以前のコラムで、1970年代というのは、広義に捉えると1968年頃から1983~1984年くらいまでの時期だと述べたが、今回はそれに続く1980年代後半の時期について紹介したい。
1980年代後半といっても、文化史的には1992年くらいまでをひとくくりに捉えたほうがよいと思うが、それはアメリカではレーガン、ブッシュと続いた共和党政権が1992年までで終わり(後任で民主党のクリントン大統領は1993年1月就任)、日本ではバブル景気がちょうどその頃に弾けて、その後は人々の生活が大きく変わっていったから。
その時期の重要なアメリカ映画は多々あるが、目につくのは、古い時代の作品を“お色直し”して、装いも新たに新作として提示するケースが多いことだ。
『荒野のストレンジャー』の続編/姉妹編としての『ペイルライダー』
1950年代にデビューしたクリント・イーストウッドが90歳を超えた今なお現役の俳優・監督として活躍していることは驚くべきことだが、彼が今日に続くようなスターダムに駆け上がったのは『ダーティハリー』(1971年)以降のことで、監督としての確固たる地位を確立したのは監督2作目として、自身のフィールドである西部劇の演出に初めて挑んだ『荒野のストレンジャー』(1972年)だった。
そのイーストウッドが、様々なアクション系の映画への出演、監督を経て久々に西部劇に監督主演したのが、1985年の『ペイルライダー』だったのだが、これを観たときに「ありゃ、これは『荒野のストレンジャー』の続編なのか?」と思った。……というのも、イーストウッド演じる主人公が“名前のない男”なのはマカロニ・ウェスタンの頃からのお約束として、どちらの主人公も幽霊(ゴースト)だから。
前作では、正義を貫こうとして非業の死を遂げた保安官の霊が幽霊として現れ、保安官を殺した無法者三人を倒すとともに、保安官を見殺しにした街の人々をも懲らしめ、去っていく。後者では、やはり背中を6発撃たれて死んだはずの男の幽霊が、金鉱の利権のために悪徳保安官を抱き込んで思いのままにしようとする悪党らを倒して去っていく。
西部劇自体がほとんど作られなくなった時代に、あえてその伝統を自分が守り、後進たちに引き継いでいく先頭に立つのだ、という気概が『ペイルライダー』には満ち溢れていた。その想いが最終的に結実するのはさらに7年後の『許されざる者』(1992年)なのだが、ここでのイーストウッドはウィリアム・マニーという“名前のある男”を演じ、作品はアカデミー賞の最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ジーン・ハックマン)など計4部門に輝き、自らの思いを完遂させた。
知る人ぞ知る佳作リメイク3選
『ペイルライダー』公開後の1986~1987年には、3本のリメイク作品が注目を集めた。それが『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1986年)、『ヒッチャー』(1985年)、そして『追いつめられて』(1987年)で、いずれのケースもオリジナル版は知る人ぞ知るというタイプの佳作で、誰もが知っているような作品ではなかった。
ジャック・ニコルソン出演『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
オリジナル版『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960年)はロジャー・コーマン監督の日本未公開B級ホラー・コメディで、無名時代のジャック・ニコルソンが歯医者に痛い治療をされて喜ぶマゾの患者という変な役で出演したことで知られている。
花屋に勤める内気な青年が育てていた食虫植物が人間の血の味を覚えて食人植物に成長するという奇想天外な物語だが、これが1982年にオフ・ブロードウェイでミュージカルになったことで脚光を浴び、とうとう1986年に当時の第一線級のコメディアンたちによって豪華なリメイク版映画に生まれ変わった。ちなみに、内気な青年は『ミクロキッズ』(1989年)のリック・モラニス、サドの歯医者はスティーヴ・マーティン、マゾの患者はビル・マーレイだった。
ルトガー・ハウアーの怪演から目が離せない『ヒッチャー』
『ヒッチャー』は、『ブレードランナー』(1982年)で多くの映画ファンの心を鷲掴みにしたルトガー・ハウアーがサイコパスのヒッチ・ハイカーを演じるという、聞いただけでぞくぞくする企画だったが、これもオリジナル版の『ヒッチ・ハイカー』(1953年)はサスペンス映画の佳作ながら日本未公開だった。
男を車に乗せてやったがために命の危険に晒される主人公は、当時主演作が相次いでいたC・トーマス・ハウエルが演じていたが、それよりも、ルトガー・ハウアーの怪演から目が離せなかった。……ちなみに、2007年にもショーン・ビーンのサイコパスで再リメイクされている。
ケヴィン・コスナー×ジーン・ハックマン『追い詰められて』
『追いつめられて』は、同年の『アンタッチャブル』(1987年)の堂々たる主役ぶりで一躍トップスターの座に就いたケヴィン・コスナーの次回作ということで注目を集めた作品だが、これも1950年に日本公開された『大時計』(1948年)のリメイク。愛人を殺害してしまった上司が、部下である主人公に罪をなすり付けようとする話だが、当然ながら上司役が大物俳優であればあるほど、罠にはまった主人公のピンチはより絶体絶命感が増す。オリジナル版でチャールズ・ロートンが演じたその役を、ジーン・ハックマンが演じたところがミソだった。
過去作品を換骨奪胎し全く異なる作品に!?
単にリメイクというのではなく、ある昔の作品からそのエッセンスなり枠組みを借りて、全く別の作品として仕上げてしまうというのも、この時期の作品のパターンだったかもしれない。80年代最後の年、1989年にはそんな作品が2つ大ヒットした。それが『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)と『バットマン』(1989)だ。
ケヴィン・コスナー『フィールド・オブ・ドリームス』とジェームズ・スチュアート『ハーヴェイ』
当時のハリウッドのメイン・ストリームのど真ん中にいた感のあるケヴィン・コスナーの『フィールド・オブ・ドリームス』は、歴とした原作(ウイリアム・パトリック・キンセラ著「シューレス・ジョー」)がある作品だが、実はそのモチーフはヘンリー・コスター監督、ジェームズ・スチュアート主演、ピューリッツァー賞受賞戯曲のブロードウェイの大ヒット舞台を映画化した作品『ハーヴェイ』(1950年)からの援用だ。
コスナー演じる主人公はアイオワ州の片田舎で農場を経営している男だが、ある日、トウモロコシ畑で、「それを作れば、彼がやってくる」という自分にしか聞こえない謎の声を聴き、野球場の幻を見る。その声に従ってトウモロコシ畑に野球場を建設し始めた彼のことを、周囲の人は気がふれたと笑うのだが……という風に物語が展開される。当時、アメリカの劇場でこの作品を見ていた筆者は、「あれっ? これって『ハーヴェイ』じゃん」と思っていたら、案の定、映画の中のコスナーの家のテレビで『ハーヴェイ』を放送しているシーンが出てきた。
『ハーヴェイ』は、ジェームズ・スチュアート演じる主人公に、彼にしか見えない親友の大兎がおり、周囲の人びとはみな彼のことを頭がおかしい男と思っているのだが、最後には……というストーリーで、真心をもって人を信じてあげれば、他の人にもその人に見えているものが見えてくる、というハートフルなコメディだった。もちろん『フィールド・オブ・ドリームス』を観た人には、この換骨奪胎の意味が分かるはず!
ダークなティム・バートン風味に仕上がった『バットマン』
一方の『バットマン』は、言わずと知れたDCコミックス原作、1960年代に放送されたテレビ・シリーズを、ティム・バートン監督が時代のテイストに合う新作映画に仕立て直した作品だ。元々のテレビ・シリーズはコメディ色が強く、キッチュな印象のものだったが、バットマン役にマイケル・キートン、悪役のジョーカー役にジャック・ニコルソンという初期コミックス/TVシリーズのイメージからは程遠いキャスティングで、ダークな世界観と狂気を秘めた二人の俳優同士の対決という、まったく異なる映画に換骨奪胎。その後、数多のコミックス原作映画のプロトタイプとなったのはご承知の通り。
『ボディガード』はK・コスナーを1990年代のS・マックイーン足らしめたか?
1980年代にデビューを果たした数多くの新人監督の中で、そのデビューが最も待ち望まれていた人物としては、脚本家として頂点を極めていたローレンス・カスダンが真っ先に挙げられる。なんといっても、カスダンは『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)、『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』(1983年:当時の公開タイトルは『ジェダイの復讐』)の脚本家なのだ!
Happy Birthday to Lawrence Kasdan! We love you, but you probably already know. #StarWars pic.twitter.com/zFgov4BaxC
— Star Wars (@starwars) January 15, 2016
そのカスダンが、まだ脚本家として売れだす前の1975年頃に書いて、ワーナー・ブラザースに売れた脚本が『ボディガード』(1992年)だ。元SPで個人としてボディガード業を営む主人公役には、当時のハリウッドのNo.1スター、スティーヴ・マックイーンを想定、彼のために当て書きした脚本だった。相手役としてはダイアナ・ロスが想定されていた。
当時のマックイーンは世界一高給取りのスターで、ポール・ニューマンと18年振りに共演した(もっとも、前作『傷だらけの栄光』ではマックイーンは端役に過ぎなかったが)『タワーリング・インフェルノ』(1974年)以降、スクリーンから遠ざかっていた。
だが、もちろんこの時には映画化は実現せず、マックイーンは1978年に漸く復帰したものの、その2年後に50歳の若さで死んでしまう。……そして、さらに12年の年月を経てカスダンとケヴィン・コスナーの製作、ミック・ジャクソン監督、コスナー主演によって実現したわけだ。
コスナー版『ボディガード』では、相手役の歌姫はダイアナ・ロスから2012年に亡くなったホイットニー・ヒューストンに代わり、彼女にとってもその主題歌「I Will Always Love You」とともに生涯の代表作となった。だが何と言っても注目すべきは、ここでのコスナーがマックイーンの生まれ変わりと言えるくらいに、その外見も身のこなしも、20年前の大スターを彷彿とさせたこと。
カスダン製作・監督・脚本の名作『再会の時』(1983年)で出演シーンが最終的にすべてカットされてしまう不運に泣いたコスナーは、しかし同じカスダンの次回作『シルバラード』(1985年)でスコット・グレンのやんちゃな弟役できっかけを掴み、その後、『アンタッチャブル』、『追いつめられて』、『フィールド・オブ・ドリームス』でスターの階段を駆け上がり、1990年には自らの製作・監督・主演による『ダンス・ウィズ・ウルブス』で名実ともにマックイーン同様のトップスターとなっていた。
だが、『ボディガード』後は、かつてのマックイーンと同様、映画会社側が彼に望む役柄よりも自身がやりたいものばかりを優先し、『13デイズ』(2000年)辺りを最後にやや世捨て人的な存在になっていった(マックイーンと違って映画には出てはいたが)。
その意味では、幻のマックイーン版を装いも新たに新作として製作したコスナー版『ボディガード』は、ケヴィン・コスナーのスティーヴ・マックイーン化を決定的にした作品、と言えそうだ。
文:谷川建司
『ペイルライダー』『ヒッチャー』『ボディガード』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2023年1月放送、『フィールド・オブ・ドリームス』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(1986)』はU-NEXTほか配信中
「ホイットニー・ヒューストン ホログラムコンサート」2023年1月開催
ホログラムで蘇ったホイットニー・ヒューストンが生バンド、ダンサーたちとともに“I Will Always Love You”、“I Wanna Dance With Somebody”など名曲の数々を歌い上げる。これまでラスベガスやイギリスなどで上演され、地元ファン・メディアから大絶賛された。
「ホイットニー・ヒューストン ホログラムコンサート」日本公演は2023年1月26日(木)~28日(土)にオーチャードホール(東京)で開催。名古屋公演は、2月11日・12日愛知県芸術劇場大ホール、大阪公演は3月25日・26日フェスティバルホールにて開催を予定している。詳細はこちらより。