期に経験したてんやわんやの日々を思い出した)。
そして、問題提起をするだけで終わらないのも本作の注目ポイント。桧山は、自分を広告塔に据えることで男性妊娠のイメージを変えようと奮闘(主人公を広告マンに据えた設定が効いている)。妊娠中の男性たちのためのサロンを開設し、彼らが孤立しないようなコミュニティづくりに励んでいく。また、全編にわたってフラットな目線が行き届いており、どちらか一方に偏向していないバランス感覚も秀逸。男性である桧山にとっては新鮮でも、女性にとっては「何をいまさら」な状態である、というシーンが要所に盛り込まれているのだ。桧山や亜季といった初心者だけでなく、男女問わず妊娠経験者の目線も入っているため、先に述べたような主義主張が強すぎる状態にハマっていない。立場の違う者同士が、同じテーブルについて協議し、対話することでよりよい社会を目指す――。そんな健全な関係性が描かれているのだ。
そしてまた、「みんな変わってハッピー」と楽観視するのではなく、「変わる人も変わらない人もいる」という、ある種のシビアな感覚も。男性妊娠が50年続いている、という原作からの設定の拡大が、「50年経ってもいまだにこの状態。昔はもっとひどかった」につながり、桧山たちが暮らす社会の不完全さを感じさせる。その結果、本作は「こうなったらいいね」なユートピアではなく、現実社会の写し鏡、アンチテーゼとしてもしっかりと機能している。そして、「この社会にはまだまだ改善点が多い。だから私たちは話し合っていくのだ」という対話の必然性、さらには未来への希望というポジティブなメッセージが立ち上がってくるのだ。
このあたり、箱田優子(『ブルーアワーにぶっ飛ばす』[2019年])や菊地健雄(『ハローグッバイ』[2016年])といった監督陣、山田能龍(『新聞記者』[2022年])、岨手由貴子(『あのこは貴族』[2020年])、天野千尋(『ミセス・ノイズィ』[2019年])ら脚本チームのコンビネーションの妙といえるだろう。当事者の苦労も、部外者の偏見も、本音が詰まったセリフはリアリティが高くいちいち刺さるし、悲喜こもごもを経験した桧山が言う「誰も犠牲になっちゃいけない」のセリフには、心を揺さぶられるはず。そしてきっと、視聴者が「自分はどう感じたか」をシェアすることで、この作品自体が対話の契機となっていくことだろう。
変容し続ける時代の価値観の最前線で、アップデートを図ろうとする作り手の意志をまとった『ヒヤマケンタロウの妊娠』。作品の立ち位置やテイストは違えど、同じく男性妊娠を描いたアーノルド・シュワルツェネッガー主演作『ジュニア』(1994年)と比較し、表現がどのような変化を遂げてきたか考えてみるのも一興かもしれない。
文:SYO
『ヒヤマケンタロウの妊娠』はNetflixで独占配信中
『ヒヤマケンタロウの妊娠』
“スマートに生きる”ことを信条に第一線で仕事をこなし、特定の恋人も作らず人生を謳歌していた桧山健太郎は、ある日突然自分が妊娠していることを知る。男性の妊娠はかなり珍しい中で、自身に訪れた予想外の出来事に慌てふためく桧山。仕事優先で結婚や出産は二の次だったパートナーの亜季も戸惑いを隠せない。紆余曲折を経て出産を決意した桧山と亜季だったが、社会から向けられる予想外の眼差しや妊娠によるキャリアの壁、妊娠した男性への偏見を身をもって体験することになる……。
監督:箱田優子 菊地健雄
脚本:山田能龍 岨手由貴子 天野千尋
原作:坂井恵理『ヒヤマケンタロウの妊娠』(講談社『BE LOVE KC』所載)
出演:斎藤工 上野樹里
筒井真理子 岩松了 高橋和也
宇野祥平 山田真歩
リリー・フランキー
制作年: | 2022 |
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