カワイイに包まれたグロ描写の「先」にあるメッセージ
※物語の設定に一部触れています。ご注意ください。
あまりにも露悪的なクマたちには面食らうが、ファンシーなパステルカラーの背景と相まって、怪しくも(ギリ)可愛らしいと言えなくはない。ところがその先には、アスリンたちが所属する軍隊のまんま『フルメタル・ジャケット』(1987年)な新兵訓練を筆頭に、『プラトーン』(1986年)か『地獄の黙示録』(1979年)のような“大ナタ振り下ろし”展開が待ち受けている。ぬいぐるみを割いたら脳みそと内臓が出てきました、みたいな切り株どころじゃない強烈ゴア描写の数々には言葉を失うだろう。
もちろん本作が観客に訴えかけるのは、そんな「カワイイ! からの予想外グロ」だけではない。かつて“約束の地”を追われ、長い偏見や迫害の果てに起こした聖戦、それを“いつまでも続けなければならない”理由……神に選ばれし種族、予言による救済、神の帰還……ファシズムを助長する宗教、❤や★に擬態した兵器、侵略による自然破壊……。映画全体を包むパステルカラーのオブラートを剥がせば、そこには明らかなメッセージがある。
テディベアとユニコーンの対比が表すもの
かつて神によって知恵を授けられたというテディベアたちは、映画を観ている私たち(人間)と同じような衣食住を営んでいて、その社会は軍国主義的。また、メインテーマである“クマ対ウマの戦争”は各キャラクターの心に潜む闇も内包しており、監督が戦争シーンと同じくらい丹念に描くのは「母の愛」をめぐるアスリン(悪)とゴルディ(善)の対立だったりする。
かたやユニコーンはほとんど“馬”そのもの。明確なキャラクターを与えられているのは幼馬のマリアだけで、まんまバンビのような彼女は「もうすぐ戻ってくるはず」という母ローラの影を求めて森の中を彷徨う。なお、ユニコーンの父親は登場せず、マリアと交流する森のウサギも3匹の子どもをもつ母親であることが分かる。
テディベアたちを過剰に可愛らしく描くいっぽうで、ユニコーンたちはまるで<©青◯剛昌>みたいな怪しい黒ずくめ姿。しかし、テディベア(男性)が侵略しようとする森を守っているのはユニコーン(女性)であり、彼女たちが象徴するのはもちろん「平和」だ。要するに、“嫉妬深いユニコーンたち”によって奪われた森とは、“賢明なる選ばれしテディベアたち”の中にしか存在しないのである。
刷り込まれた優生思想、信仰を依り代にした殺生の正当化、報復の恐怖による侵略と種族(民族)浄化……。無理やり例えるなら“後出し『プロメテウス』”みたいなラストシーンはびっくりしすぎて逆に笑ってしまうかもしれないが、安易な救済を用意しなかったところにもバスケス監督の本気を感じる。あくまでベースはユルかわアニメなので、実写のグロ耐性がない人にもぜひ観ていただきたい傑作だ。
『ユニコーン・ウォーズ』は2024年5月25日 (土) よりシアター・イメージフォーラムにて先行公開、5月31日 (金) よりTジョイPRINCE品川ほか全国順次公開