日本、韓国、香港などアジア系の俳優のみの出演による『ドライブ・マイ・カー』が、第94回アカデミー賞で日本映画史上初となる作品賞ほか4部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞した。日本映画界としてはまさに快挙で、原作のプロット自体はジョン・アーヴィングの「未亡人の一年」をベースとしたトッド・ウィリアムズ監督の佳作『ドア・イン・ザ・フロア』(2004年)の二番煎じ感が強いものの、劇中劇のチェーホフ「ワーニャ伯父さん」の台詞と主人公たちの心情をシンクロさせる濱口竜介監督の構成は見事だった。
この度、第45回日本アカデミー賞で、作品賞含む最多8部門で『#ドライブ・マイ・カー』最優秀賞を受賞しました!授賞式後に、記念撮影を📸
— 映画『ドライブ・マイ・カー』 (@drivemycar_mv) March 11, 2022
三浦透子さんは新人賞を受賞したので、全9部門🏆✨ pic.twitter.com/467fZ5896w
さて、ハリウッド映画産業界の内輪の賞であるアカデミー賞で、アメリカ社会における人種的マイノリティであるアジア系映画人が賞レースの主役足り得るところまで、その存在感を増すまでの道のりはけっして平坦なものではなかった。
吊り眼や出っ歯メイク、瓶底眼鏡が当たり前だった時代
かつてのハリウッドでは、中国人や日本人など、アジア人の役は白人俳優がメイクで“それらしく”顔を作って演じるものと相場が決まっていた。古くはキャサリン・ヘップバーンが演じた『Dragon Seed(原題)』(1944年)での中国人女性ジェイドのような吊り眼メイクや、オードリー・ヘップバーンの代表作『ティファニーで朝食を』(1961年)にオードリーの隣人役で登場する謎の日本人ユニオシ(ミッキー・ルーニー)の出っ歯メイクと牛乳瓶の底みたいなド近眼用眼鏡など、カリカチュアライズされたアジア人種表象が何のためらいもなくまかり通っていた。
Or how about Mickey Rooney as Mr Yunioshi or Katherine Hepburn as Jade? pic.twitter.com/1IsOnW3zcU
— Davenant 📸 (@MarcDavenant) June 2, 2021
それらは決してふざけて描かれたものではなく、それがアジア人だと観客にわからせるためには当然の手法と思われていただけだが、もちろん、絵本「ちびくろサンボ」やカルピスのマークなどが黒人表象としては差別的だとされて封印されたのと同じことで、政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)という観点で今日では完全にアウトだ。
背景には、ハリウッド映画産業界にアジア系俳優がほとんど入り込めていなかったという事情があり(戦前のハリウッドの大スター・早川雪洲のケースは例外中の例外)、その状況は少なくとも1980年代くらいまでは少しも変わらなかった。今では、たとえば『スター・ウォーズ』シリーズ(1977年~)のようなメインストリームの作品にも必ずといってよいほどアジア系のキャラクターが重要な役で出てくるようになったが、まだまだ脇役的なキャラに留まっているともいえる。
Sessue Hayakawa was the first actor of Asian descent to become a major film star in the United States.
— Silent Movie GIFs (@silentmoviegifs) November 30, 2021
Unhappy with the stereotypical roles he was offered, he formed his own production company, making films including The Dragon Painter (1919) pic.twitter.com/BC9BCZnOK0
監督・主演作『ブルー・バイユー』が絶賛されたジャスティン・チョン
アジア人が主人公として設定されている題材が、アジア人の作り手によって、アジア人俳優をキャスティングしてメジャースタジオによって北米マーケット向けに製作・配給されることがどれほど高い壁なのかは、想像を絶するほどに違いない。『ドライブ・マイ・カー』にしても、初めから北米マーケットを想定して製作されたというよりも、結果としてインテリのアカデミー協会員に支持されたがゆえの快挙だったはず。
その点、コロナ下での公開というハンディゆえに、メディアでもさほど目立つ扱いはなされていなかったものの、ジャスティン・チョン監督主演作品『ブルー・バイユー』は、もっとずっと大騒ぎされておかしくない快挙だった。
ジャスティン・チョンは俳優として『トワイライト』シリーズ(2008年ほか)で知られるほか、監督としても既に四本の作品を発表している才人だが、『ブルー・バイユー』では主人公(幼少時にアメリカ人の養子となり、アメリカで生きてきたものの、正式なアメリカ国籍を取得していないことが判明した韓国人)がアメリカの移民政策のエアポケットに落とされてしまい、国外追放処分によって愛する家族との別離の危機に直面するという社会性の強いテーマに真正面から取り組み、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品されて大絶賛されるなど、世界各地の映画祭で大きな支持を得ている。
アメリカ国内の配給はフォーカス・フィーチャーズだが、大事なのは海外配給をメジャーのユニバーサル映画が手掛けていること。日本では現在、ユニバーサル作品は老舗の東宝東和が配給しており、小規模の公開ながら大人の観客の鑑賞に堪えうる作品として、そこそこの支持を得たように思う。
内容的にも、トランプ政権時の「Make America Great Again」の裏返しとしての「アメリカ人以外は出ていけ」という排他主義的な傾向(アメリカにおけるアジア系の住民に対する露骨なヘイトクライムのベースとなる考え方)を考えさせずにおかない力を持った作品で、未見の人にはぜひ見て欲しい一本だ。
アリシア・ヴィキャンデルとエディ・レッドメインの『リリーのすべて』の大成功
『ブルー・バイユー』で主人公のパートナーとして、7歳の連れ子とともに家庭を築き、新たな命を授かった妻キャシーを演じていたのはスウェーデン女優のアリシア・ヴィキャンデルだった。アリシアといえば『リリーのすべて』(2016年)でも、史上初めて性別適合手術を受けることになったトランスジェンダーの夫を支える妻役を好演していた。
『リリーのすべて』は、まだトランスジェンダーという言葉すらなかった1920年代に、身体としての性と心の性とが合致しないことを自覚した主人公の生きざまを繊細に描き、主演のエディ・レッドメインがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
実は、アカデミー賞の歴史を振り返ると、賞を獲りやすい/ノミニーへの近道と言われた役柄というものがある。古くはアルコール依存症の役で、『失われた週末』(1945年)でアカデミー主演男優賞を受賞してレイ・ミランドが有名だが、『キャット・バルー』(1965年)でオスカーを獲ったリー・マーヴィンも、『勇気ある追跡』(1969年)でオスカーを獲ったジョン・ウェインも、馬に乗れないほど酩酊する大酒飲み演技での受賞だからアルコール依存症患者の役、と認定してもいいだろう。
1980年代くらいからは性的マイノリティの役が、演じる俳優の力量というものを発揮しやすい役柄となった感がある。『蜘蛛女のキス』(1985年)で異性装のゲイ男性モリーナ役でアカデミー賞主演男優賞を受賞したウィリアム・ハートを筆頭格に、『ガープの世界』(1982年)で性別適合手術を受けた元プロ・フットボール選手ロバータ(元の名前はロバート)役で同助演男優賞にノミネートされたジョン・リスゴー、『人生はビギナーズ』(2010年)で人生の黄昏時になってからカミングアウトし、封印してきた生き方を実践しようとする老人役を演じて同助演男優賞に輝いたクリストファー・プラマーなどが思い浮かぶ。
トランスジェンダーの主人公としては『ボーイズ・ドント・クライ』(1999年)がその嚆矢だが、ブランドンという名の青年として生きようとして悲劇に見舞われる主人公を演じたヒラリー・スワンクは、見事アカデミー賞主演女優賞に輝いた。そしてもちろん、『リリーのすべて』のエディ・レッドメインもまた、そうしたパターンの延長上に位置付けて良いだろう。
LGBTQを演じるのに相応しい配役と“政治的な”正しさ
最近では、トランスジェンダーの登場人物をトランスジェンダーの俳優に演じさせるケースが増えている。スティーヴン・スピルバーグのリメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)では、1961年のオリジナル版『ウエスト・サイド物語』でスーザン・オークスが演じていたエニバディーズという“男性のように見える女性"の役を、トランスジェンダーの俳優アイリス・メナスが演じている。
‘West Side Story’s’ Iris Menas Brings New Dimension to Old Character https://t.co/wPUfmksxIg
— Variety (@Variety) January 8, 2022
そして、2022年4月1日より公開中のブラジル映画『私はヴァレンティナ』もまた、ヒロインであるトランスジェンダー女性を演じる女優を探すために、監督・脚本のカッシオ・ペレイラ・ドス・サントスがデモ・ビデオを送って欲しいとブラジル中のトランスジェンダーの女性たちにSNSで呼びかけた結果、YouTuberとして活躍していたティエッサ・ウィンバックが大役を射止めたのだという。
『私はヴァレンティナ』が圧倒的に素晴らしい作品に仕上がった背景として、本人の意思に反してSNSでアウティングされる恐怖や、自らと異なるものを排除したがり、それが正しいことと信じて疑わないコミュニティのような現実感あふれる脚本のうまさとともに、ウィンバックの演技が素晴らしかったことは間違いない。
だが、『リリーのすべて』のエディ・レッドメインがシスジェンダーなのにその役を演じたことを批判されて謝罪声明を出すに至ったことや、トランスジェンダーの登場人物はトランスジェンダーの俳優に演じさせるべきだ、という昨今のポリティカル・コレクトネスの空気は、筆者にはやや息苦しさとして感じられる。
アカデミー協会はアルコール依存症や、統合失調症などに苦しむ人々、そしてLGBTQといった社会的マイノリティ・グループに属する人物などを見事に演じた俳優たちに、これまで多くの賞を与えてきた。――わが友デニス・ホッパーは、『レインマン』(1988年)でサヴァン症候群の役柄を見事に演じてオスカーを獲ったダスティン・ホフマンと、自身がアルコール依存症のコーチ役でオスカー・ノミニーになった『勝利への旅立ち』(1986年)とを比較しつつ、かつて筆者にこう語ったことがある。
「たとえば、アルコールやドラッグの中毒患者を演じるには、それを実際に試してみなければならないだろうか? いいや、その必要はない。リサーチすればいいんだ。アル中を擬似体験する方法などいくらでもある。『勝利への旅立ち』の時、俺はその(酔っ払った)シーンを撮る前に目を閉じて、とても速く体を回転させ、平衡感覚をなくさせた。そんなふうに、さまざまなテクニックを使って、本当に酔っ払っているように酔っ払いを演じることができる。それと、俺は人は酔っ払うとどうなるかを知っているし――経験があるからその演じ方もわかる。だけど、たとえば『レインマン』のダスティン・ホフマンを見てみろよ。彼はあの芸術的な人物を演じ、成りきるために心を喪失しなければならなかったが、リサーチを続けたことであの人物に成りきることができたわけだ。だから、ドラッグやアルコールの経験がその人物を演じたり、映画を監督したりする上で必要だとは思わない」
(※谷川建司「イージー・ライダー 敗け犬たちの反逆」径書房、191~192頁)
『私はヴァレンティナ』のティエッサ・ウィンバックは確かに素晴らしい。そして同様に『蜘蛛女のキス』のウィリアム・ハートも、『ガープの世界』のジョン・リスゴーも、『人生はビギナーズ』のクリストファー・プラマーも、『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンクも、『リリーのすべて』のエディ・レッドメインもみな素晴らしい。統合失調症の主人公を演じた『シャイン』(1996年)のジェフリー・ラッシュも『ビューティフル・マインド』(2001年)のラッセル・クロウもまた然り。それでいいんじゃないだろうか?
文:谷川建司
『リリーのすべて』はBlu-ray/DVD発売中、U-NEXTほか配信中
『ブルー・バイユー』は2022年2月より全国公開中
『私はヴァレンティナ』は2022年4月1日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
#私はヴァレンティナ
— 4月1日(金)公開、映画『私はヴァレンティナ』公式 (@movie_valentina) March 29, 2022
🎬劇場情報🎬
4/1(金)〜
東京 #新宿武蔵野館
東京 #ヒューマントラストシネマ渋谷
東京 #シネマ・ロサ
神奈川 #kinocinema横浜みなとみらい
4/8(金)〜
大阪 #シネ・リーブル梅田
京都 #アップリンク京都
その他の劇場情報はこちら🔽https://t.co/Ra5xYpqP0s pic.twitter.com/e0lrfPjZ5V