東京国際映画祭で上映され好評を博した『スワンソング』が2022年8月26日に劇場公開される。あることがきっかけで老人ホームに引きこもっている元人気美容師のパット(ウド・キアー)は、町一番の金持ちのリタ(『ダイナスティー』[1981~1989年]のリンダ・エヴァンス)の死化粧を依頼される。一度は断った老美容師だが、最後の仕事のために街に出て……というこの物語は、実在の人物にインスパイアされたという。アメリカ社会とゲイコミュニティの関係性の変化を背景に、パット自身の変化も描いた人間ドラマの秀作だ。監督のトッド・スティーヴンスに話を聞いた。
「できれば観客を笑わせて、泣かせたい」
―主人公のパットが魅力的でした。パット・ピッツェンバーガーは実在の人物で監督のロールモデルでもあったそうですが、彼を知ったのはどういう経緯だったんですか?
子どものころ、故郷のオハイオの小さな街でよく自転車に乗っていたんだ。あるとき、ほかの人たちとはまったく違うこの男が歩いているのを見た。まるで宇宙人みたいだったよ。故郷の人たちは普通すぎて、どちらかといえば保守的なんだ。でもパットは明るい色のパンツスーツにベルベットのフェドーラ帽をかぶって、あの細い煙草で、ロックスターみたいだった。僕も故郷に馴染めていない、普通じゃないと感じていたので、すごく興味を惹かれた。繋がることができるかもしれない人がいて、長老に出会ったみたいだった(笑)。
その後何年かして、故郷のゲイバーに行ったんだ。ユニバーサル・フルーツ・アンド・ナッツ・カンパニーという、映画に出したのと同じ名前の店だ。僕はまだ17歳で、最初は一人でゲイバーに入るのが怖かったんだけど、そこでまたパットを見た。すべてがつながって「子どものころに見たのは彼だったのか!」とわかった。それで家にいるように安心できて、コミュニティを見つけたと思えたんだ。
―パットの老人ホームでの過ごし方が実話だったと知ってショックでした。監督はパットの老後を知ってどう感じましたか?
この映画を撮るにあたって、リサーチを重ね、彼の遺族とも話した。彼の妹のジェニーが存命で、姪御さんや甥御さんもいるんだよ。ジェニーが話してくれたんだけど、パットとディナーに行くと、いつもレストランでナプキンを盗んでいたというんだ。彼女はそれに気づいていたけど、なんでそんなことをするのかはわからなかった。でもパットが亡くなったあと、彼の持ち物を片づけていてトランクを開けたら、たたんだナプキンでいっぱいだったというんだ。この話には本当に魅了された。悲しくもなったけどね。彼はそんなことするほど孤独だったんだ。なぜそんなことしたのか誰も知らないんだけれど、僕が思うに、パットはもともとずっと手を使って生きてきた人だったんだよね。美容師をして、庭仕事もして、陶芸もやっていた。だから手を動かしている必要があったんじゃないか。彼のナプキンのたたみ方は、彼が美容室でタオルをたたんでいたのと同じだったんだ。だから、時間をやり過ごすのに何かできることをしていたんじゃないかな、わからないけれど。でも面白い話じゃない?
―そうした悲しみは、作品にどのように影響していますか?
僕は“ハッピー・サッド”と呼んでいるんだけど、そうした感覚を作品に反映させるのが好きなんだ。希望と喜びがあって、でも同時に喪失感とメランコリーもある。陰と陽みたいだよね。明るさと暗さ。それが人生だし……僕の作品にはそういうものが多いと思う。できれば観客を笑わせて、泣かせたい。
―確かにそうですね。パットのビッチぶりというか、車椅子で渋滞を引き起こしたりするシーンに私も大笑いしました。でもパットは基本的にはすごくいい人で、若いゲイの人たちが家庭を持てたりするのも良かったと言っていますよね。彼のそういう人柄にも感動しました。
若い世代のゲイが幸福になったことを、パットも喜んでいると思う。でも、そこには嫉妬や微かな恨みもあるよね。彼には手に入れられなかった人生だから。彼は合法的に結婚するチャンスもなく、子どもも持てなかった。そして、すでに人生の終盤にいる。だから彼は新しい世代のために喜ぶけれど、後悔や恨みもあったはずなんだ。彼には起こらなかったことだから。
パットが公園のベンチにユーニスと座っているシーンで、彼らは口には出さないけれど、目にはそれを浮かべている。パットは「よかった」と言うけれど、ユーニスは「地獄みたいに嫉妬しているわ」と言うよね。そこでパットが「ゲイであるってどういうことかわからなくなった」とつぶやく。日本ではどうなのか知らないけれど、アメリカでは僕が子どものころ、ゲイであるとしたら、もう全然(普通の人とは)違うってことだった。ゲイだということは、人と違うことに慣れることだった。でも今は、ゲイだから違うということはもうなくて、おかしな感じがするね。ほとんどノーマルになったみたいだ。世間の動きは変わったけれど、人と違っていたことの面白さもあった。パットが気づいたのは、その世間の動きだったんだよ。
「内面が死んでいた人が生き返っていくことを、華やかな衣装が象徴している」
―この作品の大きなテーマは人を許すこと、和解することだと思います。なぜそうしたテーマに取り組まれたのでしょうか。
正直にいえば、僕自身と母との関係性からインスパイアされたんだ。彼女はまだ生きているし、素晴らしい人だけど、僕が最初にゲイだとカムアウトしたときは、すごい問題だと狂ったようだった(笑)。それから何年も経って、彼女は完璧に僕がゲイであることを受け入れた。僕は結婚していて、夫と結婚して35年、じつは夫とはユニバーサル・フルーツ・アンド・ナッツ・カンパニーで知り合ったんだ。すごいでしょ。今は僕の夫もほかの人と同じように母の家族の一員みたいになっているけど、本当にあのころは……地獄みたいだったし、すごく傷ついたよ。そのことにずっと怒りを感じてきたし恨んでいた。ずっと母がごめんと言ってくれるのを待っていたけれど、絶対に言わないんだ。彼女が悪かったと思っているのは、行動からはわかる。でも言わない。
それで、ある時点で、彼女が絶対に謝らないのなら、僕が許さなくちゃいけないんだと気づいたんだ。僕がそれを手放さないといけないんだと。それに恨みや怒りの感情は僕にとってもネガティブなことでしかなかった。なんの助けにもならないんだ。パットとリタの関係も同じことで、リタは時間が経つにつれ変わっていったけれど、パットがそれに気づくのはずっとあとだ。パットは怒りや恨みという荷物を手放さなきゃいけないんだけれど、怒りが人生の真ん中に居座っている。でも僕が思うに、僕たちはみんな人生の中でたびたび怒りを居座らせているよね。だから怒りを手放すことは、僕にとってこの作品の大きなテーマだった。聞いてくれてありがとう。
―パットが街に出て行くと、スタイルもグレーのジャージからだんだんカラフルになっていきます。人生とともにおしゃれを取り戻していくかのようです。監督にとってファッションとは?
(一瞬ポーズを取って)まあ僕を見たまえ(笑)。いや、登場人物の見せ方として、登場人物がどのように変化や進化するかを見せるために衣装を使うのが好きなんだ。衣装はほとんど、それ自体のストーリーを持っていると思う。つまり、パットは順々に彼の着るものを取り戻していくよね。そして最後には……ネタバレはしたくないけど、脚本の最後の行には「パットの衣装が完璧になった」と書かれている。パットは彼自身に戻ったんだ。人々が彼に服を渡していくのもいいよね。親切心から渡すんだ。彼は黒人の美容サロンでピンクの帽子をもらって、古着屋でスーツを手に入れる。内面がほとんど死んでいた人が生き返っていくことを、華やかになっていく衣装が象徴しているんだ。花がまた“咲く”みたいにね。
―あのミントグリーンのスーツを作った時のことですが……。
あのスーツは作ったんじゃないんだ。あれは本物の70年代のヴィンテージなんだよ。作ろうとはしたんだけど予算がなくて。本当に低予算映画だったからね。それで、衣装のキティ・ブーツがロンドンのeBayで買って送ってくれたんだ。でも70年代の本物を使えたことで、よりリアルになったと思う。材質もありえないプラスチック、ポリエステルなんだ。今では布自体が作られてもいない。過去のスピリットが縫い目にも宿っているというか……見つけるのにすごい時間もかかったんだ。
―なるほど。ウド・キアーはパットかウド自身のものを何か身につけていましたか?
パットが身につけていたものは、小さな靴箱にしまわれていた。彼の妹のジェニーが持ってたんだ。その中に金のネックレスがあって、パットが亡くなるときまで何年も身につけていたものだった。それをジェニーが貸してくれてね。パットは……いや、ウドは、それを撮影中ずっと身につけていたんだよ。ウドを空港に送っていったとき、ネックレスを返してもらうことを考えたら急に悲しくなってしまって、そのときはほとんど泣きそうだった。なんだか魔法が解けるような気がしたんだ。撮影は素晴らしい時間で、本当に魔法のような経験だったよ。
「好きなことをするのに遅すぎることなんて絶対ない」
―ウドとの出会いについて教えてください。
ウドにスクリプトを読んでもらって彼が気に入ってくれて、でも彼のほうから僕に会いたがったんだ。僕が狂ってるわけじゃないってことを確かめるためだね(笑)。僕も自分が狂っていないと証明して、彼が狂ってないことを確かめる必要があった(笑)。僕はニューヨークに住んでいて、彼はカリフォルニアのパーム・スプリングに住んでいるので、飛行機でカリフォルニアに行って、会ってすぐ友だちになった。彼は扉を開けて彼の犬を紹介してくれて、「うちの犬、ライザ・ミネリに会って頂戴」って言った。彼がそう言ったときに、僕はこの人のことが好きだなと思ったよ。そのとき3日間一緒に過ごして、映画を撮る前には友だちになっていた。一緒に映画を作って1年くらい過ごしたような気分だ。最初に友だちになっていたので、信頼関係もできたし、パットや映画の話もできた。友情があったから製作も上手くいったと思う。今でも彼とは友だちで電話で話したり、カリフォルニアに行くときはいつも訪ねている。もう家族みたいな感じだね。
―ウドはどんな感じの人なんですか?
本当のウド・キアーは……(笑)彼が映画で演じている悪役みたいな感じではないよ。正反対だね。犬が好き、動物が好きで、人間が好きで、友だちを大事にしていて、庭師みたいに砂漠に椰子の木を植えている。すごく優しくて、すごくいい友だちだ。想像とは全然違う。映画については、僕にとっては、ゲイの俳優がゲイの役を演じることが重要だった。そうした人生を送っていて、友だちをエイズで失うということが、どんな感じなのかわかることが。
それに、ウドは今でも綺麗だけど、若いころはものすごく綺麗だった。だから老いるというのがどんなことかわかっているし、ゲイコミュニティーについても知っている。ほとんど演技する必要もない感じの人が必要だったんだ。だから僕たちは「演じないで」と言い続けていた。ただそのままでいてほしいと。彼は映画の中ですごく自然だ。もちろんウドはパットとは違うけれど、ウドが経験してきたことのほとんどは、パットが経験してきたことだから。
―彼はクラウドファンディングもしてくれたんですか?
直接寄付してくれたのではないけど、キックスターターのキャンペーンに参加してくれた。Googleで検索できるよ。すごく面白いんだ。寄付を募るのにものすごく助かった。彼にとっても意味のある作品だったと思う。主役だし、意味のある作品になると彼もわかっていたはずだ。彼は映画製作でできることはなんでもしてくれた。素晴らしいことだよ。
―ウドもこの作品でオファーが増えたそうです。Win-Winですね。
幅広い感情を表現する素晴らしい演技を彼はできるんだと証明する機会を作れてうれしいよ。彼はもっと小さな役でも、すごい印象を残してきた映画スターなんだから。彼の仕事が増えたと聞いてうれしいし、もっと主役を演じてもらいたい。
―新作はドラマシリーズで、フロリダのゲイの老人ホームが舞台だそうですね?
うん、今書いているところなんだ。『フラミンゴ』っていうタイトルで、30分のコメディドラマだよ。『スワンソング』と同じジャンルだけど、コメディ寄りになるかな。僕にはゲイの老人たちへの強迫観念があるんだよ。何が問題なのかわからないけど……(笑)
―『スワンソング』もエイジングというテーマとしても面白い映画でした。
年齢を重ねると自分を失う可能性も出てくる。特に引退したあと、人間関係がなかったり、生きる目的がもうなかったりするとね。パットは目的を失ったけれど、好きなことをするのに遅すぎることなんて絶対ない。これがこの映画の究極のメッセージなんだ。
取材・文:遠藤京子
『スワンソング』は2022月8月26日(金)よりシネスイッチ銀座、シネマート新宿、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
『スワンソング』
ヘアメイクの現役生活を遠の昔に退き、老人ホームでひっそりと暮らすパットは、思わぬ依頼を受ける。かつての顧客で、街で一番の金持ちであるリタが、遺言で「パットに死化粧を」とお願いしていたのだ。リタの葬儀を前に、パットの心は揺れる。すっかり忘れていた生涯の仕事への情熱、友人でもあるリタへの複雑な思い、そして自身の過去と現在……。
監督:トッド・スティーヴンス
出演:ウド・キアー
ジェニファー・クーリッジ リンダ・エヴァンス マイケル・ユーリー
制作年: | 2021 |
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2022月8月26日(金)よりシネスイッチ銀座、シネマート新宿、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開