男と女の、騙し合い。【アッチ(実写)もコッチ(アニメ)も】
「恋愛関係において好きになったほうが負けは絶対のルール。好意を認めることは敗北を意味する」
― このナレーションから始まる男女の騙し合いを描いたのが、赤坂アカによる漫画「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」だ。2019年1月からTVアニメが放送され、同年9月6日(金)からは実写映画も公開されている。
舞台となるのは、エリートたちが集う名門校・秀知院学園の生徒会。生徒会副会長の四宮かぐやと生徒会長の白銀御行は、互いに惹かれ合っていたが、自尊心が邪魔をして告白することができない。そのため2人は、その優れた頭を「いかに相手に告白させるか」という罠を仕掛けるために使うのであった。
例えば第2話のエピソード1「かぐや様は交換したい」では、御行がスマホを購入したところから始まる。御行は、自分のLINEのIDをかぐやから聞いてもらいたい。だが、もし自分からかぐやのIDを聞こうとするならば、それはすなわち下心=恋心があることの証。つまり、この戦いにおける御行の敗北を意味する。
もちろん御行が考えるようなことはかぐやも想定済み。だからこそ自分からは動かないのだ。そこで御行は、かぐやの好奇心を誘うように、自分のプロフィール写真が子ども時代のものであることを、書記の藤原千花とのやりとりの中でさりげなく明かす。
この情報に一旦は動揺するかぐやだったが、そこは冷静に、ウソ泣きと「会長はひどい人です」というセリフでカウンターを放つ。どうしてかぐやがそんなことを言ったのかは本編を見ていただくとして、このカウンターは御行に対し、確実に“ダメージ”を与えることになる。この瞬間、御行とかぐやの攻守は完全に逆転するのだ。
かくして御行とかぐやは、いかに相手の行動をコントロールできるか、という一点に自らの知力を投じ、騙し合いのバトルを繰り広げていくことになる。
夫婦の騙し合いが各々を縛る罠となってしまう『ゴーン・ガール』
対して『ゴーン・ガール』(2014年:デヴィッド・フィンチャー監督)の騙し合いは命がけだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bkkr4S7N5NI
5回目の結婚記念日に、ニック・ダンは妻のエイミーが失踪をしたことを知る。ニックは「疑惑の夫」として警察だけでなく、マスコミの関心の対象となってしまう。さらに、台所の床から大量の血液をふきとった痕跡が見つかり、ニックは「死体なき殺人事件」の容疑者として逮捕される。エイミーの日記には2人の出会いから結婚、そして幸せだった結婚生活がニックのせいで崩壊していく様が綴られており、映画ではそれもまた映像として物語の中に織り込んでいく。
ところが、エイミーは実は生きていた。すべてはニックを殺人犯に仕立てるための計略だったのだ。ここから本作は“本題”に入るといってもいい。一方「妻殺し」の疑惑をかけられたニックは、凄腕の弁護士を雇い、彼のアドバイスでトークショーに出演することを決める。そこで過去の過ちを認め、妻を愛する夫であることをアピールし、世間を味方につけようというのだ。この放送はエイミーも見ることとなり、物語は思わぬ方向に進んでいく。
本作が皮肉なのは、エイミーもニックもそれぞれの計略を成功させようとした結果、予想外の状況に陥ってしまう点だ。相手との騙し合いに勝って状況をコントロールしようとした努力に状況の変化が加わって、それが自らを縛る罠になってしまう。そこからいかに逃げ出すのか、逃げ出せないのか。ただひとつはっきりしているのは、“2人ともそれぞれのウソを突き通さざる得ない”ということだ。
その気持ちはホントかウソか? 様々な思惑が交錯する騙し合いを描いた2作品
『かぐや様は告らせたい』は「本当の気持ちを口にしたら負け」という騙し合い。それに対して『ゴーン・ガール』は「一度口にしたウソをウソと認めたら負け」という騙し合い。こうして整理してみると、この2つの騙し合いは案外似ている。
ただ大きく違うのは、『かぐや様は告らせたい』の「好き」は本当の気持ちだが、『ゴーン・ガール』の「愛している」はウソ、という一点なのだ。そして、本当の「好き」はふわふわとしてどこか掴みどころがないけれど、ウソの「愛している」は重みを持って当事者を縛ってくる確かさがある。
本当は、正直な思いを口にできれば一番シンプルだろう。でも、そうとばかりは言っていられない人が多いから、この2作を見てドキドキしたり、ヒヤッとしたりするのだろう。
文:藤津亮太