なぜ、いま『マトリックス』なのか
――第3作『マトリックス レボリューションズ』(2003年)から約18年。突然の新作の発表に、「なぜ、いま」と感じた人は多かったのではないか。
第1作『マトリックス』が世に放たれたのは、1999年。バレットタイムに代表される本作の革新的な映像表現や「人間が機械に“栽培”され、仮想現実(マトリックス)を生きている」といった設定、アイコニックなサングラスにロングコート、ユエン・ウーピンを口説き落として作り上げた驚異のワイヤーアクション等々、観客/作り手に与えた影響は計り知れない。
まだインターネットがそこまで普及しておらず、SNSなどもってのほかの時代。テクノロジーと人間の関係性含め、『マトリックス』は極めて先進的であり、漫画やアニメといったサブカルチャーの影響を受けているにせよ、およそ前例がなかったといっていい。
ただ、『マトリックス』はある意味で売れ過ぎた。本作以降、影響を直接的/間接的に受けた作品(映画に限らず)は世にあふれ、もはや私たちの価値観自体にインプットされてしまっている。何もないところから突如として登場した“救世主”は、創作物の歴史を何年も先に進め、3部作の幕を閉じた。さすればこの現代は、救世主が命をもって変革した後の世界。言ってしまえば、救世主の存在をもう必要としないわけだ。そこに第4作として『マトリックス レザレクションズ』が来たとて、大いなる蛇足になってしまう危険性は十二分にあった。
例えばネオが6人目の救世主であったように、新たな救世主を描くリブート作品であったり、『007』シリーズのような代替わり作品であったりしたら、それはまた別。ただ『レザレクションズ』では、ネオ(キアヌ・リーヴス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)は続投。そもそも『マトリックス レボリューションズ』でネオもトリニティーも死亡しており、レザレクションズ(復活)とはいえ何事もなかったかのように帰ってくるのは、無理があるのではないか……。
「いま新たな物語を紡ぐこと」に対する必然性
※物語の内容に一部触れています。ご注意ください。
そういった感情も含め、およそ整合性という意味でファンの中でささやかれていたのが“分岐説”。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(2007年ほか)のように第1作を踏襲しつつ、途中から新たな展開に流れ込んでいく形態だ。たとえば『レザレクションズ』は、真実を知る赤いピルではなく、マトリックスにとどまり続ける青いピルをネオが選んだ世界なのではないか。そういった「What if?」なパラレルワールドを描きつつ、ひょっとしてマルチバースのようにつながるのでは? なんて憶測が飛び交っていたわけだ。
だが、『マトリックス レザレクションズ』の中身を知った観客は、衝撃を受けるだろう。本作はパラレルワールドでもリブートでもなく、純粋な続編。しかも第3作『レボリューションズ』から云十年後を描いた物語だった。死亡したはずのネオとトリニティーはある理由から“復活”し、再び人間電池として機械に栽培されていた。スミス(ジョナサン・グロフ)もまたネオと共にリセットされた存在となり、モーフィアス(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)はこれまでの“彼”とは別の存在に。なぜ、これまでエージェント・スミスを演じてきたヒューゴ・ウィーヴィングとモーフィアス役のローレンス・フィッシュバーンが続投しないのか? という観賞前の疑問は、作品を鑑賞すれば「そういうことか」と合点がいく。
この点にもリンクするが、『マトリックス レザレクションズ』はあらゆる面で「いま新たな物語を紡ぐこと」に対する必然性が行き届いている。ネオとトリニティーがなぜ復活したのか? はもとより、ネオが再び現実に帰ってくるまでに時間がかかった理由にも、納得のいく“仕掛け”が施されている。さらに、約20年ぶりの新作ということで様々な“進化”が投入されている点も秀逸だ。
例えば、人類と共存する機械「シンシエント」や、マトリックス内のプログラムが現実世界でも存在できる「DSI(デジタル自己イメージ)」、エージェントに代わる機能として導入された、マトリックス内の人間を意のままに操る「ボット」、さらにマトリックス内の行き来に電話ボックスが不要になっている等々、マトリックス内のテクノロジーの進歩がいくつも登場する(物語展開に無理がないばかりか、2021年という時代性にもリンクしている点は流石というほかない)。
自らの役目を終えた“救世主”の目的とは?
さらにいうと、これまでの3部作にあった“疑問”のいくつかが解消されるつくりになっており、「ネオがビルに潜入した際、清掃員にフォーカスされていたのはなぜか?」「トレインマンとは何だったのか?」「“プログラムが愛を語る”とは?」等々、過去作の意味深なシーンが、ご丁寧に都度挿入されて“解決”していく。ネオが再びマトリックスから現実世界に戻るシーンでは、セリフや展開も第1作を踏襲しており、「ネオがビル間のジャンプを失敗した」シーンの“リベンジ”も用意されているなど、実に心憎い。
そしてまた上手いのは、「なぜいま『マトリックス』?」と感じる“不満分子”に対しても目くばせを行っていること。マトリックスの世界ではネオ/トーマス・アンダーソンは大ヒットゲーム<マトリックス>を作り出した天才ゲームデザイナーという設定になっており、4作目を作ることに対してスタッフ内で意見が戦わされるシーンがある。こうしたメタ的な演出を勇敢にも取り入れ、“冷め勢”を物語に取り込んでしまう方法論は、実に鮮やか。また、現実世界ではネオの“次世代”たちが、彼に「本当に空は飛べるの?」「大ファンなんだ」と質問や想いをぶつけることで時の流れを感じさせつつ、ネオが残した功績を再評価する。
ただ最も重要なのは、救われた後の世界でネオが何をするのか、をメインのストーリーに据えていること。役目を終えた救世主は、自らの人生のために動く。それは、愛する存在を救うことだった――。『レザレクションズ』はネオとトリニティーのラブストーリーだが、そこに至るまでの流れが美しく、整合性もきっちりと取れている。そこにシリーズのテーマである“選択”が加わることで、見事な大団円を迎えるのだ。
『マトリックス レザレクションズ』が製作に至ったのは、監督のラナ・ウォシャウスキーが相次いで両親と親友を亡くしたことに端を発するのだという。悲嘆にくれていた彼女は「自分にはまだネオやトリニティーがいる」と気づき、彼らの物語を再び紡ぐべく動き出したのだとか。そのような個人的な想い――“愛”も感じさせつつ、空白期間も必要なものとして納得させてしまう強度。『マトリックス』シリーズは、今後『レザレクションズ』無しでは語れない。
文:SYO
『マトリックス レザレクションズ』は2021年12月17日(金)より公開中
『マトリックス レザレクションズ』
もし世界がまだ仮想世界[マトリックス]に支配されていたとしたら――?ネオ(キアヌ・リーブス)は、最近自分の生きている世界の違和感に気付き始めていた。やがて覚醒したネオは、[マトリックス]に囚われているトリニティーを救うため、何十億もの人類を救うため、[マトリックス]との新たな戦いに身を投じていく。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年12月17日(金)より公開