この綺麗な“女の子”は誰だろう?
『ベニスに死す』(1971年)を初めて見たのは、貪るように映画を見ていた中学時代。ワーナーホームビデオ版『ベニスに死す』のジャケットは地味だった。表ジャケはダーク・ボガート演じるグスタフが電話を手にしている。そして、裏ジャケには白と紺のセーラー服を着たタジオの姿。説明を見ると“少年”とある。
「え、少年!? 少女じゃないんだ……」
今、こんな話をすると“政治的に正しくない”と怒られそうだが、私はその中性的な美貌に衝撃を受けた。こんなに美しい少年がこの世に存在するとは。映画も恐ろしかった。初老の作曲家が少年タジオの美しさに魅せられ、その輝きに反して醜く老いる自分に耐えきれず悶死する。“老い”とは恐ろしいことなのか? 奇しくも私は当時15歳。『ベニスに死す』でタジオを演じた時のビョルン・アンドレセンと同じ歳だ。思えば“歳をとる恐ろしさ”を知ったのは、この時だった。
ビョルン・アンドレセン本人が出演する『世界で一番美しい少年』は、彼の人生の足跡を辿るドキュメンタリーであり、未成年の彼を食い物にした人々を告発する内容でもある。
陰鬱セラピー映画として名を馳せた『ミッドサマー』(2019年)で久しぶりに我々の前に姿を現したビョルン。ヘンテコな儀式で自害する老人ダン役が、あの『ベニスに死す』の美少年と同一人物と知り、ショックを受けたヴィスコンティのファンも多いのではないだろうか。
世界が驚いた稀代の美少年タジオ
ビョルン・アンドレセンは巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、15歳で『ベニスに死す』に出演。思春期特有の繊細で妖しい魅力を、ヴィスコンティは「世界一美しい少年」と称した。しかし、当の本人は戸惑っていた。自分がそんな稀少な存在だとは思っていなかったからだ。
ビョルンは1955年、スウェーデン生まれ。母親はアーティストで、異父妹を11ヶ月違いで生んでいる。父親のことは誰も知らないという複雑な家庭であった。
幼い頃、母が窓辺で何も見えない暗闇をずっと眺めている姿を見て、「僕が早く大人になってママを守ってあげよう」と思ったという。しかしビョルンが大人になる前に、母は突然消えてしまった。母親の失踪は10歳の彼の心に、決して満たされることのない大きな穴をあけた。
その後ビョルン兄妹は祖母に引き取られ、少年らしく健やかに成長していく。そんなビョルンの美しさを使って、祖母は一儲けすることを考えた。折しもヴィスコンティが『ベニスに死す』のタジオ役を探しにスウェーデンにやってくるという。祖母の勧めでビョルンはオーディションに出場する。
オーディションの模様は『タジオを求めて』(1970年)というドキュメンタリーに記録されている。舌なめずりして美少年オーディションに臨むヴィスコンティ(ご存じの通り彼は同性愛者である)。ビョルンが登場すると、ヴィスコンティの表情が変わった。あらゆる角度で撮影したあと、「じゃあ上半身、裸になって」というギョッとするセリフが飛び出す。ビョルンは嫌がり戸惑うが、結局服を脱ぎポーズをとる。イタリア人の強面映画監督に威圧されて拒否できるだろうか?
どこから見ても未成年虐待で見るに耐えないはずなのだが、皮肉なことにこの時の彼は息を呑むほど美しく、目が釘付けになる。竹宮惠子「風と木の詩」のジルベールのように冷たく青い目に白い肌、華奢な体つき。無造作な輝く金髪――。『ベニスに死す』で老音楽家の心を篭絡した美少年タジオは、彼に決定した。ビョルンはわけが分からないまま、イタリアに連れて行かれ撮影が始まる。
数十年間にわたり搾取され続けたビョルン
『ベニスに死す』は大成功した。特にビョルン演じるタジオに注目が集まった。主に、日本から。「日本に行ってきなさい」というステージ祖母の勧めに従ってビョルンは来日する。
少女漫画から抜け出たかのような金髪碧眼の美少年に、当時のミーハーファンが群がった。凶暴化したファンに髪を切られたというから勘弁してほしい。加害者は今でも、その髪の毛を持っているだろうか? 日本での仕事は過酷であった。10代の少年に薬を飲ませ、幾日も寝かせずにこき使ったのだ。もはや犯罪である。腹立たしいのは、何食わぬ顔でインタビューに応じる関係者のコメント。高度成長時代の日本がどれだけ異常だったかよく分かる。
ビョルンへの被虐人生はまだ続く。今度は映画の撮影準備のためとパリに1年間も住まわされた。結局、その映画は制作されずビョルンは囲われ者のように扱われることになる。
未成年者虐待、性的虐待、さらに同性愛者と勘違いされるなど、ひどい仕打ちを受け、今もその傷が残るビョルン。彼の人生は、つねに彼の意志を無視して搾取され続けてきたように見える。彼の一番の不幸は“生き残る術”を学ぶ機会すら与えられなかったことだ。役者としても作曲家としても中途半端のまま、50年間すごしてしまったビョルン。『世界で一番美しい少年』は、そんな今まで彼がどうやって生き残ってきたのか? を教えてくれる。
布団が溶け、埃と虫の糞がこびり付いた汚部屋、古傷をえぐるような日本訪問、『ミッドサマー』の撮影現場で無残に潰された自分のダミーヘッドを嬉しそうに撮影する姿。あまりにも無邪気な彼の姿は、“世界で一番美しい少年”のままだ。彼は無邪気さゆえに、生きる術を知らずとも生きてこられたのだ。
彼の心は老いておらず、15歳のままだ。『世界で一番美しい少年』は、『ベニスに死す』で私が知った“歳をとる恐ろしさ”を真っ向から否定する。一見、セルフネグレクト老人の絶望的な物語のように映るかもしれない。だが、私はこの映画に一筋の光を見いだしている。心さえ老いなければ、生きていけるのだ。彼は外見だけでなく、精神も美しかった。私はそう思いたい。そして自分もそうありたいと思う。こんな気持ちにさせてくれるドキュメンタリーは、そうないだろう。
文:氏家譲寿(ナマニク)
『世界で一番美しい少年』は2021年12月17日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか全国順次公開
『世界で一番美しい少年』
“世界で一番美しい少年”として当時一大センセーションを巻き起こしたのは、巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、映画『ベニスに死す』のタジオ役に抜擢されたビョルン・アンドレセン。その美しさは日本の美少年カルチャーに多大なる影響を与えた。マンガ「ベルサイユのばら」の作者・池田理代子氏が語るのは、彼が主人公“オスカル”のモデルであったという事実。そして50年後、伝説のアイコンは、『ミッドサマー』の老人ダン役を演じ、その驚きのインパクトは大きな話題となる――。
今明かされる『ベニスに死す』の裏側と、世界一の美少年と言われたビョルン・アンドレセンの栄光と破滅。2021年のサンダンス映画祭で話題をさらった衝撃のドキュメンタリー、ついに上陸。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年12月17日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか全国順次公開