なぜクリスマスが「恋人同士で過ごす日」になったのか?
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日本でクリスマスが「恋人同士で過ごす日」になったのは、1980年代初頭のことだという。それまでクリスマスは家族と過ごす日だった。それがロマンチックな恋人同士のイベントの日へと変わったのだ。堀井憲一郎の「若者殺しの時代」(講談社現代新書)は、その潮目が変わった瞬間を象徴するものとして1983年12月号のananの記事「クリスマス特集 今夜こそ彼の心(ハート)を捕まえる」を紹介している。
「恋」の向こうに「家族」の絆が顔をのぞかせる『ラブ・アクチュアリー』
そんなことを思い出したのも、『ラブ・アクチュアリー』(2003年)がクリスマスを扱ったラブ・コメディだからだ。『ラブ・アクチュアリー』は、総勢19人のキャストが絡むアンサンブル・ラブストーリーで、英国首相から小学生の男の子まで、さまざまな立場の恋の様子が綴られていく。この映画の構成上の特徴は、冒頭で「クリスマスまであと5週間」というテロップが出て、その後、1週間経つごとに字幕でカウントダウンしていくという仕掛けがあることだ。当然ながらクライマックスがクリスマス・イブとなる。
『ラブ・アクチュアリー』を見ると、クリスマス・イブは大前提として家族と過ごす時間として描かれている。そういう意味では日本のお正月に近いのだろう。広く「絆を確認する日」としてのクリスマスがあり、その中に恋人たちも含まれている、という印象だ。
それは例えば、小学生のサムと継父のダニエルの物語がそうだ。サムは恋したジョアンナのために、クリスマスコンサートでドラムを頑張って演奏する。ダニエルはそんなサムを会場から応援する。ここでは「恋」と「親子」という2つの絆がうまくクロスして描かれている。あるいは英国首相のデイヴィッドが、自分の想いを告げるため、官邸スタッフのナタリーの家を探すシーンもそうだし、作家のジェイミーは家政婦だったオーレリアにプロポーズするためにマルセイユの彼女の家族の元へと向かう。どちらも「恋」の向こうに「家族」の絆が顔をのぞかせている。
クリスマス・イブをきっかけに究極の選択を迫られる『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』
一方、『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』(2019年)も、クリスマス・イブが重要な日付として出てくる映画だ。だが、こちらは家族の影は薄い。物語の焦点はイブ当日にどちらの女の子と過ごすかにある。とはいえ、そんなに浮ついた話ではなく、そこには残酷な命の選択が関わってくるのである。
ある種の時間移動が絡む物語なので、ネタバレを避けるためにも詳細は省くが、本作は、主人公の梓川咲太がクリスマス・イブに会う相手が、初恋の相手・牧之原翔子か恋人の桜島麻衣かによって、翔子が死ぬか、自分が死ぬかという運命が決まってしまうという部分が大きなポイントになっているのだ。そして、そのような選択肢を突きつけられた時、恋人の咲太を死なせたくない麻衣はどのような行動をとるのか。
そして望まぬ未来が到来した時、咲太は「もう一度、クリスマス・イブをやり直す」ことを決意する。本作のクリスマス・イブは、縺れてしまった3人の絆を、誰も傷つけない形で結び直すための、特別な時間として存在しているのだ。
『ラブ・アクチュアリー』は、ヒースロー空港で絆を確かめ合う人々の姿に「love actually is all around(愛は実際、至るところにある)」というテロップが重なるところから始まる。そして、この「愛は至るところにある」という言葉は、実は『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』のラストシーンにもまた遠く響いているのだった。
文:藤津亮太
『ラブ・アクチュアリー』と『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』はAmazon Prime Videoほか配信中