俳優・足立智充×ミュージシャン・夏目知幸
大杉漣最後の主演作『教誨師』(2018年)が高い評価を受けた佐向大監督の最新作『夜を走る』が、2022年5月13日(金)よりテアトル新宿、5月27日(金)よりユーロスペースほか全国で順次公開となる。構想9年、練りに練られたオリジナル脚本による、大杉初のプロデュース作となるはずだった渾身の一作だ。
そんな本作で主人公の秋本を演じるのが、『きみの鳥はうたえる』(2018年)『 ONODA 一万夜を越えて』(2021年)など数々の作品で幅広く活躍する足立智充。今回はBANGER!!!執筆陣の一人であり、本作のパンフレットにコラム「壁に、俺に、弾痕。――走馬灯または映画批評」を寄稿しているミュージシャン、夏目知幸との対談形式のインタビューをセッティングした。
実は、偶然にも行きつけの喫茶店が同じだという二人。かなり衝撃的な映画だけに「この作品をどう説明すべきか?」「ネタバレも何もない」「とにかく“くらう”としか言えない!」「足立さんのことが怖くなる(笑)」などなど手探り状態で始まった対談を、ほぼノーカットでお届けする。
「監督の“自意識のなさ”が作品に出ている」
―俳優の足立さんとミュージシャンの夏目さん。同じ喫茶店の常連同士ということで数年前からお知り合いだったそうですが、夏目さんは邦画もよく観るのでしょうか?
夏目:音楽を作っているときに感じる、日本特有の“どん詰まり感”みたいなものを映画にも感じてしまうことがあって。ただでさえ音楽をやってて感じるのに、それを他の芸術からも感じたくないので、邦画は避け気味です。けれど、同じような考えを持っている映画配給会社の方に「これは面白いので是非!」と言われ、作品資料を見たら足立さんの名前があったので、これはもう観ろってことじゃん! と。
―足立さんが本作の出演オファーを受けたのは?
足立:いよいよ撮影できるぞ、となったのがクランクインの3~4ヶ月くらい前で、そこで正式にオファーがあったと記憶してます。でも佐向監督が書いていた台本は何年も前に読んでいたので、「あ、俺この役なんだ」と。でも実は映画の後半部分はまるっと新しく入ったものだったんです。それでまた全然別の作品になっていたので、すごいチャレンジングなことをしてるな、って。それで一気に世界が広がった感じがしたけれど、どう受け止められるんだろう? これは面喰らうだろうな、とも思いました。
夏目:そうですね、面喰らいました(笑)。
―あのシークエンスがコメディ的な要素になってもいますよね。
夏目:監督と少しお話させていただいたときに、「笑ってもらうつもりで撮ったのに誰も笑ってくれないんだよね」って言って笑ってたのが一番怖かったです(笑)。しかも足立さんにその話をしたら「僕も笑えると思ってた」って言うから、けっこうイカれた人たちが作った映画なのかなって(笑)。
―では、足立さんはコメディとして演じていた?
足立:コメディとして演じてはいないですけど、でも笑えるところがあるとは思っていて。ただ笑っていいのかいけないのか、ギリギリのところをやっているとは感じていました。どっちに転ぶかは分からないけれど、その絶妙なところが刺さればいいな、なんだこれ? ってなってくれればいいなと。
夏目:身につまされるっていうか、笑うしかない、に近いかな。例えば『DISTANCE/ディスタンス』(2001年)とかに近い、“くらう”感じというか。最後の方は『けものがれ、俺らの猿と』(2000年)に近い雰囲気も感じたり。
足立:演者としては基本的には脚本に書かれたことを演じているんですが、佐向監督が現場で演出したシーンも所々あります。すごいおもしろいな、でも本当にこれ使うのかな? っていうシーンもある。「『タクシードライバー』(1976年)のあれ、やってみようか」とか(笑)。だからどんな雰囲気の作品になるかは、完成するまで分かっていなかったんです。
夏目:でも「これは劇薬です」って一生懸命提示しているような雰囲気はなくて、ぽんと差し出されているような。監督とお話させてもらって、なるほどこの人の仕業か……とは思いました(笑)。
足立:夏目さんに観ていただいた後に感想を聞いたとき、監督の印象として「“自意識のなさ”がすごい。それが作品に出てる」って仰ってたじゃないですか。それは確かに、と思いました。どこに自意識があるか分からないというか、それを感じてもらえたのはすごく良かった。
夏目:キャラクターたちも基本的に監督の台本通りに演じられているだけあって、全員に監督の謎成分が注入されてて、「出てくる人たちがなんかみんな変」というか(笑)。そのなかで一番普通なのが谷口渉(玉置玲央)っていう人物で、あの世界では彼だけが“普通の人間”に思えたんですよね。普通に悩んでいて、不満があって、不器用で。なのに、そんな彼が観客の拠り所になってしまうっていう意地悪な設計になってるんじゃないかなと。
―完成した作品をご覧になって、出演者としての感想は?
足立:僕も「こりゃ劇薬だ」とは思わなかったですね(笑)。でも客観的な感想はすごく面白いです。こちらが思いもしないような意見が聞けるので。
―佐向監督は足立さんに一番相談されていたそうですね。
足立:何の制約もなく自由に書いていたぶん、他の意見も聞いてみたかったんだと思います。どこかに活かされたかは分からないですが(笑)。ただ、いまオリジナル脚本で映画を撮るのはすごく大変で、共演の宇野祥平さんもそこにすごく喜んでくれていたことを覚えています。予算は集まりにくいしハードルは高いけど、それでもやるぞっていう監督はすごいなと。
夏目:映画になってくれて良かったです。なかなか観られないものを観てしまった、っていう感じです。
足立:友達と観る映画ですか? 恋人と観る映画ですか?
夏目:恋人とは……観ないでしょうね(笑)。でも大学生とかに観てほしいっていう気持ちはすごいあるかな。僕らが高校~大学生くらいの頃は不思議な邦画が結構ありましたけど、最近はあまりなかった気がしていて。こういう邦画もあるんじゃん! って楽しんでくれる若者がいたらすごくいいですよね。
「悲劇的だけれど、なんとかして笑うしかない」
―中盤過ぎの“ダンスのシーン”も衝撃的ですよね。
足立:以前、ニブロールっていうダンスカンパニーの公演に出演したことがあって、踊れない人が一生懸命動くっていうポジションがあったんです。今回はそこで共演した高木さんというダンサーさんにイメージを伝えた上で振り付けをお願いして、稽古場で練習しました。だからあれは現場で急に演出されたものではなく、途中から脚本にト書きで「踊りだす」って加えられたんです。めちゃくちゃおもしろいじゃん! と思ったんですが、後ですごく後悔しました(笑)。
夏目:僕はあのシーンは割とスムーズに観れましたね。ひとつ質問があるとすれば、秋本が物語に飲み込まれていく中で、途中で“変わる”じゃないですか? しかも彼が踊りだすまでには相当な“何か”があったはずで、演じる上ではどう切り替えているのかなって。
足立:僕は役のまま生きてしまう、みたいな没入する作り込み方をするタイプではないので、それはそれで楽しめるというか。
夏目:あの“最後のシーン”の演技、あのときの表情が最高でした。あれは監督から状況説明や指示があっての表情なんですか?
足立:あれは台本にも現場での演出もなかったと思います。何パターンか演じたうえで、監督がベストだと思ったものを選んだのかな。
夏目:ラストですごいエモーショナルな画がきたら、笑っちゃうなと思ったんです。ここで(秋本が)泣いたら爆笑だな、やっと笑えるぞって。でも泣かないから、最後まで「くそう!」って(笑)。『ファイト・クラブ』(1999年)的な設定が頭をよぎる人もいるでしょうけど、後半は本当に裏切られてばかりでしたね。
足立:谷口に突っぱねられた秋本が急に走り出す夜のシーンは脚本にはなくて、現場での演出でしたね。
夏目:タイトルが『夜を走る』だし、プレス資料には「ロードムービー」って書いてあったから、逃走劇かな? とか思うわけですよ。逃げる二人の物語。だから車で走るのかなと思ったら、本人が走るのかよ! って(笑)。タイトルコールも最近ない感じで、怖くてよかったです。
足立:あれ、いいですよね。久しぶりに見る感じで、素直に「おおっ」と思いました。
夏目:この映画を観ていると、自分の解釈の力で喜劇にしたいっていう欲求は発生するかもしれない。そうでもしないと、腹の底にかなり残っちゃうんですよね。だから早くパンフ用のコラムを書き上げて、この呪いから解き放たれたかったし、そういう強さがあると思う。
ニーチェの「悲劇の誕生」――悲劇とは衝動とか型にはめられないものを社会とかシステムにはめこもうとしたときに、軋んであえいでいるものを悲劇という――みたいな。まさしく『夜を走る』は悲劇的なものでしかないけれど、なんとかして笑うしかないぞこれは、と。
―撮影現場の雰囲気はどうでしたか?
足立:かなり良かったと思います。人数もそんなに多くなくて、全員の顔が見える範囲でコミュニケーションが取れて、それぞれが自分のやりたい仕事ができている感じが出ていました。とても有機的な関係ができていたような気がしますね。監督も現場の雰囲気を良くするように努めていただろうし、皆がフラットでした。
「俳優もミュージシャンも、狂気っていう意味では近いかもしれない」
夏目:あと、音楽の使い方も気になって。
足立:ああ、そこはぜひ聞いてみたいです。
夏目:こういうテイストの映画だと、もっとシンセサイザーを使ったほうがお洒落だし、人間の気持ちと離れたものにできると思うんです。分かりやすく言うと、北野武映画の久石譲のシンセの使い方とか。最近っぽい洒落た感じにしようと思ったら、そうなると思う。それがまさかの“歪んだギター”っていう。これって逆に最近なかったなと。ギュイーン!って。まったくお洒落じゃない。不安を醸し出すために逆にリズミックな、マイナーキーのシンセのアルペジオとか、普通だったらそうする。でもギューン! バリバリバリ!!(笑)。衝撃でした。
―劇中の音楽に関しては作曲家・のびたけおさんいわく、監督は何度もテイクを重ねたものよりも最初のテイクを採用されたそうです。それは自意識を徹底的に排除することと繋がってきますよね。夏目さんも初期シャムキャッツから、徐々に歌詞から自意識が薄れていったように感じます。
夏目:そこは意図的でした。若い頃って恋だとか不満だとかいったものを、すでに出来上がっている自分から削り出して歌詞にしていたんですけど、あるときからそれじゃあもたないというか、面白くないなと。あとは映画をすごく観るようになった。音楽って、聴いている人のマインドにすごく近いところにあるんですよね。だからその人の好きなアーティストを否定したりすると、その人自身を否定しているような雰囲気が出ちゃう。でも映画は音楽よりも個人のマインドと離れたところにあって、良いか悪いか/好きか嫌いかっていう話がしやすい。作品の良し悪しの話をしても相手を傷つけない距離感で話せる。
音楽もそういう立ち位置でいられないのかな? って思った時期があって。もちろん結局は自分のことを歌うことにはなるんですけど、少し離れたところにストーリーとかテーマを置いて、それを語るっていうスタイルに変えた。それが“歌の中でカメラの位置を変える”とか、人称を変えるとかっていうことにつながっていって、実際そっちのほうが楽しい。けどジレンマもあって、一聴して「これいい曲だね」っていうものは作りにくくなる。やっぱり音楽ってエモいところも大事だから、その一番いいバランスを探しながら作ってる感じですね。
足立:そういう感覚って、俳優だと何に当てはまるんだろう。人称は変えられないし……(笑)。結局自意識の話になっちゃうかもですが、歳を重ねると若い頃のカッコつけてしまう気持ちは減ってきますよね、“欲”の位置が変わるというか。身の丈を知るっていうことかもしれない。できること/できないことが否応にも分かってしまうというか、“恥ずかしさ”が変わってくるというか。だからミュージシャンのほうが、自分で自分を勝ち取っていく、みたいな割合は多いと思うんです。監督・脚本・主演、全部やります、みたいなことですもんね(笑)。
夏目:そうですね。バンドだと“ミュージシャン”としてステージにいられる感じはあるんですが、弾き語りだと、かなり“入る”ことにはなります。僕は劇で何かを演じるという経験はないですけど、ギターと歌で空間を司る人にはならないといけないので、かなり役に入ってはいます(笑)。
足立:舞台に出る前の整え方というか、ルーティン的なものってあるんですか?
夏目:それはなくて、ヌルっと入るようにしてます。
足立:それは普段の状態のまま、いけるようにしている?
夏目:イメージとしては落語家さんのような気分で、パッと歩いてステージに入っていって、お辞儀して、なんとなく2~3分経つうちにそこに立っていていい人間になるような状態に持っていく、というイメージ。
足立:その2~3分で、役に入るようなイメージを完成させる?
夏目:もっと力を抜かなきゃっていう脳と、もう片方では歌詞のことを考えてたり、そのせめぎあいをしているうちに無事に離陸しているというか。そこまでが一番ドキドキしますね。
「観てくれた方々に、良くも悪くも“残るもの”があれば」
足立:ミュージシャンがカッコいいなって思うのは、そこにその人がいるっていう事実だけで歌いはじめられるところ。役者って、しっかり与えられた役柄を演じる状態にしていながらも、あたかも演じていないかのように白々しく振る舞うわけじゃないですか(笑)。
夏目:それがすごいんですけどね(笑)。たまに演劇とかも観に行くんですけど、不思議というか、すごい世界だなと思うんです。生身の人が出てくるのに、その人じゃない言葉を喋ってる。それで白々しく思わせないのがすごい。僕としては歌ってる人のほうが普通……でもないんだよなぁ。自分で言葉を書いて、メロディーつけて人前で歌うなんて、もう狂気の沙汰でしかない(笑)。ただ演技を目の当たりにすると、似ている部分も違う部分もすごくあるけど、狂気っていう意味では近いかもしれないですね。
―足立さんは役柄によって別人のようになることもあると思います。
足立:うーん、別の人間に“なる”っていう感じではないんですよね。だから「別人のようだ」と言われて喜んでいいのかどうかも分からなくて。まったくの別人として考えているわけじゃないというか、あくまで自分でしかないというか。でも自分を使っていないと駄目だっていうマイルールみたいなものはあって、なるべく嘘を減らしていきたいというか……なんか演技論を話し始めると落ち着かないな(笑)。
僕がすごく影響を受けた先輩の言葉なんですが、「これ(身体)が楽器だとして、鳴らす音はそれぞれ違うはずだから、ひとつひとつ違う楽器が違う音色を出す」みたいなイメージ。だから“自分が鳴らせばこうなる”ということが上手くできればいいなっていうのは、何に対してもあります。
夏目:自分の出演作を観て、これはいい演技してたな~って思うことはあるんですか?
足立:いやあ、ないですね。基本「うわあ……」って感じだと思いますよ、これはどんな役者さんでも。粗捜しばかりしてしまうというか……これも自意識ですよね(笑)。夏目さんは自分のライブ映像とかを客観的に観れますか?
夏目:粗捜ししちゃうときもありますけど、自分のライブ映像を観て「こいつ最高だな~」って思うときもたまにあります(笑)。変に冷静な部分もあるんで、「これくらいできてりゃ大丈夫だ」って思うときもありますし。
足立:あ、その感じはわかります。一応ここはクリアしたなっていうか、まあ恥ずかしくはないなっていう見方はしますね(笑)。
―では月並みですが最後に、観客の皆さんにメッセージをお願いします。
夏目:映画って、狙っていないのにあまりにも時代を映しちゃってる作品があると思っていて。例えば漫画だったら岡崎京子の「リバーズ・エッジ」とか、音楽だったら2000年代のザ・ストリーツっていうラッパーの作品とか、“これが今だよね”っていうものが出てくることがある。そういう強度が『夜を走る』にもあるなと。そのぶんかなり“くらう”し、決して明るい話ではないんだけど、現在地を確認するっていう意味で、残酷だけれど、みんな観るべきじゃないかなって思ってます。偶然かもしれないけど、いろんなパーツが上手くハマってるというか、題材やストーリー、ロケーション、演じている役者さんたちも“そのもの”みたいな面をしていて、それがすごい。
足立:僕は、この作品がどれだけ今を映しているかとか、すごいものを届けられるぞとか、そういうことは思っていないというのが正直なところです。それを見越した上で撮影に挑むことはできなかったし、やってみなきゃ分からなかったし、繋げてみないと絶対に分からない作品だなと思っていた。そういうところから始まったので、どう受け取られてもいいと思っています。そして願わくば、映画館で観てほしい作品であるということ。好き嫌いはあっても、「まあまあ良かった」という中途半端な感じにはならないとも思っています。
これを伝えたいんだとか、こういうメッセージがありますとかっていうのはないけれど,僕はデタラメなものが好きなので、“ちょうどいい塩梅のデタラメ”かなと。突き放してもいないし、混乱させようとしているようなものでもない。しっかり骨組みがあった上での結果なので、本当に自由に、色んな人にああだこうだ言ってもらえる映画になればいいなと思います。観てくれた方々に、良くも悪くも“残るもの”があれば。今はそれしか言えないですね。
撮影:町田千秋
取材協力:喫茶マカボイ
『夜を走る』は2022年5月13日(金)よりテアトル新宿、5月27日(金)よりユーロスペースほか全国順次公開
『夜を走る』
郊外のスクラップ工場で働くふたりの男。
ひとりは40 歳を過ぎて独身、不器用な性格が災いして嫌味な上司から目の敵にされている秋本。
ひとりは妻子との暮らしに飽き足らず、気ままに楽しみながら要領よく世の中を渡ってきた谷口。
退屈な、それでいて平穏な毎日を過ごしてきたふたり。しかし、ある夜の出来事をきっかけに、彼らの運命は大きく揺らぎ始める……。
監督・脚本:佐向大
出演:足立智充 玉置玲央
菜葉菜 高橋努 玉井らん
坂巻有紗 山本ロザ
川瀬陽太 宇野祥平
松重豊
制作年: | 2021 |
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2022年5月13日(金)よりテアトル新宿、5月27日(金)よりユーロスペースほか全国順次公開