Netflixがあの村西とおるの半生を題材に選ぶなんて
すげえ! なんて画期的なんだ。ついに日本にこういう作品が現れたか。その場所はNetflixだった。そりゃそうだ、納得だ。Netflixのオリジナルドラマ『全裸監督』は潤沢な予算のもと、まっすぐに作品作りに向き合ったドラマだ。多くの人がそういう作品を求めていたであろうにも関わらず、なかなか日本では実現しなかった。閉塞した日本の映像エンターテインメント界に、きっと大きな風穴を空けるだろう。
『全裸監督』は、一世を風靡したAV監督・村西とおるの半生を描いた、本橋信宏の同名のノンフィクション本(2016年出版)が原作である。制作に莫大な予算をかけるNetflixが、あの村西とおるの半生を選ぶなんて。思い切りが良すぎだ。しかし、ドラマの第1話を見て「なるほど」と思った。日本のAVはアジアに多くのファンを抱える、最も巨大な経済規模を持つ“裏クールジャパン”であり、Netflix作品として世界配信するのにピッタリのテーマである。
そして、こうも思った。『全裸監督』で日本版の『ブレイキング・バッド』(2008年~)を作ろうとしているのではないか……。『ブレイキング・バッド』は数あるヒットドラマの中でも、最高の中の最高傑作で、もはや伝説的とすら思える。クリエイターなら誰だって、あんな作品を作りたいではないか!
『全裸監督』=『ブレイキング・バッド』説
『ブレイキング・バッド』は、普通の理科教師が覚醒剤の密造によって大金を得て、のし上がっていく様を描いたドラマだが、Netflixの『全裸監督』も、妻が他の男とセックスするのを目撃したことをきっかけに、いち営業マンだった村西とおるが“ブレイキング・バッド(道を踏み外す)”することを決意し、ドラッグ=エロ、いわば欲望産業でのし上がって行く様を描く。
ノンフィクション本を原作とし、ドラマの冒頭にも「Based on true story」と銘打たれているが、脚本は原作を見事にエンターテインメント化している。原作どおり残っているのは、素晴らしい作品タイトルと、村西とおると黒木香のキャラクター、そして欲望産業でのし上がっていこうとする餓狼たちの熱気だ。本の中の印象的なエピソードはうまく分解され、ストーリーの中に散りばめられている。
原作本の魅力は、村西とおるらAVメーカー<クリスタル映像>の面々の他に、後に英知出版/白夜書房を設立するごく普通の若者たちが、エロによって成り上がる痛快なサクセスストーリーにある。そうしたサクセスストーリーこそが、最も1980~90年代の東京の熱気を感じることができる。『ブレイキンング・バッド』のような刺激的な成り上がりのストーリーを、現代日本を舞台に生き生きと描き出そうとした時、『全裸監督』はうってつけの作品だったのではないか。
『全裸監督』の原作本はAVによって成り上がっていく記録だが、ドラマではエンターテインメント化するために“裏ビデオ”という違法な世界が交わってくる。すると『ブレイキング・バッド』の<覚醒剤工場>にあたる、<裏ビデオダビング工場>が描かれる。裏ビデオをシノギとするヤクザが敵対勢力となり、そこに警察が絡んでいく図式は、特に『ブレイキング・バッド』を彷佛とさせる点だ。
まあ「『全裸監督』=『ブレイキング・バッド』説」は私の希望的な邪推でしかない。ただ、この作品は“ブレイキング・バッドしよう”という気概に満ち溢れている。コンプライアンスやコードや、慣習をぶち破ろうとしている。
脚本は命! 『ナルコス』脚本家チーム仕込み
『全裸監督』のエンドロールには、脚本家が数人クレジットされている。制作チームは脚本制作にあたって、同じくNetflixのオリジナル作品である『ナルコス』(2015年~)のスタッフを呼んで、脚本作りのワークショップを開いたという。海外ドラマは大抵、数人の脚本家が担当している。
本橋信宏の別の書籍「新橋アンダーグラウンド」に、松本清張賞を受賞した小説家・山口恵以子が登場する。彼女は脚本家を目指し「家政婦は見た」などのプロットを多数作ったという。しかし、もらえるギャラは5万円弱。ときには踏み倒されることもあったらしい。名前もクレジットされない(プロットさえあれば「家政婦は見た」のようなキャラが確立されている作品は、できたも同然ではないか!)。脚本は作品の命だ。そんな状況では制作プロジェクトは動脈硬化を起こすだろう。
規格外のNetflix、ピエール瀧の出演と陰毛の表現
そして『全裸監督』にはピエール瀧が出演している。シレっと出ている。“上映中止”とか騒がれたあの騒動は一体何だったんだ?『麻雀放浪記2020』(2019年)が上映を決定した時、あれほど話題になり議論がされたのに、なんで今回の出演は話題にならない? なんのための報道? 良識とは何?
それまで薬物違反者は“パブリックエネミー”でしかなく、皆でよってたかって非難するばかりだったが、ピエール瀧の逮捕後は、作品上映の中止やCDの出荷停止について疑問の声が上がり、様々な議論がなされた。常識の変化が見られた。なんとエポックな逮捕だったろうと思っている。
ピエール瀧が、常識を揺さぶるエポックメイキングな『全裸監督』に出演しているのは偶然である。しかし、この作品が何かのコマーシャルのために存在しているわけではないことを象徴しているように感じる。
“コードをブレイクする”という意味では、これは本当に驚いたのだが、『全裸監督』では“陰毛”が映る。毛が映った、映らないなど下らないことだが、下らないことほど“コード”というものが際立つだろう。陰毛は紊乱者としての覚悟の表明だ。
そして、なんと言っても“ブレイク”しているのは主演の山田孝之だ。すでに押しも押されぬトップ俳優だが、この作品でもう完全に特別な存在になるだろう。ケツを出し、駅弁ファックする姿を見ているうちに、村西とおるにしか見えなくなってくる。
実際に会った村西とおるは完全に狂っていると思った
2016年に「全裸監督」が出版された時、村西とおる監督にインタビューさせていただいた。実際に会った村西とおるは、顔も身体も熊のようにでかく感じた。浅黒い肌の中の眼光は鋭く威圧感たっぷりだ。しかし、メディアで見る監督同様、物腰は非常に柔らかで、慇懃丁寧な言葉使いで私を「椎名様」などと呼ぶ。トレードマークのジェームス・ブラウンヘアが胡散臭い。そして録音機が回るや、こちらは何も訊いてないのに、監督は3時間しゃべり続けた! 私はただうなずくのみ! 完全に狂っていると思った。しかし改めて考えると、このリテラシー能力は尋常のレベルじゃない。
村西監督いわく、アメリカのポルノでは「恥ずかしい」という表現が、女性が無理矢理されているように見えるので規制される。しかし、エロスというのは恥ずかしいのに我慢できずにしてしまう、そのギャップにある。日本のAVはそのギャップを追求しているので、世界中で人気があり、音楽や映画ではアメリカに負けてしまっているが、アメリカポルノを駆逐している、という。そのAVの世界を描くドラマ『全裸監督』がNetflixで世界配信されるならば、大いに期待できるではないか。
最後に余談だが、今回、ここで使用した2ショット写真の使用許可のためにマネージャー女史に電話したところ、少し予想はしていたが、彼女が二つ返事でOKしてくれて、ちょっと笑った。日本のエンターテンイメント業界に一番必要なのは、村西監督のこのオープンマインドなのかもしれない。
文:椎名基樹
『全裸監督』はNetflixで独占配信中。
https://www.youtube.com/watch?v=VpqkS5kXogY