『戦メリ』だと思ってたのに…日本中がズッコケた『楢山節考』のパルム・ドール受賞
元号が「令和」になったとたん2019年の5月は10連休!連休明けて5月14日からは第72回カンヌ映画祭だね。フランスのコート・ダジュールのレッドカーペットを映画に全く関係ない姉妹が歩く姿だけはゴメンだけども、ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭、日本アカデミー賞と並ぶ世界3大映画祭(日本アカデミー賞は除く)だから世界中の注目が集まるよね。
師匠か教授か!? 友情を分かつほど傾倒した『戦メリ』の師匠は最高!
玉袋筋太郎は全く関わりがないんだけども、カンヌの思い出といえば1983年の大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』だね。ゴリゴリのビートたけし信者だったオレだから、木曜深夜の「ビートたけしのオールナイトニッポン」で語られる『戦メリ』のロケ地のラロトンガ島エピソードに大爆笑してね。「ラロトンガ島は台風で島が流されると島民皆でバタ足で島を押して戻す」とか「大島監督がオープニングシーンに登場するトカゲにキューを振って、終いにはトカゲにどこの事務所だ!って怒鳴ってた」とか夜中に大爆笑してたんだよなぁ。そしてなにより“オレたちのたけし”が大島渚監督で共演はデヴィッド・ボウイ、坂本龍一って凄すぎるキャスティングで、作品に重要な役柄であるハラ軍曹として起用され、そして全世界的に公開されるって事が、本当に誇らしかったんだ。
あの当時の師匠が表紙絵になった「ぴあ」は未だに保存中だ。『戦メリ』の初日挨拶は高校サボって渋谷パンテオンに観に行って大興奮したしなぁ、当時の学友のゴリゴリのYMOファンの奴も一緒で、たけしと教授どっちがかっこよかったかで観終わったあと大喧嘩したりしたよ。
オレの言い分の「最後のたけしのアップの顔見ろよ!アレで坂本龍一にもデヴィッド・ボウイにも勝ったんだよ!バカ野郎〜」で八百屋の息子と左官屋の息子のクセしてYMOにカブれてた奴らを一喝したが、粘る奴らは「そこにオレたちの教授のテーマが流れるんだから、たけしのラストもあの教授の曲があってこそだ!」と返してきて、渋谷パンテオン前で決裂!高校卒業まで奴らとは二度と口をきかなかった!
『楢山節考』という傑作を蔑んでたオレは、“人間”を何も解っていない大馬鹿者だった!
そしてパルム・ドールを本命視された『戦メリ』。カンヌ映画祭には監督、スタッフ、出演者、師匠以外ほとんど乗り込んで、発表前からお祭り騒ぎ。当時オレも心から『戦メリ』が受賞して欲しいって思っていたけど、なんとパルム・ドールは今村昌平監督の『楢山節考』が受賞して全員がズッコケたという顛末。
『楢山節考』は、山深い貧しい部落の因習で、年老いた母を楢山へ捨てにゆく物語。
まぁ『戦メリ』の初期のキャスティングには緒形拳さん(『楢山節考』主演)が挙がっていたのもなにか運命的なものを感じさせるが、ビートたけし原理主義者であった当時のオレが『楢山節考』を「あんな貧乏クセェ山村の暗そうな映画なんか見てたまるか!」と目の敵にするのは当たり前の衝動で、カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞したにも関わらず、当時、大麻騒動に巻き込まれてピースサインを上げて喜んでいた坂本スミ子に対し「坂本スミ子は上げたピースを口に持っていって大麻吸った!」なんていうギャグに「ざまぁみろ!『楢山節考』!」と拍手喝采していた青かった高校時代のオレは、極貧な寒村で暮らす土臭い飢えた村人たちの物語に『戦メリ』のようなスタイリッシュに世間を巻き込むようなエネルギーを感じることがなく『楢山節考』を蔑んでいた。本当に今思い返せば恥ずかしい!
しかし、そんな『楢山節考』を観る日も来るんだ。高校のガキの頃から自身の生活環境が変わってから観た時、ただただ『楢山節考』に土下座しかなかった!蔑んだ自分を本当に恥じ、本当に申し訳ございませんでした!という気持ちにしかならなかったんだよ。もちろん木下恵介版も素晴らしい作品だが、今回はカンヌということで今村昌平版『楢山節考』について思うことを書いている。
最初に観たのは恥ずかしながら26歳で結婚したときだったと思う。自分に家族が増えた時に偶然見たんだな。気ままな独身時代には感じることが出来なかった家族の事やらを考えさせられ、こんな傑作を蔑んでたって本当にオレは、人間というものを何も解っていない大馬鹿者だった!と反省。原作・深沢七郎のデビュー小説にして大傑作の『楢山節考』はご存知の通り「姥捨て」の物語である(映画では「楢山まいり」)。しかし、「姥捨て」は自分にとって遠い先の話だと思っていたし、都会暮らしの自分が、この物語に出てくる村のような姥捨てなど無関係だと思っていた。
『楢山節考』は、現在のオレの思考と嗜好とのシンクロ率120%
映画で描かれる寒村、四季、飢え、情交、親子、動植物、って今現在、オレが興味を持って観ているその系列のTV番組と共通するんだよ。過酷な自然に立ち向かう「サバイバルゲーム MAN vs. WILD」、ハンターたちの山での生活を追う「ザ・山男」シリーズ、農村での情交をテーマにしているFAプロダクションのヘンリー塚本作品、日本の四季の自然や人々の生活を描く「新日本風土記」、日本だけでなく世界の自然の動植物を追った「ワイルドライフ」、日本で暮らす街や人を訪ねる「小さな旅」。挙げたらキリがないが、これらが全て詰まった作品が『楢山節考』である、現在のオレの思考と嗜好と『楢山節考』とのシンクロ率は『戦メリ』のそれを超える程バッチシで、現在のオレの趣味の形成に多大な影響を与えてくれた作品なのだ。その物語に登場する出演者も緒形拳、坂本スミ子、あき竹城、倍賞美津子、左とん平、常田富士男、ケーシー高峰、清川虹子、三木のり平、小沢昭一、殿山泰司、辰巳柳太郎、とこれまた誰からも「いい匂い」を醸し出すオールスターキャストが演じるんだから傑作になるのは当たり前である。今回の原稿を書く為に、もう一度『楢山節考』を見直した。今年52歳になるオレは、当たり前だが『楢山節考』を26歳で初めて観た時と環境が全く変わっている。
オレと母の「楢山まいり」のキャッチコピーは「親を救うか、子が救われるのか」
35歳になった時にオレは親父を亡くした。未亡人になった母は新宿のマンションで一人暮らしていた。オレが40歳になった時の事だ。「お母さん!お願いします。オレ、40歳にしてようやく家を買うことが出来ました。お母さんが一人暮らしで難儀しているとしたら息子としては辛いので一緒に暮らしてください」とお願いして、オレ、妻、息子、母一緒に暮らす生活が始まった。それから時が経った。オレは51歳になり、母は81歳になっていた。一緒に暮らし始めてから何年間は母はまだまだ元気で、家事や、趣味のパチンコ、散歩、旅行と活発に行動していたが、ここ3年で急に老け込んだ。物忘れで散歩しても家に帰ってこられない、同じ話を何回も繰り返す、家人に嘘をつく、すなわち認知症である。それまで良好な関係だった妻と母の関係がギクシャクしだし、このままでは家族がおかしくなってしまうような事態になってしまった。お医者さんに相談すると母を預ける施設を紹介してくれた。
映画では主人公の辰平の母おりんは70歳になり長寿に恥を感じ、増える食い扶持の事を心配し「楢山まいり」へ行く固い決意を持っている。81歳になる母は自分に降り掛かった病に気づくことなく生きている。「楢山まいり」のその時がオレにも来てしまったのである。映画のクライマックスは辰平が母のおりんを背板に載せて険しい山道を往き「楢山まいり」の地を目指す。親子最後の旅が「楢山まいり」なのである。オレが運転するハイエースの後部座席には母がいる。オレと母の「楢山まいり」である。施設に到着し入所手続きをして、係の人に母のことを頼み、母を残して施設を後にして職場に向かう帰りの車中、涙が溢れた。そして“頼んで一緒に住んでもらったにもかかわらず、病になったら施設に入れてしまうオレって最低で最悪の息子だ”と苛まれ、その日からの数日は仕事もなにも力が入らなかった。改めて『楢山節考』を見直してこの映画のキャッチコピー「親を捨てるか、子を捨てられるか」が重くオレにのしかかる。
当時、あまりにも落ち込みが激しかったので尊敬する毒蝮三太夫師匠に相談したら「玉、それでいいんだよ、その為の施設なんだから安心しろ、お前は間違ってないぞ」と励ましてくれた。オレにとってマムシ師匠の言葉は村の長の言葉だ、救われた。それにオレの「楢山まいり」は施設に面会に行けば母に逢えるのだから映画のように親子今生の別れではない。最初の面会の時、母はオレに「私は、あんたが、あの日(入所日)帰った後、私はあんたに捨てられたんだなって悲しくなって落ち込んだんだよ」と言った。言葉がグサリと刺さりオレは言葉が出てこない…。続けて母は「でも、捨てられるよりも、捨てるほうが辛いんだって考え直したらケロッとしちゃったわよ」と笑った。オレはただただホッとした。施設で会う母は、それまで家にいた時よりも元気にはつらつとしている。オレと母の「楢山まいり」のキャッチコピーは「親を救うか、子が救われるのか」だ。そういえば今日12日は「母の日」だな。オレは「楢山まいり、まいり」する為に母に会いに行く。私的「楢山節考」考でした。
文:玉袋筋太郎
『戦場のメリークリスマス』はCS映画専門チャンネル ムービープラスにて2020年6月放送