世界最大規模の「知の殿堂」
この図書館では、図書以外にも市民へのサービスも数多く用意されている。必ずしも本とは縁がなさそうな老人や幼児へのサービスも目につく。これ自体、図書館機能が最大限に達したときには、平凡ながらあらゆる人生の過程にある者たちへの配慮にたどり着くことを窺わせてくれる。
筆者自身、定年で辞めた勤務先で1年間のサバティカル(使途制限なし)休暇を得たとき、普段記事を読んでいる記者に同行して取材現場に立ちあいたいと願いでた。当時の私は、アメリカ西海岸の定点観測のためにロサンゼルス・タイムズ、中西部の観測にシカゴ・トリビューンとセントルイス・ポスト・ディスパッチ、南部観測にアトランタ・コンスティテューション、東部観測にニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストを購読していた。その中の幾つかのメディアで興味を持った記者の取材現場へ同行し、興奮した経験がある。そこで休みとなる期間、1カ月ごとに合計12の新聞記者に貼り付き、取材現場を見る興奮はさぞ痛快だろうと考えたのだ。
ニューヨーク公共図書館は、拠点となる本館を軸に、市内に4つの研究図書館、地域に密着した88の分館を合わせた92の図書館のネットワークを形成している。これだけ大規模な図書館だけに、利用の選択肢も多岐にわたる。旅行者のための観光名所と化している1911年に竣工した大理石作りの本館は、いわば図書館の「恐竜状態」となっている一面もある。
先に触れたサバティカル休暇の顛末だが、この1年間は一切原稿を書くなと言われて断念することとなった。執筆を禁じるという組織の判断は、痛快な行動を封じる馬鹿げた制限だと思い、怒りと共に権利を返上した。この映画を観て、サバティカル休暇断念の記憶が思い出され、図書館機能自体が同様の体たらくに堕することへの懸念を抱いた。
格差是正の先にある「日課」の形成
とはいえ、図書館を運営する者たちの気概は、敬意を表してあまりあるものだと思う。利用する側にとっては、図書館はあくまで自身の目的にかなうかどうかで価値が決まるわけだが、最大限その機能を発揮できるためにはあくまで予測値で機能充実を図るしかない。利用者や観光客が決して目にすることの出来ない図書館運営の舞台裏、会議のやりとりから、図書館員たちの日々の苦労がひとひしと伝わってくる。
彼らの気概はかなり特殊だ。ネット難民を減らすためのインフラの提供、黒人をめぐる社会環境などに特化した黒人文化研究図書館など、一般的な図書館の業務の域を超えるはみ出し部分が、地元で暮らす高齢者や幼児、社会的弱者への配慮、市民生活への貢献に通じるのかもしれない。巨大図書館の様々なセクションを紹介しながら、巧みな編集によって、より良い図書館作りを目指す図書館員たちの白熱の会議がインサートされる。この描写こそワイズマンならではの伝達力だと言えるだろう。
世界最大級の図書館ネットワークを維持できるのは、明らかに公共奉仕の精神が基礎になっている。家賃の高さでは悪しき定評があり、世知辛いニューヨークでは、市民を支配する蓄財意識に拍車がかかり、残りの人生と蓄財の膨大な額との格差を是正できる場としても、こういう図書館こそ「是正」の絶好の対象なのかも知れない。
片方4名で座れる座席で図書館内の本を読めば、その日は充実した1日となることは請け合いだろう。おまけにカルテットの演奏や、滅多にお目にかかれないミュージシャンや著名なアーティストたちが登場したり、あまたの楽しみが用意されている。いわば、定年後サバティカルに必修事項となる「日課」の形成にもこの図書館は確実に手を貸してくれるのだ。
文:越智道雄
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は2019年5月18日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
世界で最も有名な図書館のひとつ その舞台裏へ。
巨匠フレデリック・ワイズマンの傑作ドキュメンタリー。
制作年: | 2016 |
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監督: |