「異例中の異例」3部門ノミネート
第94回アカデミー賞では、ノミネートの時点で史上初めてのケースが生まれた。それは、国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、そして長編アニメ映画賞の3部門に同じ作品がノミネートされたこと。
国際長編映画賞と長編ドキュメンタリー賞の2部門にまたがってノミネートされるケースは、第92回(2020年)の『ハニーランド 永遠の谷』、第93回(2021年)の『コレクティブ 国家の嘘』と、じつは2年続けて起こっていた。しかし、アニメ部門まで候補になった作品は過去に例がない。「ドキュメンタリーなのにアニメ?」と疑問に思う人もいるかもしれないが、この『FLEE フリー』はそんな奇跡的な離れ業をやってのけ、こうしてアカデミー賞に至るまで世界的な評価を受けた傑作なのである。いったいどんな作品なのか。映画ファンなら興味を抱くのは間違いないだろう。
ちなみに『FLEE フリー』はデンマーク代表の作品(スウェーデン、ノルウェー、フランスとの合作)。前年のアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した『アナザーラウンド』(2020年)もデンマーク映画で、少しさかのぼっても、第89回(2017年)は『ヒトラーの忘れもの』、第88回(2016年)は『ある戦争』、第86回(2014年)は『偽りなき者』、第85回(2013年)は『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』、第83回(2011年)は『未来を生きる君たちへ』、第79回(2007年)は『アフター・ウェディング』と、近年のデンマーク代表の同賞ノミネート率は異常なまでに高い!『未来を生きる君たちへ』は『アナザーラウンド』と同じく受賞まで達した。デンマーク映画のレベルには驚くばかりだ。
世界に届けるために「アニメで描くしかない」事情
ドキュメンタリーと聞けば「実写」を思い浮かべるはず。目の前の出来事を映したり、過去のフッテージを集めたりするのが一般的なドキュメンタリーだからだ。この『FLEE フリー』は、現実に起こったこと、起こっていることを、基本的にアニメーションで表現していく。その意味でアニメ・ドキュメンタリーと呼んでもいい。このパターンの名作としては、やはりアカデミー賞で外国語映画賞(現・国際長編映画賞)にノミネートされた『戦場でワルツを』(2008年)という、レバノン内戦を描くイスラエル映画もあったが、長編ドキュメンタリー部門や長編アニメ部門ではノミネートされていない。そしてこの『FLEE フリー』の場合、世界に届けるうえでは「アニメで描くしかない」事情もあった。
主人公のアミン・ナワビは、アフガニスタンに生まれるが、父がタリバンに連行されたことで、残された家族とともに国外へ脱出する。そこからモスクワを経て、デンマークへ逃れて来たアミンは、やがて研究者としての道を歩んだ。そんなアミンとデンマークの高校で友人となったのが、本作の監督のヨナス・ポヘール・ラスムセン。これまで周囲に絶対に語ることのなかった祖国からの脱出劇を、ヨナスはアミンから聞き出す……というのが、本作の大筋。それはあまりに過酷で、衝撃的であり、アミンが決して口外できなかった理由も明らかになっていく。ちなみにアミンというのは偽名。本名を明かせば、彼や家族の命を、これからも危険にさらすことになる。当然、実写で「顔出し」なんて不可能だったのである。
大人になったアミンが横たわり、アフガニスタンの首都カブールの子供時代を回想し始める。シンプルな2Dのアニメーションで描かれるのだが、このスタイルが、時代や国境を超えてアピールする“普遍性”にも貢献する。手触りの感のある映像に、どこか親近感をおぼえるのだ。ここからのアミンとその家族の運命は目を疑うような過酷さなので、詳しく説明することは控えるが、状況に応じてアニメーションの表現も変化する。とくにショッキングなシーンの扱い方は巧妙であり、そのあたりが長編アニメーション作品として高く評価される理由だろう。
現在のウクライナ情勢とリンクする時代の暗部
じつは本作には実写のシーンもある。1980〜1990年代にかけてのアフガニスタンやモスクワの日常生活やニュースの映像があちこちに挿入されるのだ。アニメーションだけだったら、遠くの国で起こった絵空事のように感じたかもしれないが、現実の映像がアミンの物語を“事実”として裏付けてくる印象。こうした演出も効果的にはたらいている。
そしてもうひとつ、これは偶然の結果論だが、時代や国を超えてこの作品が強烈に胸に響くのは、現在(2022年3月)のウクライナ情勢とのつながりだ。多くの人が戦争を逃れ、住んでいる場所から別の国へと逃げていく現実が、どうしたってアミンと家族の運命と重なってしまう。しかもアミン一家はモスクワで長い時間を過ごすわけで、そこで描かれる体験が、現在報道されているロシアの日常とリンクする。これはもちろん作り手が意図したことではない。しかし映画とは時として、このように現実を予言してしまう。そんな事実にも衝撃を受ける。
さらに重要なポイントがあり、それはアミンのセクシュアリティだ。少年時代からジャン・クロード・ヴァンダムに心をときめかせていた彼は、ほとんどの国民がイスラム教を信仰するアフガニスタンで自分の気持ちと葛藤しながら成長。デンマークで愛する相手を見つけるが、彼との未来の生活を悩むストーリーも同時進行する。映画の終盤、ある人生の分岐点での少し年上の青年とのエピソードは、深く心に沁みわたる。難民としてのアイデンティティ。そしてゲイとしてのアイデンティティ。その両方と向き合いながら、家族や恋人、友人にも決して本心を打ち明けられなかったアミンが、こうして一本の映画のために、苦しみながらも自分自身をさらけ出そうとしている……。その姿が、アニメーションにもかかわらず、観ているこちらの魂を激しく揺さぶってくる。
国際長編映画賞では『ドライブ・マイ・カー』のライバルに
映画の完成後、『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』(2020年)でアカデミー賞主演男優賞候補になったリズ・アーメッドや、HBOの人気シリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011~2019年)のジェイミー・ラニスター役などで知られるニコライ・コスター=ワルドーが深い感銘を受け、エグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねた。彼らは本作の英語吹替版で声優も担当している。
難民問題とセクシュアリティと、時代に呼応するテーマを備えつつ、一人の人間、その激動の運命を描ききった『FLEE フリー』。しかし全編にわたって心に残るのは、人が人を信じる可能性と、その温かさだったりする。観た後の気持ちも、おそらく予想外のものとなっているはずだ。
本年度アカデミー賞のノミネーションにて『FLEE フリー』が史上初となる国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートを果たし、喜び合うラスムセン監督とスタッフの皆さん。本当におめでとうございます🎉#OscarNoms
— 映画『FLEE フリー』絶賛上映中 (@FLEE_JP) March 4, 2022
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第94回アカデミー賞では、候補となった3部門のいずれかを受賞するだろうか? そうなってほしいと願う。国際長編映画賞では『ドライブ・マイ・カー』(2021年)のライバルでもあるが、他のノミネート作品も含めて、この部門は今回、異例なまでのハイレベルであることは断言できる。
文:斉藤博昭
『FLEE フリー』は2022年6月10日(金)より新宿バルト9、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開
『FLEE フリー』
アフガニスタンで生まれ育ったアミンは幼いある日、父がタリバンに連行されたまま戻らず、残った家族とともに命がけで祖国を脱出した。やがて家族とも離れ離れになり、数年後たった一人でデンマークへと亡命した彼は、30代半ばとなり研究者として成功を収め、恋人の男性と結婚を果たそうとしていた。だが、彼には恋人にも話していない、20年以上も抱え続けていた秘密があった。あまりに壮絶で心を揺さぶられずにはいられない過酷な半生を、親友である映画監督の前で、彼は静かに語り始める……。
監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン
脚本:ヨナス・ポヘール・ラスムセン アミン・ナワビ
製作総指揮:リズ・アーメッド ニコライ・コスター=ワルドー
制作年: | 2021 |
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2022年6月10日(金)より新宿バルト9、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開