台湾のアイデンティティ
近年台湾映画界はドキュメンタリー映画に加え、過去作品再評価の隆盛が目覚ましいが、その潮流は「台湾アイデンティティ」を模索する社会のムードと奇しくも合致する。
中華圏映画最大の栄誉とも謳われる台湾のアカデミー賞的存在<金馬奨(きんばしょう)>50周年を機に製作されたドキュメンタリー映画『あの頃、この時』(2016年/原題『我們的那時此刻』)は、これまで包括的に語られることが少なかった台湾映画史、ひいては中国映画を含む大中華圏の映画史を紐解き、大きな反響を持って迎え入れられた。
また、旧作の相次ぐデジタルリマスター化は台湾映画も例外ではなく、(日本の文科省に相当する)文化部によるフィルムアーカイブセンター<TFAI国家電影中心>の設立、映画祭のリマスター版上映は販売開始10分で売り切れてしまう人気ぶり、過去作品人気の実例は枚挙に暇がない。
台湾社会において自国の文化に目を向けることは、これまで蔑ろにされて(して)きた自分たちのアイデンティティを深く見つめ直すことであり、その集合意識が一連の国産映画の注目に一役買っていることは言うまでもない。
本国では2017年に公開された『擬音 A FOLEY ARTIST』もまた、台湾国内の映画ファンの間で大きな反響で迎えられたドキュメンタリー映画である。
「フォーリーアーティスト」とは?
本作で語られる「音響効果技師」の仕事――足音や咀嚼音といった効果音の創作(フォーリー)は、世界の映画製作の現場から見れば、特段珍しいものではない。ハリウッドはもちろん、日本でもNHKにフォーリー専門のスタジオがあることはよく知られているだろうし、映画の効果音にスポットを当てたドキュメンタリー作品も少なくない。
しかし、この映画が特別なのは、40年に渡るひとりの技師のキャリア自体そのものが、『あの頃、この時』で描かれたスポットライトに照らし出された「表舞台の台湾映画史」の裏に隠れた「音という視点から描かれた台湾映画史」になっていることだ。
胡定一(フー・ディンイー)。1952年生まれの彼は、これまで1000本近い映画・ドラマに携わった「フォーリーアーティスト」だ。 経済先進国から押し寄せる消費文化を横目で捉えつつも、まだまだ反攻大陸ムードが色濃い戒厳令下の1975年。フー氏は当時の政府国民党の管轄にあった<中央電影公司>(通称:中影)の技術訓練班からそのキャリアをスタートさせた。
70年代台湾映画の裏事情
当時の台湾映画事情としてまず知っておくべき事柄に、「資金不足の常態化と人材の少なさ」がある。今では台湾映画屈指の傑作と言われるようなエドワード・ヤンやホウ・シャオシェンの作品でさえ掛け持ちは日常茶飯事であり、多くのスタッフが役者を含め兼任であったことは意外に知られていない。そうした環境の中、フー氏の場合も当然初めから「フォーリーアーティスト」として独り立ちしていたわけではなく、師弟制の色合いが強く残るプロダクション体制の中で録音技師、その他音響にまつわる雑務全般の中に、効果音の製作「フォーリー」があったことは想像に容易い。
それゆえか本作の前半の話題の中心にあるのは「アフレコ」である。もちろん当時の撮影技術の基本であったことは間違いではないが、台湾映画史においてこれほどまでにアフレコが大きな物語を孕んでいることは、台湾独特の中国語環境が大きく関係している。
台湾社会における“中国語(国語)”とは、日本統治時代が終わった戦後、「中華民国」として接収された後に国民党政府の教育によってもたらされた言葉であり、接収以前から台湾に住んでいた多くの台湾市民(「本省人」という)が日常で話していた中国語とは、全く発音の異なる「台湾語(台湾閩南語)」であった。
当時、中影が国民党政府の管轄にあったことは前段で書いた通りだが、それは映画や音楽といった娯楽産業を通して、国民に“正しい”中国語の発音を普及させるためでもあった。アフレコ要員としてラジオアナウンサーが多く起用されていたエピソードは、そうした背景があることも知っておくべきだろう。
なぜ“国宝級の職人”に光が当たらなかったのか?
「銃声の録音を文字通りツギハギしながら作った」という中共戦線を描いた国威発揚のプロバガンダ映画の時代を経て、本作にも登場するシルヴィア・チャンや、ブリジット・リンといった看板女優をひと目見ようと皆が映画館に足を運んだ、大衆娯楽要素の濃いドラマ映画の時代が到来する。フー氏たちの様な音響技術者たちは、視覚・役者中心の映画表現の中でビジュアルの「脇役」に徹した効果音を作りこんだ。そして80年代に入ると日本の映画ファンにも人気を誇る「台湾ニューシネマ」の時代がやってくる。
視覚中心だったこれまでの映画と違い「台湾ニューシネマ」は現実そのものの音を取り入れた。それは撮影や演技、あらゆる製作手法共通の変革であり、音響も一つの演出手段として物語を展開する重要な鍵となった。
同じ映画の道に入った息子から「言葉を扱うことはあまり得意なタイプではない」と分析されるフー氏だが、数々の音響仕事に携わる中で自然と培われた五感を総動員し、効果音を創作する姿は、紛れもなく1人のアーティストである。『バナナ・パラダイス』(1989年)、『青春神話』(1992年)、『熱帯魚』(1995年)など、台湾映画の名作群の音響を手掛けたフー氏のスキルは一流であり、劇中でも“国宝級”と賞賛される存在でありながら、なぜ今日までその存在が日の目に当たることがなかったのか。
大物を含む多くの関係者からの証言を取り入れつつも、彼らの口からフー氏の仕事ぶりや、当時の彼を窺い知れるエピソードが作中ほとんど語られないことは、「日の目が当たらない理由」を否応なく証明してしまっている。しかしながら、監督がどれほど自覚していたかは窺い知る由もないが、フー氏を手放しで称賛する前に、ひとりのプロレタリアートとして映画人を描いたことは特筆に値すると筆者は考える。
形骸化した戒厳令が解除され、ハリウッド大作から玉石混淆の香港映画まで次々に封切られた90年代~00年代。国産映画時代の凋落から経営不振の続いた<中影>でフー氏はリストラ勧告を差し向けられるが、国民党政権のメディアからの撤退がもたらしたリストラが、後の民主化への流れと地続きであることは言うまでもない。
<中影>の売却先の変更と事業再開に伴い、残留が決まったとはいえ、撮影技術におけるポストプロダクションの発展によって新しい領域についていけなくなった裏方たちが、その存在意義を問われることになるのは自明のことだった。キャリアの折り返し地点に差し掛かったフー氏も、その例外ではない。傑作ドキュメンタリー『ライト&マジック』(2022年)で描かれたストップモーション・アニメーター、フィル・ティペットの苦悩にも通じるものがあるが、ティペットがCGが主力になった映画界でも唯一無二の存在感を発揮した様に、フー氏もまたこれまで培った経験値を唯一無二のセンスとして駆使し、映画界でサバイブする術としてフォーリーを選択する。
冒頭でフー氏は、訓練班の一期上に録音技師の杜篤之、一期下にカメラマンの李屏賓が在籍していたと明かす。台湾映画ファン以外には馴染みが薄いかもしれないが、彼らは台湾ニューシネマを語る上で欠かせない国民的知名度を誇る映画人であり、まさに誰もが認めるマエストロ的存在である。対して国民党本部前でデモの先陣に立つフー氏の姿は、家族の明日の食い扶持を気に掛ける一庶民であり、巨匠たちの表舞台の映画史を辿ったところで肉薄できないこのナラティブこそが、彼を台湾唯一のフォーリーアーティストたらしめる所以である。
中国と台湾。映画のその後に続く大きな転換
映画後半、中国のメガプロダクションのフォーリーに特化したスタジオで働く音響技術者たちは、口を揃えてアメリカのマーケットを意識した言葉を述べているが、2022年のハリウッドと中国の相容れない現状は誰もが知るところであり、たった5年で激変してしまった現実とのコントラストは否応にも際立っている。
2014年の<金馬奨>授賞式、中国映画の名作『ブラインド・マッサージ』(2014年)の音響効果賞受賞の様子と、経営権の移行に伴い退職勧告を受けたフー氏の姿を対比させる様に本作は幕を閉じる。中国作品の受賞も珍しくなかった金馬奨だが、両国の関係悪化に端を発する中国産商業映画の“金馬奨ボイコット”は、とうとう4年目を迎え、ノミネートはおろか映画祭でも中国作品がかかることは皆無になってしまったことは皮肉である。
そうした膠着状態とは裏腹に、国産映画に加えサブスクのオリジナル配信作品も大きな反響を持って迎えられる昨今の台湾映画界の(フリーランスとして現在も活動する)フー氏を取り囲む実情は、本作が用意した結末から期せずして異なる未来を歩んでいる。そして2022年の中国映画の金馬獎入選は5作品でボイコット開始後最多となり、そのうちの1作『塵默呼吸(原題)』は受賞は僅差で逃したが<最優秀ドキュメンタリー作品賞>として入選を果たしている。(※編注:11月19日に開催された金馬獎の結果を受け一部改訂)
文:永岡裕介
『擬音 A FOLEY ARTIST』は2022年11月19日(土)よりK’s cinemaほか全国順次公開
『擬音 A FOLEY ARTIST』
日常のガラクタから生み出される、映画の中で息づく音。
国宝級・音響効果技師と「音」に関わる様々な職人たちの言葉から浮かび上がる、台湾映画の歴史を描いたドキュメンタリー。
監督:ワン・ワンロー
出演:フー・ディンイー 台湾映画製作者たち
制作年: | 2017 |
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2022年11月19日(土)よりK's cinemaほか全国順次公開