これぞ最大のエンターテインメント! スポーツという筋書きのないドラマ
私はかれこれ20年余り、サッカー・プレミアリーグのロンドンのチーム「アーセナルFC」の試合をほぼ全部見ている。2020年2月の終わり、UEFAヨーロッパリーグ、ラウンド32・2ndレグ、アーセナルFC対オリンピアコスFCの試合終了のホイッスルを聞きながら、空も白み始めた朝方に、私は呆然と部屋の中で立ちつくした。
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アーセナルは延長後半113分にオーバメヤン(俺のオーバ!)が、劇的なバイシクルシュートでゴールを決めて、ラウンド16の切符をほぼ手中に収めた。アーセナルは、プロサッカーの最大のタイトルとも言えるチャンピオンズリーグ(以下CL)出場から3年間遠ざかっており、このヨーロッパリーグで優勝することが、来期CLに出場するために、最も可能性がある方法だった。昨年は決勝で、一昨年は準決勝で負けた。
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私はInstagramにアップするために、オーバの華麗なシュートを画面撮影した。「興奮のコメントをなんと添えようか」、そんなことを考えていた時だった、延長後半120分オリンピアコスのゴールが決まり、アーセナルと私の希望は一瞬で露と消えた。<DAZN>のアプリをブチりと停止する。やり場のない怒り。悲しみ。どうしてわざわざカネを払い、朝方まで起きてこんな嫌な気分を味わわなければならないのだろう?
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その試合を最後に、新型コロナウイルスの影響でプロスポーツの興行は中断された。映画サイトでこんなことを言うのもなんだが、私の最大の映像娯楽はスポーツ中継だ。筋書きのないドラマにこそ「視聴の義務」を駆り立てられる。生で見なければ爆発的な興奮に出会うこともできない。しかし、実際には「理不尽な失望感」を味わうことの方が多いのだが。
見れば見るほどフラストレーションが溜まる「受難」の物語
ヨーロッパサッカーの中断に呼応するように、Netflixオリジナルのドキュメンタリー『サンダーランドこそ我が人生(原題:Sunderland ‘Til I Die)』の第2シーズンが始まった。2018年に放送された第1シーズンは、10年ぶりに2部に降格したイギリス北東部のフットボールチーム「サンダーランドAFC」の、1部復帰を目指す2017-2018シーズンを追った。第2シーズンは2018-2019シーズンの顛末である。ちなみにヨーロッパサッカーは8月から始まり5月で終了するため、このような年をまたいだシーズンの表記になる。
ネタバレになってしまうが、このドキュメンタリーは見れば見るほどフラストレーションが溜まる「受難」の物語だ。古豪チームの2部リーグ落ちを機に、密着取材を開始したのが本作であるが、まさかここまでチームが悲惨な状況に陥ることは想像していなかっただろう。
考えてみると不思議なドキュメンタリーだ。世界的にそれほど有名ではないサッカーチームに、大変な労力をかけて「行き当たりばったり」で長期取材を敢行しているのだから。取材対象はオーナー、チームエグゼクティブとその右腕たち、チケット係の女性たち、広報、食堂のおばちゃん&おじちゃん、選手といったチーム関係者。さらにシーズンチケット保持者の数組の熱烈なファンたちだ。ほとんどが地味な市井の人たちである。これで鑑賞に耐えうるドキュメンタリーが作れるのか、普通なら不安になるだろう。しかも、けっこうな制作費がかかっている。
ヨーロッパの典型的な「サッカー信仰」を描くのにサンダーランドはうってつけの素材だった
しかし、制作者には苦難に陥ったサンダーランドAFCに密着すれば、イギリスらしさを体現するものを描き出せる確信があった。それは「信仰」だ。ファンの一人が言う。「サンダーランドは労働者階級の街であり、市民の生活は楽ではない。そういう街の娯楽はサッカーだ。サンダーランドAFCはライフラインだ」――原題の「Sunderland ‘Til I Die」は、サンダーランドファンの合言葉である。チームは市民の唯一の生き甲斐だ。それにしても、なんと面倒臭い合い言葉だろう。
ヨーロッパのサッカー熱は、歴史に根ざしている。産業の利権を所有する為政者によって、都市間に貧富の差が生まれる。当然、両者は対立する。サンダーランドAFCは、同じタイン・アンド・ウィア州に本拠地を置くニューカッスル・ユナイテッドFCと長年のライバル関係にある。1898年から続く両者の対戦は「タイン・ウェア・ダービー」と呼ばれ、歴史的な経緯から非常に盛り上がる試合として知られ、特に20世紀中は極めて暴力的な事件が頻発する試合の一つであった。
もちろんサンダーランドAFCは「貧しい側」の代表だ。サンダーランドのチームエグゼクティブは言う。「サンダーランドと言うと、“ああ、あのEU離脱に賛成した貧しい人たちの街ね”と言われてしまう」と。しかし、サンダーランドは貧しい街かもしれないが、サンダーランドAFCはビッグクラブだ。本拠地の「スタジアム・オブ・ライト」は巨大で美しい。練習場などの施設も充実していて、下位リーグに所属してはいけない規模のクラブだ。ビッグクラブだからこそ、このドキュメントではその悲惨さが際立つ。ヨーロッパの典型的な「サッカー信仰」を描くには、サンダーランドAFCは、うってつけの素材なのだ。
チームスポーツは信仰に不可欠な「祭」と「神」という二つの要素を有している
しかし、考えてみると滑稽である。ボールゲームなど人間が勝手にルールを考えたレクリエーションに過ぎないのに、その遊戯に人生を投影し生きる糧としているのだから。だが、ボールゲーム、特にラグビーとサッカーは原始的な「祭り」の非常に洗練された形なのだと思う。日本でも御神体を奪い合うような祭りは今でもたくさん残っている。そして「神聖さ」を実感できる唯一の方法は「勝負」だ。勝敗は「神のみぞ知る」のだから。「祭り」は「戦い」でなくてはならない。
さらに信仰の対象は個人ではなく「チーム」のような概念でなければならない。概念は不死であり穢れを知らない。つまりは「神」と同じだ。チームスポーツは、「祭」と「神」という信仰に不可欠な二つを、非常に機能的に有している。『サンダーランドこそ我が人生』は、情熱を傾けるものなしでは生きられない人間と、それなしでは活力を失ってしまう人間社会の、不思議さと滑稽さを描き出している。チームの浮沈によって、心から喜んだり、涙を流して落胆する人々の姿を見ていると、その意地らしさに、こちらまでなんだか泣けて来る。
最後に、これは非常に重要なことだから面倒臭さがらず聞いて欲しい。「サンダーランド」は、敢えてカタカナ表記すれば「サンダランド」だ。アクセントは「サ」に合って「ダ」ではない。Netflixの日本語吹き替えも、まるで「ブラックサンダー」みたいに発音していたが、イングランド・フットボールファンからすると非常に不本意なので注意して欲しい。
文:椎名基樹
『サンダーランドこそ我が人生』はNetflixで独占配信中
『サンダーランドこそ我が人生』
プレミアリーグから降格したイングランドのサッカークラブ、サンダーランド。新たに挑んだ2017-18シーズンで、1部復帰を目指すチームの戦いぶりを追う。
制作年: | 2020 |
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