転生を繰り返し“犬世”の目的を探す犬の物語『僕のワンダフル・ライフ』
【アッチ(実写)もコッチ(アニメ)も】
『僕のワンダフル・ライフ』(2016年)は、犬が語り手の物語。開幕早々、生まれたばかりの子犬が殺処分されてしまう。「どうして自分は生まれたのか」――その疑問がずっと、この語り手の心の中にあり続ける。そしてこの語り手は、さまざまな犬へと転生しながら、この疑問と向き合うことになる。本作の原題は『A Dog’s Purpose』。このタイトルの通り、本作は「犬の目的」をめぐる映画だ。
映画の語り手は2度目の“犬生”で、イーサンという少年と出会う。犬はベイリーと名付けられ、イーサンがハイティーンになっていくまでの長い時間時間を共有する。映画は1960年代初頭からはじまって、ポイントで当時のヒット曲を織り交ぜながら、この幸福な時間を綴っていく。
だがイーサンは自宅が放火され、脚を怪我してしまう。アメフト選手としての奨学金を失ったイーサンは、彼女とも別れ、農業学校に入学してベイリーとも別々に生きることになる。そして、やがて老いたベイリーにも最期の時がくる。
ベイリーとしての“犬生”を終えた語り手は、その後も転生を繰り返す。そしてある時、捨て犬として田舎の畑の中を歩くうちに、“忘れられない匂い”に気づく。そこに住んでいたのは……。
子供の「移行対象」としての犬を描く『ユンカース・カム・ヒア』
イギリスには、こんなことわざがあるという。
「子供が生まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう」
たぶん、この青年時代に犬を失った子供は、大人になって子供が生まれたら、また犬を飼うのだろう。そして、自分が子供のころに一緒だった犬と“再会”する。だからこの映画を見ると、上記のことわざが思い出されるのだ。
一方、『劇場版 ユンカース・カム・ヒア』(1995年)は「子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう」という言葉どおりの映画だ。
物語の主人公は、小学校6年生の野沢ひろみ。彼女には秘密があった。それは彼女の飼っているシュナウザー犬、ユンカースが人間の言葉をしゃべるということだった。
映画は、ひろみの初恋の行方と、突然知らされた両親の離婚をめぐって進んでいく。初めて触れる大人の世界に翻弄されるひろみに、ユンカースは「僕は奇跡を三つだけおこすことができるんだ」と囁いて、ひろみを支える。
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児童文学などで「移行対象」と呼ばれる存在が登場する。子供が親離れをして大人になっていく過程で、一時的に一緒にいてくれる存在のことだ。ユンカースは大人の入り口にたったひろみにとっての「移行対象」として描かれている。そして「一緒にいてくれる存在」という移行対象のあり方と、人間のそばにいてくれるという“犬らしさ”がうまく噛み合って、とても説得力のあるキャラクターになっている。
犬は映画の枠を超えて人間のそばに居続けてくれる存在
『僕のワンダフル・ライフ』は、最後に“語り手”がついに見つけた「犬の目的」を語って締めくくられる。一方で『ユンカース・カム・ヒア』は、ユンカースが移行対象の役目を終えたであろうことが示されて終わる。
終わり方はそれぞれだけれど、どちらの犬も、エンドマークのあとも主人公の側に居続けるだろう。それが犬という存在なのだ。
もちろん、そうやって人間の思惑だけで犬という存在を語ってしまうのは一方的すぎるだろう(そこのバランスをとるためか『僕のワンダフル・ライフ』には犬に優しくない飼い主も出てくる)。でも、そんな“ラブレター”をしたためてしまうぐらい、人間は犬を必要としているのだ。
文:藤津亮太
『僕のワンダフル・ライフ』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年4月放送