アガサ・クリスティー原作『名探偵ポワロ』
1989年に始まったデヴィッド・スーシェ主演のTVシリーズ『名探偵ポワロ(名探偵エルキュール・ポアロ)』。その第1作目となる『コックを捜せ』についてお話しします。
ポワロはベルギーの元警察官で、イギリスへの亡命者。ポワロを演じたデヴィッド・スーシェは、原作の設定に合わせ大変身しています。
・トレードマークの逆つばめ型のひげ
・上半身にパッドを入れまくり、恰幅の良い外見に
・ベルギーの英語放送を聞きまくり、フランス語訛りの英語を習得
・頭脳派の印象を強くするため、裏声に近いミドルボイスで発声
……などなど。ちなみに、スーシェは実際にはスリム体型。生粋のシェークスピア俳優で、地声はディープな低音です。
※注意:以下『名探偵ポワロ コックを捜せ』のネタバレに触れています。
シャーロック・ホームズとの比較
エルキュール・ポワロは、シャーロック・ホームズと並んで最も知名度のある探偵の一人です。そしてポワロは、先輩格のホームズの影響を強く受けています。
ホームズの活躍時期は1890年前後から1920年代で、ポワロは1930年代から1950年代。ホームズの原作者コナン・ドイルは1859年生まれで、ポワロの原作者アガサ・クリスティーは1890年生まれですから、名探偵たちの活躍時期にも30年の開きがあります。
ホームズは細身で、エキセントリックな一匹狼タイプ、才気走った行動派でもあります。ポワロは小柄なぽっちゃり系で、きれい好きの美食家、行動派というより頭脳派です。ただし、どちらも洞察力と推理力がずば抜けていいて、プライドが高い。ポワロは風変わりな外見で訛った英語を話すので、ユーモラスで周囲に警戒心を与えないおちゃめさがあります。
そんなポワロの口癖は「灰色の脳細胞(grey cells)を使え」です。つまり断片的なものを細かく観察し、推理力で謎解きをしなさいということです。現実の探偵でも、それは痛感します。現実の調査で、事件の全体を分かりやすく説明した説明書が出てくるわけがないので、点と点から線につなげていく推理力と洞察力は絶対に必要なスキルだと思います。
刑事をコーチングする探偵
『コックを捜せ』の冒頭では、相棒のヘイスティングス大尉が新聞を見て、銀行の横領事件の案件を調べてみようとポワロに提案します。しかしポワロは、国家的な重大事件しかやらないので提案を却下。そんなとき、依頼者のトッド夫人が飛び込みでやってきて、失踪した使用人のコックであるイライザの所在調査を依頼します。ポワロは「家庭内の問題は扱いません」と断りますが、トッド夫人の圧力で引き受けることなります。
現実の探偵としても、ポワロの生きざまや調査論には学ぶところが大きい。日本の探偵は浮気調査を多く扱っていて、それが重要でないとは言いませんが、国家的な重大事とは言い難いでしょう。常に難事件の解決に挑む姿勢や、警察をコーチングするほどの捜査力の獲得を意識していないと、探偵としての社会的な意義が認知されない部分があります。
ポワロとジャップ警部の絆
ポワロにはヘイスティングスという相棒がいますが、スコットランドヤードのジャップ警部との絆のほうが強いようです。ゆえに『名探偵ポワロ』は、ポワロとジャップ警部のブロマンス(男同士の熱烈な友情)ものだと言う評論家もいます。
ポワロは警察ではお手上げの難事件を解決できる名探偵であり、ジャップ警部もそれを認めています。そして、ポワロは常にジャップ警部からどう見られているかを気にしています。そのため、ポワロは「トッド夫人の依頼を受けた事を、ジャップ警部にだけは知られたくない」とヘイスティングスに懇願します。
家事事件ばかりをやっていると、世間や警察からは軽く見られる傾向があります。ポワロにはプライドをかけて、重大事件の解決のために全力を尽くしたいという思いがあるのでしょう。探偵をやっている以上、どうしても警察と比較されます。探偵だが警察よりも能力が高い、と思われるのが探偵の理想です。
ポワロの聞き込み術
現実の探偵の格言では「聞き込みの相手を絶対に怒らせるな」というものがあります。探偵には、逮捕した上での取り調べはできません。被取材者への任意の事情聴取が基本です。被取材者が非協力的だとしても、探偵が逆ギレすれば相手が余計に反発して、それ以上の成果は得られません。
ポワロは、いつもソフトで丁重な態度で聞き込みをします。階級社会の要素が強い時代設定ですが、当時は蔑視されていた労働者階級の人々にも最大限の丁重な対応をします。例えば、トッド夫人の自宅でメイドのアニーに取材するとき、ポワロは椅子を引いて彼女を着席させます。そして「あなたは大変、知的なお嬢さんとお見受けします」と挨拶します。アニーはそれに感動して、一瞬でポワロに好感を持ちます。
犯人が“ある荷物”の転送手続きをした荷物係への聞き込みでも、横柄な態度を取る荷物係にヘイスティングスがイラつき口論になりますが、ポワロは決して怒らず「あなたがたは、大変責任のある重要なお仕事をされています」となだめます。その結果、ポワロを気に入った荷物係から、犯人の逃亡先を予測する上で鍵となる重要な証言を導き出すことができました。
人間キャリーケース
『コックを捜せ』に登場する犯人は、銀行の資金を横領し同僚を殺害した上で、その同僚に横領の罪をかぶせて海外逃亡を図ります。しかも下宿先のコックであるイライザをたぶらかして転居を勧め、キャリーケース(トランクボックス)を遺体処理の偽装工作に利用するのです。
2019年末、日産元会長のカルロス・ゴーン氏の逃亡事件でも、人間を運ぶキャリーケースが登場しました。逃亡を幇助したとされる人物はミュージシャンになりすまし、大きな楽器ケースをゴーン元会長用の人間キャリーケースとして使用しました。
人間の入ったキャリーケースは、運び出すのに3人以上の力が必要です。劇中、配送員から「めちゃくちゃ重くて3人がかりで運んだ」らしいとメイドのアニーから聞かされたポワロは、瞬時にイライザのトランクボックスが人間キャリーケースとして利用されたことに気づくのです。
以上、現役探偵ならではの『名探偵ポワロ』の見どころをお伝えしました。ぜひ本作を探偵目線で観てみてはいかがでしょうか。
文:小山悟郎
『名探偵ポワロ』シリーズはU-NEXTほか配信中
『名探偵ポワロ』
ミステリの女王アガサ・クリスティーの代表作「名探偵ポワロ」の主人公エルキュール・ポワロをイギリスの名優デビッド・スーシェが見事に演じ、世界各国から称賛を浴びている海外ミステリTVドラマの最高傑作。日本では1990年からNHKで放送され、熊倉一雄の吹替え版もお馴染みの大人気海外ドラマシリーズ。
制作年: | 1989 |
---|---|
監督: | |
出演: |