『ドラゴンへの道』に至る道
アメリカから凱旋したブルース・リーは、ロー・ウェイ監督の低予算映画『ドラゴン危機一発』(1971年)で一躍スーパースターへの階段を駆け上がり、続く『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)でその地位を不動のものとした。
Next on the Bruce Lee watch list is Fist of Fury (1972) directed by Lo Wei and starring the great man himself, this time as pupil Chen Then who returns to his martial arts school at the turn of the 20th century to find his teacher dead and the perpetrators, a Japanese martial.. pic.twitter.com/uaMw4YiFpt
— Cult of the Cinema 💙🎬 (@CultoftheCinema) February 20, 2022
制作会社<コンコルド・プロダクション>設立
ブルースを香港最大のスターにしたのは自分のおかげだと自負するロー・ウェイ監督は、次なる作品にも当然ブルースが出演するものと思っていた。しかし、そもそも現場に出てこず、たまに来てもラジオで競馬中継を聞きながら演出をするロー・ウェイの姿に不満を持っていたブルースは、次回作への出演を拒否。ゴールデン・ハーベスト社と共同で、自身の映画制作会社コンコルド・プロダクションを設立。同プロダクションで次作の準備を開始する。
ブルースに離脱されたロー・ウェイは、同じくゴールデン・ハーベスト社の看板スターであるジミー・ウォングを主人公に据えオール日本ロケの映画『冷面虎 復讐のドラゴン』(1973年)を準備。ブルースは、この作品に出演予定だったノラ・ミャオ、ウェイ・ピンアオを引き抜き、自身がすべてをコントロールする新作『ドラゴンへの道』(1972年:現邦題『最後のブルース・リー/ドラゴンへの道』)の製作に入っていたのだ。
本格的なバトルを盛り込み世界的ヒット作に
香港映画として初めてローマでの撮影を敢行した『ドラゴンへの道』で、ブルースは製作、監督、脚本、主演、武術指導、音楽(パーカッション)を担当。共演としてアメリカ空手界の重鎮チャック・ノリス、その弟子ロバート・ウォールを招聘。さらに韓国ハプキドー(合気道)の達人ウォン・インシックも出演し、本格的な武道映画として圧倒的な完成度の作品となった。
特にクライマックス、コロッセオでのブルースとチャック・ノリスの死闘は、映画史上に残るベスト・ファイトシーンとして、今なお多くのファンに愛され続けているのはご存じの通り。
『ドラゴンへの道』は13万米ドルという非常に低予算で製作されたにも関わらず、全世界でその1,000倍となる1億3,000万米ドル(現在のレートに換算すると7億ドル以上)を稼ぎ出した超ヒット作。ブルースの映画の中で、ファンに最も支持されている作品は全世界で4億ドルを稼ぎ出した『燃えよドラゴン』(1973年)であることは間違いないが、『ドラゴンへの道』は他のブルース映画のどれとも違う、ブルースのパーソナリティが非常に色濃く出た作品だ。
リンダ夫人とファンが深く愛するブルース・リー映画
ブルースの妻であるリンダ夫人は、最も好きな作品として『ドラゴンへの道』を挙げ、「主人公タンロンのコミカルな所が本当のブルースに最も近いから」と語っている。その思いはブルースのパーソナリティを知るわけではない我々も共有しており、神格化されたブルースではなく、等身大のブルースを観ることができる貴重な作品として、『ドラゴンへの道』はファンにとって最も大切な作品なのである。
そんな『ドラゴンへの道』を、不肖ワタクシも出演するCS映画専門チャンネル ムービープラスで12月放送の『副音声でムービー・トーク!』で取り上げております。こちらでは本稿に収まりきらなかった裏話満載となっていますので、是非ご覧頂ければ幸甚です。
文:高橋ターヤン
『◆副音声でムービー・トーク!◆最後のブルース・リー/ドラゴンへの道[4Kリマスター版]』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2022年12月~2023年1月放送