人を好きになる病気
私は結婚してから連れ合い以外の女性には全く興味を失ってしまった、というのは真っ赤な嘘で、妻と一緒でも街ですれ違う気になる女性を目で追ったり、たまに仕事の流れでキャバクラに無理やり連れて行かれ、不覚にも「おや、もしかしたらこの娘はハゲが好きなのか」と浮かれてしまうこともあった。
しかし、人生の円熟期を終えつつある今は一切そのような邪な気持ちを抱くことはない。
墓に一歩近づくたびに、悟りへの道が拓けてきた。
そんな私であるが、過去は実に醜い。
先日、中学生、高校生の時に書いていた日記が、倉庫に放り込んでいたダンボールの中から発見された。
「絶対あいつは俺を見ていた。俺が向いた瞬間に目をそらせた」
「今日、5回微笑みあった」
「俺を好きなはずなのに、どうしてあのバカに話しかける」
毎日毎日こんなことばっかしでページが埋められていて、赤面どころじゃない、煮えたぎるような自分への怒りで目眩がする。
全て妄想。
サイコパスだったようである。
立派な病気だが、日記に書いただけでは病院に連れていかれることはない。
でも、もし誰かに読まれて、「大倉の妄想こえーよ」と言いふらされたら生きていけなかったかもしれない。
人を好きになるって結構危険。
さて、私はサイコパスだったにもかかわらず、幸いにして施設に入れられることもなくこの歳まで過ごすことができた。
しかし、アメリカでは人を好きになることが罪深いことで、「間違った心」の矯正を行う「治療」施設に入れられることがある。
実は今回この作品を観るまで、そんなことがあるなんてことは全く知らなかった。
宗教国家アメリカ
私の場合はサイコパスと呼んでも構わない状態だったが、アメリカで「矯正治療」を受けさせられる若者たちは、極めて真っ当で、おかしな妄想を抱いたりしているわけではない。
ただ、同性しか好きになれなかっただけ。
LGBTをテーマにした映画が盛んに作られるようになっている現在も、性的指向を変える必要がある人を「助ける」施設がアメリカの36州で認められていて、実際にその「治療」を行っており、その「治療」によって精神疾患を患ったり、最悪の場合は自殺に追い込まれたりするケースもある。
アメリカは世界を牽引する「文明国家」であるらしいが、同時に極めて狭隘な思想を持つ人の多い宗教国家でもある。
もちろんアメリカ人全てがそうではない。
しかし、この作品が作られたバックグラウンドはアメリカのほんの一部であるはずなのに、一般的にも受け入れられているということが恐ろしい。
どのような宗教を信仰しようともそれは個人の自由であり、その自由は完全に保証されるべきである。世界中のどの国で誰がどんな宗教を信仰しても他人が口を出すことではない。
しかし、そこで同時に守られるべき人権が著しく侵害されている場合、私たちはどのように振る舞うべきであろうか。
この作品のキャストは驚くほど豪華で、出演者の名前だけで足を運ぶ人も多いだろうが、内容はいわゆるエンターテインメントとは程遠い。
ニコール・キッドマンは一見華やかな印象を受けるが、物語の進行の中では牧師の良き妻であるために言いたいことも言えず、むしろ哀れなほど輝きがない。
ラッセル・クロウは同性愛という言葉を口に出すことさえ汚らわしいと考えるような牧師。
そして、主演は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』『レディ・バード』に出演し、近々公開される『ベン・イズ・バック』でも絶賛されているルーカス・ヘッジズ。
おまけにグザヴィエ・ドランまで登場する。
ここまでのキャストでこの題材を扱うことが必要なほど、LGBTへの間違った理解は以前と変わっていないということである。
原作を書いたガラルド・コンリーが矯正治療を受けたのは、14年前のことであるが、いまだに施設は存在し、そこに送られる若者たちがいる。
たまたまこの作品の舞台がアメリカだったので、私もアメリカの宗教的な圧力について書いたが、世界を見渡せばLGBTへの理解がある国の方がはるかに少ないことに気がつく。
もちろん日本も同様で、恐ろしいほどレベルの低いことを堂々と雑誌に書く国会議員がいるわけだから、他国のことをあげつらっている場合ではない。
宗教が信仰の純粋さを求めるほどに狭隘な姿を現すことは珍しいことではない。
特定の宗教を批判するつもりは毛頭ないが、LGBTへの無理解は人間に対する無理解だということに宗教指導者は気がついて欲しい。蓋をしていれば収まる、黙って苦しみに耐えるという時代ではなくなった。
この作品は人間への無理解という「病気」とそこからの脱却のための処方箋となる。
文:大倉眞一郎
『ある少年の告白』は2019年4月19日㈮よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
『ある少年の告白』
アメリカの田舎町。牧師の父と母のひとり息子として愛情を受け、青春時代を送るジャレッド。しかし、“男性が好きだ”と気づいたとき両親に勧められたのは、同性愛を“治す”という矯正セラピーへの参加だった。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
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