「あの役」を「あの俳優」が演じていたら…
有名な映画の印象的な役をある俳優が演じている。観ている側にとってはその役の印象は演じているその役者の印象と不可分なものだ。……だが、実はその役には別の俳優が演じる可能性があった、ということは往々にしてあるもの。
もちろん、単純にオーディションの結果、役を得られなかった俳優が、その後大スターになって後から「本当はあの映画のあの役では最終段階まで候補だった」ことが話題になるとか、出演をOKしていた著名スターの起用をプロダクションの予算の都合で断念したというようなケースはままある。
前者だと、ロバート・デ・ニーロは『ゴッドファーザー』(1972年)のソニー役(結果的にジェームズ・カーンが演じた)の有力候補で、オーディションの映像も残っているが、結果、1作目では役はもらえずに、その代わりに『ゴッドファーザーPART II』(1974年)の若きヴィトーの大役に抜擢されている。
ROBERT DE NIRO's audition tape for the part of Sonny Corleone in THE GODFATHER (1972). pic.twitter.com/rUVHxm9tTC
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後者の例だと『地獄の黙示録』(1979年)のスティーヴ・マックイーンの例があまりにも有名だ。
『地獄の黙示録』最初のキャスティング・プランとは?
マックイーンは『地獄の黙示録』でウィラード大尉役を演じることに同意したものの、拘束日数とギャラとの兼ね合いで断念したフランシス・フォード・コッポラ監督が、代わりに主役に起用したのがハーヴェイ・カイテルだった。だが、カイテルを迎えての撮影を実際に開始した後に再び主役交代を決意し、マーティン・シーンが選ばれたというのは有名な話。
筆者が編集者を務めた「日本ヘラルド映画の仕事 伝説の宣伝術と宣材デザイン」(PIEインターナショナル:2017年)という本には、ウィラードを演じていたカイテルの写真や同作品にヒッピー然としたフォトグラファー役で出演しているデニス・ホッパーが筆者に提供してくれたオフ写真(完成作品には残らなかったグリーン・ベレー時代の扮装のホッパー)が掲載されている。
実は、『地獄の黙示録』ではほかにも当初は完成品とは全く異なるキャスティングが計画されていた。ホッパーが演じたフォトグラファー役は最初はロバート・レッドフォードにオファーされていたし、ロバート・デュバルが演じていたキルゴア中佐役は当初はジーン・ハックマンの予定だった。
Robert Duvall on the set of APOCALYPSE NOW (1979). pic.twitter.com/TU16ZaYf2H
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また、プランテーションを経営していたフランス人夫婦役で出ていたホッパーの友人クリスチャン・マルカンとオーロール・クレマンは、編集段階で出演シーンがすべてカットされてしまったのだが、後に『地獄の黙示録 特別完全版』(2001年)で復活している。
ともあれ、当初のキャスティングのまま作られていたとしたら、ブランド、マックイーン、レッドフォード、ハックマンという4大スター競演ということになっていた(その中で最終的に残ったのはブランドだけだった)わけで、空想してみただけでもため息が出る。
『ゴッドファーザー』の親子は『スーパーマン』でも共演予定だった?
ところで、『地獄の黙示録』は製作年としては1979年となっているものの、実際には撮影は1976年に行われていて、公開が遅れたのは編集段階でのコッポラの苦悩と格闘のなせるわざだった。
マーロン・ブランドは、1972年に『ゴッドファーザー』のヴィトー役に抜擢された時点ではスター・ヴァリューを失った過去の人扱いだったのだが、『ゴッドファーザー』で不死鳥のごとくハリウッドの最重要俳優の座に返り咲いた。そして、『ゴッドファーザーPART II』ではラストの回想シーン(ヴィトーの誕生日に皆で集まるシーン)の撮影にも呼ばれていたものの顔を出さず、そのシーンはブランドなしで撮影された。
……コッポラがその次に製作・監督したのが『地獄の黙示録』で、ブランドは再び出演をOKして撮影現場のフィリピンに現れたものの、でっぷりと太っていて、しかも台本はろくに読んでおらずコッポラを唖然とさせたという。
ブランドが『地獄の黙示録』の次に出演したのが、大作『スーパーマン』(1978年)で、クリプトン星のジョー=エル(スーパーマンの父親)役での短い出演だったが、実はこの『スーパーマン』の主役であるカル=エルことスーパーマン(=クラーク・ケント)役、本当はクリストファー・リーヴではなく、ジェームズ・カーンにオファーされていた。
もちろん、ブランド(父)とカーン(息子)の親子関係は『ゴッドファーザー』と同じ設定なわけで、プロデューサー側も当然ながら『ゴッドファーザー』との連続性が話題になることを計算したのだろう。
だが、カーンはこの主役を断った。訝しく思ったブランドがカーンに電話して「ジミー、なぜ断ったんだ?」と尋ねた時に、カーンはこう言ったという。
「だって、いい歳してあんなタイツなんか履いてられないよ!」
You know, James Caan was considered for the role of Superman in the 1978 film. pic.twitter.com/XxMazvJeF4
— James Pethokoukis ⏩️⤴️ (@JimPethokoukis) January 11, 2023
『BTTF』『御用金』ほか撮影開始後に主役交代となったケース
ハーヴェイ・カイテルからマーティン・シーンに主役が交代となったように、実際に撮影が開始されてからの主役交代劇というのも意外とたくさんある。
マイケル・J・フォックスを一躍人気者にした『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)は当初、エリック・ストルツ主演で何週間も撮影を進めていたが、雰囲気がやや暗いとの理由で交代になったようだ。現在、『BTTF』トリロジーのBlu-rayセットやWEB上では、エリック・ストルツ版『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の幻の予告編映像なども見ることが出来る。
Eric Stoltz is a great actor, no question about it, but he just didn't have the cuteness and humor of Michael J Fox in BACK TO THE FUTURE
— Hollywood Horror Museum (@horrormuseum) March 2, 2023
And after 5 weeks of shooting, they had to let Eric go. Here is some of the rare footage. pic.twitter.com/ChZPVJKmSN
日本映画で有名なケースだと、『御用金』(1969年)、『影武者』(1980年)、『天と地と』(1990年)の例がよく知られている。
五社英雄監督の『御用金』はフジテレビが初めて劇映画製作に進出した作品で、仲代達矢、三船敏郎、丹波哲郎の三大スターの競演作として極寒の下北半島でのロケ撮影が開始され、三船の出演シーンは8割がた撮影が終わっていたものの、仲代と三船の大喧嘩が勃発し三船は降板してしまい、代役として急きょ中村錦之助が出演して完成にこぎつけた。
黒澤明監督の『影武者』のケースでは、黒澤監督と主演の勝新太郎(武田信玄役)の初めての顔合わせが大きな話題となっていたものの、勝新が自らの出番のシーンをビデオに撮って確認したいと申し出て、黒澤監督がこれに激怒したことから勝新は降板させられ、仲代達矢への交代となった。
角川春樹監督の『天と地と』はもっと単純な理由で、主役の渡辺謙(上杉謙信役)がカナダのカルガリーでのロケ中に急性骨髄性白血病に倒れたため、急きょ榎木孝明へと主役が交代された。
幻に終わった夢の競演「ダブル・ダブルオーセブン(007)」
初代ジェームズ・ボンド=007と言えば誰もが知るショーン・コネリー。第5作目の『007は二度死ぬ』(1967年)で一旦勇退したものの、二代目ジョージ・レーゼンビーが一本だけでの降板を決めたため、急きょあと一作品だけということで第七作目の『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971年)に出演したが、その後は同シリーズの製作会社イオン・プロと距離を置き、プロデューサーであるアルバート・R・ブロッコリとの確執が囁かれていた。
だが、コネリーはボンド役自体には愛着を持っていたようで、第四作『007/サンダーボール作戦』(1965年)の権利を保有していたプロデューサー=ケヴィン・マクローリーが同作品のリメイクとして製作した『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983年)では老境に差し掛かったボンドとして久々に登場し、本家イオン・プロの『007/オクトパシー』(1983年)の三代目ボンド=ロジャー・ムーアとの直接対決が興行上の話題となった。
1983 was the "Battle of the Bonds" — two competing 007 pictures hit theaters that year, one with Roger Moore, the other starring Sean Connery. We review the history (and why there's no real clear-cut winner): https://t.co/Y3KLh8watQ pic.twitter.com/TKY05IH5eX
— Screen Rant (@screenrant) April 30, 2021
さて、コネリーとムーアが私生活ではとても親しい友人だったのはよく知られている。コネリーはムーアに対して、「君の演じるボンドは僕のパロディの様に見える」といつも言っていたそうだが、香港資本のアクション・コメディ『キャノンボール』(1981年)ではムーアがボンド役のパロディを演じている。
実は、この映画の企画段階で、コネリーとムーアは、お互いに「自分こそが本物のジェームズ・ボンドだ」と言い合う役で共演したら楽しいよね、と話し合っていたと言われている。結果的にそれは叶わなかったのだが、おそらくはボンドによく似た役での登場なら問題ないものの、互いに「俺こそボンドだ」と言う台詞が出てきてしまうとイオン・プロの許諾が得られないということだろう。
Roger Moore and Sean Connery photographed by Ron Galella, 1982 pic.twitter.com/inx2AQ2eXU
— 𝙉𝙤𝙨𝙩𝙖𝙡𝙜𝙞𝙖. (@Dear_Lonely1) September 11, 2022
もう一つ、晩年のコネリーが本家イオン・プロの007シリーズ『007/スカイフォール』(2012年)にゲスト出演する案も検討されたが、これも実現しなかった。役柄は、ボンド(ダニエル・クレイグ)が育った屋敷=スカイフォールの猟場管理人キンケイドで、結果的にアルバート・フィニーが演じている。
この時、コネリーはまんざらでもなかったと伝えられているが、サム・メンデス監督が「コネリーがボンド役以外で出るのはありえない」と考え、話は立ち消えとなってしまった。ファンの立場としては、そうは言っても絶対に見たかった!
文:谷川建司
『スーパーマン』『キャノンボール』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2023年4月放送