あらゆる本能を剥き出しにするウイルス襲来!
コロナ禍を巧みな政治手腕で乗り切ろうとしている台湾から、強烈なパンデミックホラー映画が到着した。一見、感染系ゾンビ映画に思える本作、ちょっとした捻りが加えてある。本当にちょっとしたことなのだが、これが最悪なのだ。
『哭悲/THE SADNESS』は流感に似たウイルス、“アルヴィン”が突然変異しパンデミックを起こした世界を描く。アルヴィンは感染すると大脳辺縁系を刺激し、感情を増幅させる。そして人間の本能である生殖、凶暴性、食欲等を抑えることが不可能になり、理性を失った獣へと変貌させるのだ。だが、タチの悪いことにゾンビとは違い意識は残っている。わかるだろうか? まばたきが我慢できないように、性欲が、怒りが、そして食欲が抑えられない人の気持ちが。
『哭悲』の感染者の多くは泣いている。自分のやろうとしていること、やっていることが極悪非道であることを理解しているからだ。だから泣きながら男女構わず殺し、犯し、食う。なんという恐ろしい病か。
さらに恐ろしいのは「泣かない」感染者もいることだ。それは感染により自我が解放され、快楽に陶酔していることに他ならない。「無意識に悪意を抑えていた人間」と「意図的に悪意を抑えていた人間」の違いなのだが、こうやって明確に描かれると、己の良心の疼きを感じずにはいられない。
こんなに“真っ赤な”スクリーン観たことない!
アルヴィンウイルスにより地獄と化した台湾を彷徨うのは、ジュンジョーとカイティンの2人。新北市から台北市へ通勤中にパンデミックに巻き込まれたカイティンを恋人のジュンジョーが原チャリ一台で助けに向かう……。これが『哭悲』のメインストーリーとなる。
映画はジュンジョーのカイティン探し地獄旅と、感染した変態ストーカーオヤジから逃げ回るカイティンの2つの視点で物語が紡がれる。どちらも強烈な描写が伴う。序盤はジュンジョーが目撃する客観的なパニック描写が目を引くが、やはりウイルス禍の中、必死に逃げ惑うカイティンのエピソードが印象的だ。
パンデミック開始を知らしめる通勤電車内の惨劇は「こんなに真っ赤なスクリーンは観たことがない」と思うほどだ。感染者各々がそれぞれの欲望を爆発させ、殺人、レイプ、食人全てが数分間に詰め込まれたこの場面、一度見たら一生忘れられないだろう。だが、この場面ですらほんの序の口だ。
顔面潰しや集団レイプ(男が女をレイプするとは限らない)といった残酷表現や、「今、市役所に来た方、男ならペニスを切り落として犬に食わせます。女なら犬に犯させます! ハハッ!」「お前をハメ殺すまで、許さないからな!」などという、普通の映画では絶対に聞くことができない卑猥な台詞は徹底的にエクストリームである(ジェスチャーですら卑猥だ)。さすが「この世で一番、暴力的で墜落したゾンビ映画」とレッテルを貼られているだけはある。しかし、監督のロブ・ジャバズは「これはゾンビ映画ではない」と語る。
悪気はないんだけど皆、考えることをやめてるんだ。観たことがある作品の枠にはめようとする。ちょっとでもサメが出てくれば“サメ映画”とかね。『哭悲』についてちゃんと説明しようとするのは難しい。だからみんな分かりやすく“ゾンビ映画”って言うのさ。
『哭悲』の恐ろしさは、死んだ人間が生き返り腐臭を放ちながら生きた人間を襲ったり、生存者が内ゲバを起こすなど複雑な話ではないところだ。重要なのは「残酷さと悪意」だけ。生々しく過激な暴力がフレームに収められている。ただそれだけなのだ。それ故、『哭悲』は「残酷さと悪意が本能に由来している」ことに執着する。
「とにかくエクストリームな映画が好きなら、『哭悲』を観ればいいんだよ!」
ロブ・ジャバズは、台湾に移住したカナダ人監督。数年前からエゲつないアニメや動画を作り、自身のYouTubeチャンネルにアップロードしていたが、コロナ禍でハリウッドが機能していないことを機に一念発起。本作を制作するに至った。ちなみにヤバいアニメは既にYouTubeから削除済み。その一部は『哭悲』でTV放送中のアニメとして見ることができる。
聞けば、ロブ監督のお気に入りのホラーは香港三級片映画(※1)『エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス』(1996年)だそう。そして、笑いを入れがちな香港のエクスプロイテーションホラーから笑いを取り除きたかったという。つまり、今回の『哭悲』は香港三級片映画から一切の笑いを排除した作品ということだ。彼の心意気は、本作で存分に味わえるだろう。
少しマニアックな話になるが、彼が「母国語が違う国」で映画を撮ることについてこんなコメントを残している。
言葉に違和感があると、なんだかクラウディオ・フラガッソ(※2)の映画みたいになっちゃうかもしれないでしょ。『トロル2/悪魔の森』(1990年)とか。英語も変でバカっぽいし。残酷描写と音楽はいいんだけどね。でも、そういう映画、僕は好きなんだよ。もし台湾の人が僕の映画を変に感じたら、そういう感じで観てくれたらいいな! 他国の人たちもそうだけど、とにかくエクストリームな映画が好きなら、『哭悲』を観ればいいんだよ!
※1:香港における映画レーティングの呼称。三級片は18歳未満鑑賞禁止である
※2:『ゾンビ4』(1988年)の監督やブルーノ・マッティ監督『エイリアンネーター』(1989年)などの脚本を手がけた80年代の愛すべきイタリアンパクリホラー界の重鎮
文:氏家譲寿(ナマニク)
『哭悲/THE SADNESS』は2022年7月1日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開
『哭悲/THE SADNESS』
謎の感染症に長い間対処し続けてきた台湾。専門家たちに“アルヴィン”と名付けられたそのウイルスは、風邪のような軽微な症状しか伴わず、不自由な生活に不満を持つ人々の警戒はいつしか解けてしまっていた。ある日、ウイルスが突然変異し、人の脳に作用して凶暴性を助長する疫病が発生。感染者たちは罪悪感に涙を流しながらも、衝動を抑えられず思いつく限りの残虐な行為を行うようになり、街は殺人と拷問で溢れかえってしまう。そんな暴力に支配された世界で離ればなれとなり、生きて再会を果たそうとする男女の姿があった。感染者の殺意から辛うじて逃れ、数少ない生き残りと病院に立て籠もるカイティン。彼女からの連絡を受け取ったジュンジョーは、独りで狂気の街を彷徨い始める。
監督・脚本:ロブ・ジャバズ
出演:レジーナ・レイ ベラント・チュウ
ジョニー・ワン ラン・ウエイホア
ラルフ・チウ アップル・チェン
制作年: | 2021 |
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2022年7月1日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開