ハンガリーの生ける伝説タル・ベーラ
ジム・ジャームッシュ、ガス・ヴァン・サント、アピチャッポン・ウィーラセタクンという作家性の高い映画監督に多大な影響を与え、監督引退後もフー・ボーや小田香を育てた名匠タル・ベーラ監督。今なお熱狂的なファンを獲得し続けているタル監督のデビュー作を含む初期3作品が、このたび4Kデジタル・レストアで日本初公開となる。
それに先立ち、このレジェンドへのインタビューが行われた。配給会社代表の「お元気ですか」という挨拶に「まだ生きていますよ」とお答えになった監督は、ゆっくり噛み締めるように報道陣の質問に答えてくださった。
「私たちは今も民主主義のために戦いつづけている」
―『ファミリー・ネスト』(1977年)『アウトサイダー』(1981年)『ダムネーション/天罰』(1988年)の3作品が今回、初めて日本で劇場公開されます。『ファミリー・ネスト』の公開から数えれば、もう45年ほど経っていますね。
『ファミリー・ネスト』は22歳の時に撮った作品で、当時は本当にただ怒りに満ちて社会全体を憎んでいましたし、人々が置かれていた最悪の状況も憎んでいました。映画作りのことはほとんど知らなかったけれど、現実の生活がどんなものなのか見せたい、観客をぶん殴るような作品を、人に響くようなものを作りたいと、ただシンプルに作ったのが『ファミリー・ネスト』でした。撮影は5日間で、22歳だったので自分を縛るものは何もなかった。予算も何もかもなかったけれど、みんなで作った作品でした。
―いずれもハンガリーが民主化される前の時代の作品です。そのときの状況と、その後の映画を撮る時の製作状況で違ったところがあったら教えていただけますか?
いまのハンガリーが民主国家と呼べるかどうかは分かりません(苦笑)。当時、自分が若いころは政治による検閲によって私たちは苦しめられていました。しかし今は、市場による検閲に私たちは苦しんでいるわけです。政治に苦しめられるのか、市場に苦しめられるのか、どちらを選ぶかは皆さんにお任せしますが(笑)。私たちは今も民主主義のために戦いつづけているんです。
―お若い頃の作品を見返すことはありますか?
自分の作品を見るのは好きではありません。その作品自体を覚えていますし、自分が何をしたかもわかっているので。理解していただきたいのが、ある撮り方で撮ったとして、撮影後に新しい疑問やアイディアが思い浮かぶかもしれないけれど、最初の撮り方ではその新しい問いに答えることはもうできない。だから前に進むしかないと考えています。私にとっては、この“新しい問い”というものが大事なんです。
『ファミリー・ネスト』はドラマでしたが、映画をドラマとは違った形式で文学と同じような壮大な形で作ることができないだろうかと考えて、小説のように浮遊している『アウトサイダー』を撮りました。同時に、あの主人公たちと小さな町で出会い、彼らと出会った後に自然にアイディアが浮かんできました。私は当時24歳ぐらいで、まだとても若かった。でも自分の世代について、ヒッピー的な生活について発信したいという思いがあり、それが面白いと思っていたし、当時の自分にとっては『アウトサイダー』を作ることに意味があったんです。
「これがろくでもない人生というものなんだと見せたかった」
―『ファミリー・ネスト』ではジェンダー・ギャップが浮き彫りになっていますが、1977年にはまだそういった考え方はなかったと思います。監督は当時どのような意図で女性を主人公にして、女性の苦境を撮られたのでしょうか。
19歳の時に、あの家族が追い立てられるのを目撃しました。イレンという女性と、その夫と幼い娘が小さな穴倉のようなアパートを不法占拠して、警察に追い立てられていた。そのことに非常に大きな怒りを感じたんです。こんなことが……(思い出して憤っている様子)。最終的に映画を撮ろうと決めました。映画が好きだったからです。キャスティングで夫の父親と母親、兄弟を付け加えて、フェイクだけれども、あの家族像を作りました。こんなことも起こりうる、ということを描いたシンプルな作品です。
撮影には5日間しかかけられず、大急ぎで完成させた作品でした。それがすごく成功して、ハンガリー国内だけでなくマンハイム映画祭でグランプリを受賞するなど、国際的にも評価されました。あの映画を作ったことで自分は映画監督になり、その後で映画学校に通いました。当時は、別の作品を手掛けるためにディプロマ(卒業資格)が必要だったからです。あの映画が私の人生を決定したのです。
―ではリアリティを追求したら意図せずジェンダーギャップが現れてしまった、ということなんですね。
なんと言ったらいいのかな。女性のことも大好きですよ(微笑む)。物語を描く中で、彼女がすごく個性が強い人だったので、ああいう描写になりました。彼女(ラーツ・イレン)は、その後『サタンタンゴ』(1994年)や『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)にも出ています。友人と働くのが好きなんです。一緒に仕事をして信頼しあって、つながりの中でお互いが成長していくのは素晴らしいことだと思っています。
―『ファミリー・ネスト』ではレイプの場面もあり、その後、加害者と被害者が一緒にバーに行くシーンがあったのが驚きでした。なぜこのように描いたのでしょうか。
これが人生で起こることだからです。マンハイム映画祭で上映したときに、フェミニストのグループに抗議されました。こんなことが起きるなんて彼女たちにとっては信じられなかったんです。なぜレイプ後に被害者はこんな行動が取れるのかと。でも被害者の女性に何ができたでしょうか。どんな選択肢があったというのでしょうか。とても冷酷なシーンですが、これが人生に起きることなんです。この後にまた重要なシーンがあり、妻のもとに戻った男は妻と抱き合います。(レイプ加害者でもある)夫とその妻は、互いに愛しあっているんです。それぞれのシーンを比較すると奇妙に感じられる。でも、これこそ人生のロジックなわけで、これがろくでもない人生というものなんだと見せたかったんです。
「1984年に、東京で初めて“能”を見ました」
―『ファミリー・ネスト』は5日で撮られたということですが、『ダムネーション/天罰』はどうだったのでしょう。前者はアップのシーンが多く、後者では引きのシーンが多いと感じました。
『ダムネーション/天罰』の撮影は30日間ぐらいです。長いあいだ映画を製作してきましたが、1作目の『ファミリー・ネスト』と最後の『ニーチェの馬』を比較してみると、多くの共通点があると気づくでしょう。長いモノローグやテイクが長いことなどは、あまり変わっていません。しかし、最初は“社会のどうしようもなさ”を訴えたいと思って作っていましたが、問題はそれだけじゃないと気づくようになり、社会問題だけでなく“存在論”的に考えるようになって、自然を入れ込むようになったんです。世界をより理解できるようになり視野が広がっていったことで、撮り方もより開かれていったと思います。
―『ニーチェの馬』ではものすごい風がずっと吹いていて、『ダムネーション/天罰』ではずっと雨が降っています。最後の野犬とのシーンが印象的でした。
『ダムネーション/天罰』では降雨機を使いました。犬はレックスという名前でした。いろんな作品でいろんな動物と仕事をしていますが、動物と仕事をするときは彼らのことをよく知る必要があります。訓練するときは俳優と遊ばせないといけません。あの作品の場合は、レックスと主役の俳優が毎日一緒に遊びながら過ごす時間をとって、関係を築いていきました。『サタンタンゴ』での猫のシーンも同じやり方で撮っていて、エリカ・ボックと猫はずっと遊んでいました。それが自然です。難しくはないけれど、動物たちが何を感じるか理解しなければいけない。
『ダムネーション/天罰』以外の映画でも、自然との関係、動物との関係を掘り下げています。『サタンタンゴ』のオープニングの牛がやってくるシーンも同じで、そういうシーンをなぜ撮ったかといえば、宇宙には人間だけでなく動物もいるし、自然もあるからです。最初は社会がテーマで、ただ世界を変えたいと思って撮っていた。それがより一歩前に進んで、自然や宇宙など人間の関係性以上の、もっと先、もっと深いものを撮りたくなったんです。それで『秋の暦』では、人が人に与えうる地獄を描きました。
『ダムネーション/天罰』は、実は日本に初めて行ったときのことがきっかけになっています。1984年に、東京で初めて“能”を見ました。6時間にわたる能でしたが、演者が30分くらいかけて舞台を横切っていく……。そのとき、自分の中でゆっくりと理解できたことがありました。名前は忘れてしまいましたが、当時90歳くらいの教授に美術館に連れていってもらい、二つの黒点がある絵を見たのですが、その教授は「西洋の方は黒い点のところを見るでしょう、私たちは白い余白を見るのです」と言ったのです。
その後すごく腑に落ちて、帰国する飛行機の中で、自分は愚かだったと思いました。なぜ物語に囚われていたのだろう、余白部分にもっと注意するべきだったんじゃないか、と。それは私にとって重要な体験だったんです。物語は大体どれも同じだ、余白にあるものが重要なんじゃないか、というのが私のテーマになりました。
取材・文:遠藤京子
『ダムネーション/天罰』、『ファミリー・ネスト』、『アウトサイダー』は2022年1月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムで開催「タル・ベーラ 伝説前夜」にて一挙公開