社会に大きなインパクトをもたらす事件が起きたとき、世間の人々が、なぜか傷つけられた側ではなく傷つけた側に同情的になることがある。しかし、それは本質的には非常に危険なことではなかったか……。
角田光代の同名小説を映画化した『八日目の蝉』は、ひとつの誘拐事件をめぐる加害者と被害者の人間模様をつぶさに紡ぎ出していくヒューマン・サスペンスだ。現在と過去を行き来し、ふたつの視点から事件の経緯と全容が描かれることで、片方の視点からだけでは決して見えてこない全体像が浮かび上がってくる。
誘拐した女性、誘拐された女性の20年
会社員の野々宮希和子(永作博美)は、不倫相手である同僚の秋山丈博(田中哲司)との間に子どもを身ごもった。丈博は妻の恵津子(森口瑤子)と離婚すると主張する一方、中絶手術を受けるよう希和子に要求する。その結果、希和子は子どもを産めない身体になった。しかも二人の関係を知った恵津子は、希和子を激しく罵り、中絶を責め、彼女を傷つける。
1985年、希和子は丈博と恵津子の娘・真理菜を誘拐した。当時まだ赤ん坊だった真理菜は、希和子を本当の母親だと信じたまま4歳まで育てられることになる。二人の生活が終わったのは、逃亡中の希和子が発見され、真実が明るみに出たからだった。
2005年、21歳になった真理菜(井上真央)は、両親との間に溝を感じていた。居酒屋と塾のアルバイトを掛け持ちし、塾講師の岸田孝史(劇団ひとり)との不倫関係に身を委ねる日々を送っていたある日、真理菜の前にルポライターの安藤千草(小池栄子)が現れる。真理菜がかつての誘拐事件の被害者であることを知り、千草は取材を申し込んできたのだ。幼い日の記憶を語る真理菜は、やがて希和子と同じく、自らも不倫相手の子どもを妊娠していることを知る……。
“加害者”である希和子は、なぜ真理菜を誘拐するに至ったのか。許されない親子関係はどのように形づくられ、愛情はどのように育まれていったのか。その愛情は本物だったのか、あるいは偽物だったのか。そして、誘拐事件は“被害者”である真理菜と家族から何を奪ったのか。そして、成長した真理菜が抱える心の傷はどうすれば解決されるのか。
物語は2005年と1985年を往還しながら進むため、本作は事件の謎を時系列順に紐解く構成ではない。むしろ加害者と被害者の立場が、20年の月日を超え、ある時には重なり合い、またある時はほどけるところにストーリーテリングの妙味がある。それでも希和子と真理菜の物語がそれぞれ並行して展開するため、本編は見せ場の連続という印象だ。原作者・角田光代の功績はもちろん、脚本を手がけた奥寺佐渡子の筆力、人間ドラマを堅実に積み上げてゆく監督・成島出の演出が光る。
特筆すべきは出演者たちの演技で、希和子役の永作博美と真理菜役の井上真央は、それぞれの葛藤と孤独を、とことん抑制の効いた芝居によって丁寧に表現する。ここに恵津子役の森口瑤子、千草役の小池栄子が絡み、とりわけ前半は“演技合戦”の様相だ。加えて、いかにも情けない様子の(しかし狡さを垣間見せる)丈博役の田中哲司、二枚目めいた演技でユーモラスな軽薄さを体現する劇団ひとりも味わい深い。
安易に共感させない物語
本作のポイントは、誘拐事件の一部始終とその余波を描きつつ、血縁や家族によらない共同体の姿を随所に描き込むところにある。登場する女性たちは生い立ちや過去にトラウマを抱えた人々ばかりだと言ってよいが、希和子と真理菜の“偽親子”だけでなく、のちに訪れる小豆島のコミュニティも、二人が一時身を寄せる宗教団体「エンジェルホーム」も、それぞれが疑似家族としての結びつきを見せ、それゆえに人々は救われるのだ。
しかし誘拐事件と同じくシリアスな問題として横たわるのは、劇中のエンジェルホームが、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件の影響を受けて危険視されているという事実。エンジェルホームの是非をどう判断するかは横においても、カルト宗教として扱われる団体に疑似家族的役割を求めることの不安定性と危うさもここには描かれている。
ある事件においては、加害者が全面的に悪いのだと考えることも、むしろ加害者に同情し「環境や社会が悪いせいだ」と考えることも、どちらも単純な理解にすぎないことがある。むしろ加害者にあっさり共感できてしまうとき、そこにはわかりやすい“物語の力”が存在していないか。
『八日目の蝉』が描く複雑かつ多面的な事件像・犯人像は、そうしたものとは明らかに真逆の位置にある。希和子と真理菜の物語に、安易なヒューマニズムに頼った結末を用意していないことも作品の深みを増しているだろう。
原作者の角田光代は、1993年12月に起こった「日野OL不倫放火殺人事件」に着想を得て『八日目の蝉』を執筆した。劇中の希和子と丈博、恵津子の関係性は実際の事件とほとんど同じで、犯人の女性は、職場の上司と不倫関係になり子どもを妊娠するも、上司の指示で中絶手術を受けていた。上司が「妻と別れる」と言いながら離婚しなかったことも、二人の関係を知った上司の妻が女性を激しく罵ったことも同じ。異なるのは、女性が上司夫婦への復讐心から自宅に火を放ち、幼い子ども二人を殺害したことである。
事件の当時、少なからぬマスメディアが被害者であるはずの上司を非難し、また上司の妻にも加害者を精神的に追い詰めたという点で責任の一端があるという意見を表明した。幼い命を奪った犯人に同情的な報道を繰り返し、その責任を軽く見積もることさえあったという。その後、2001年に犯人には無期懲役刑が確定した。『八日目の蝉』の物語は、こうした現実に対する処方箋としての効果もはらんでいる。
文:稲垣貴俊
『八日目の蝉』はテレビ東京「午後のロードショー」で2022年8月12日午後1時20分より放送
『八日目の蝉』
不実な男を愛し、子を宿すが、母となることが叶わない絶望の中で、男と妻の間に生まれた赤ん坊を連れ去る女、野々宮希和子と、その誘拐犯に愛情一杯に4年間育てられた女、秋山恵理菜。実の両親の元へ戻っても、「ふつう」の生活は望めず、心を閉ざしたまま21歳になった恵理菜は、ある日、自分が妊娠していることに気づく。相手は、希和子と同じ、家庭を持つ男だった。過去と向き合うために、かつて母と慕った希和子と暮らした小豆島へと向かった恵理菜がそこで見つけたある真実。そして、恵理菜の下した決断とは……?
監督:成島出
原作:角田光代
脚本:奥寺佐渡子
出演:井上真央 永作博美 小池栄子
森口瑤子 田中哲司 渡邉このみ 市川実和子/
余貴美子 平田満 風吹ジュン/
劇団ひとり 田中泯
制作年: | 2011 |
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テレビ東京「午後のロードショー」で2022年8月12日午後1時20分より放送