大好きだった亡き親父の思い出
私は父親のことが大好きだった。いわゆる“普通の”お父さんとはちょっと違っていて、人としてはダメな親父だったかもしれないが、尊敬もしていた。なぜなら、遊ぶことの天才だったのだ。
子供の頃にはいろんなことを教えてくれた。親父の影響で野球が好きになり、まずグローブを買ってもらい、親父とのキャッチボールから始まって少年野球にも入った。毎年、冬になるとスキーにも連れて行ってくれて、スキーも上達した。親父はプラモデルも大好きで、小学校1年生の時にガンダムと日産フェアレディZのプラモデルを買ってくれて、作り方を教わった。五目並べに将棋、オセロも全て親父が教えてくれた。
小学校高学年になると、麻雀の並べ方まで教えてくれた。親父は博打も大好きだったのだ。なんでも賭けたがる親父は、子供の運動会の着順まで賭けようとして母に怒られていた。とにかくギャンブルが大好きで、私が生まれる前に大阪で寿司屋をやっていた頃は、魚市場に行ったきり帰ってこない。仕入れた鮮魚をカゴに入れたまま、近所のパチンコ屋や雀荘に入り浸っていたらしい。その都度、母がまだ幼い兄の手を引いて迎えに行っていたそうだ。
ある時、また親父が仕入れに行って帰ってこないので、母はパチンコ屋に行ってみたが、親父はいない。一晩たってやっと帰ってきたので、どこに行っていたのか問いただすと、いつものようにパチンコを打っていたら、隣でチンピラ同士のケンカが始まったので面白がって見ていたところ警察官がやって来て、当時は板前らしく角刈り頭で、たまたまサングラスをかけていた親父も仲間だと思われ、チンピラと一緒に留置所に入れられていたという。もちろん、魚はダメになっていた。
今年も新しい熊手をお迎えする事が出来ました!
— 桐畑トール (桐畑ダボ男) (@KiriHemo) November 21, 2021
商売繁盛!家内安全!
無病息災!
シャンシャンシャン! pic.twitter.com/auMywgSkZT
そんなこんなで私が大好きだった親父も他界して、もう12年。東京に住んでいた私は親父の訃報を朝、兄からの電話で知り、午後のラジオの生放送を終え、その後の仕事も代役を立ててもらい、なんとか都合をつけて急いで新幹線で実家に帰った。その晩のお通夜と翌日の葬儀には顔を出せた。
この葬儀も親父らしいというか、おもしろハプニングがいくつか起きた。まず棺桶の前でお坊さんがお経を唱えている時、大勢来ていただいた参列者の中から、なんとも軽快なロックミュージックが陽気に流れ出した。参列者の皆さんが「誰だ誰だ!?」とキョロキョロしていると、わざわざ東京から駆けつけてくれた私の相方、無法松がおもむろにポケットから携帯電話を出して音楽を止めた。葬儀の神妙な空気の中、流れたロックのテンポの良さのせいで、間違いなくお坊さんの木魚のテンポも早くなっていた。
お経が終わると、4人も来ていただいたお坊さんの1人が若い方で、今回の葬儀がデビュー戦だったのか、足が痺れてなかなかうまく立てない。他のお坊さんはスッと立ち上がっているのに、1人だけモタついている。何度もチャレンジするが、真っ直ぐ立てない。笑ってはいけない空気の時ほど笑いが込み上げてくるもので、私はグッと唇をかみしめて笑いをこらえながら下を向いた。
そして霊柩車が家の前に到着し、最後のお別れの出棺の時、先頭にいた喪主の兄が参列者の皆さんに、涙ながらに挨拶を始める。兄の後ろに親父の遺影を抱える母。その後ろに位牌を持つ兄嫁。その後ろに私と親戚の叔父さん3人が棺桶の四角に手を掛け立っていたのだが、兄の話が少し長かったせいで、私の後ろの棺桶の角を持っていた叔父さんが、「もう手が限界……」と小声でつぶやいた。すると私の横で持っていた別の叔父さんも、「わしもヤバい……」と言い出す。
マズイ! こんなところで棺桶を落として中から親父がゴロンと出てきたら、とんでもない大爆笑が起きてしまう! 私は必死で叔父さんたちを「もうちょっと、もうちょっと頑張ろう……!」と小声で励ました。
なんとか耐えた私と叔父さんたちは、兄の挨拶が終わるや否や、兄嫁と母を押し退けるように直進し、親父の棺桶を霊柩車に放り込んだ。なんともマヌケな葬儀だったが、これはこれで良い思い出になったと今では思える。
ということで今回は、父と子の絆を描いた2011年公開の『プリンセス トヨトミ』をオススメしよう。
舞台は現代! でも『プリンセス トヨトミ』は戦国映画だ!!
映画『プリンセス トヨトミ』は現代の大阪が舞台なので、戦国映画ではないという方もいるだろう。ところがどっこい、戦国時代末期の大戦がしっかりと関わってくるお話なのだ。
物語は、東京から会計検査院の調査官3人が、謎の団体<社団法人OJO>の実地調査のために大阪にやって来る。この謎の団体の会計報告を調べるが、おかしなところはない。しかし、どこか怪しい。OJOの古い建物の奥にある扉の向こうが特に怪しい。調べていくうちに、表向きOJOと名乗るこの団体は、国からの補助金の受け皿であり、タイトルにもあるように“プリンセストヨトミ”、まさしく王女を守る団体だったのだ。そして怪しい扉の先の長い通路を抜けると、そこには大坂夏の陣から400年の歴史を超えて「大阪国」なるものが密かに存在していた。そして最後は父と子の絆にまつわる、とてもグッとくる展開が待ち受けているのだ。
と、簡単に言えばこんなストーリーなのだが、この映画の何が戦国好きにたまらないかと言えば、配役の役名がいい。まず主役の堤真一さん演じる検査官・松平元(まつだいらはじめ)。この名前は徳川家康の若き頃の名前、松平元康(まつだいらもとやす)から来ている。そして綾瀬はるかさん演じる検査官・鳥居忠子は、家康の家臣・鳥居忠元から名付けたたと思われる。
さらに岡田将生さん演じる検査官・旭ゲーンズブールは誰が由来だろう? と悩んだが、すぐにわかった。豊臣秀吉の妹で、家康に外交戦術の一つで嫁がされた“旭姫”から名付けられているのだ。他にも、笹野高史さん演じるOJO職員の名が、長曾我部。これは大阪の陣のときに豊臣方の主力だった長曾我部盛親などの長曾我部氏から。そして地元の暴力団の息子で悪ガキの中学生の名が蜂須賀。これは秀吉の側近・蜂須賀小六から来ているのがわかる。極めつけが中井貴一さん演じる、普段はお好み焼きの店主だが実は大阪国の総理大臣という人物、その名も真田幸一。これは明らかに豊臣方、大坂城の出城・真田丸で大活躍した真田幸村からとられている。
こんな役名が並んだ上に、物語は1614年の豊臣と徳川の最後の決戦「大坂の陣」が関係してくるのだから、この映画は間違いなく戦国映画なのだ。そして、ぜひとも親子で観ていただきたい作品でもある。
豊臣・徳川にまつわる戦国都市伝説!
ならば今回の戦国雑学は、大坂の陣の都市伝説的なものを紹介しよう。
大坂夏の陣で自刃した太閤秀吉の遺児、豊臣秀頼が生き延びていた説。これは都市伝説のように今も語られることがあるのだが、自刃して介錯された秀頼の遺体は黒焦げで、徳川方も秀頼かどうか判別がつかなかったと文献に残っている。ただ、側に秀吉の秘蔵の名刀・吉光があったため秀頼だと判定されたのだ。これでは本当に秀頼が死んだとは言い切れない。
さらに秀頼の生存が世間で囁かれ始めたのも案外と早い。大坂の陣の直後、京都や大坂でこんなわらべ歌が流行ったのだ。
「花のようなる秀頼さまを 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたよ加護島へ」
――この歌は、真田幸村が秀頼を連れて薩摩に落ち延びたことを思わせる。ということは幸村も討死しておらず、首を取られたのは影武者だったのではないか? その証拠に、幸村と思われる首を討ち取った西尾仁左衛門という侍には、恩賞が与えられなかった。まさかの徳川家康も、この首が幸村だと確信できなかったのかもしれない。
しかしこの説が本当ならば、秀頼と幸村はどうやって大坂城を抜け出したのか? 言い伝えには、大坂城には「真田の抜け穴」と言われる抜け道があったとされている。何より秀頼の子・国松は大坂城から脱出に成功し、大坂を離れて京都の伏見の商家に潜んでいるところを捕らえられて処刑されているのだ。ならば大坂城からの脱出は全く可能性がないわけではない。ますます秀頼生存説に信憑性が増すというものだろう。
さて、薩摩に落ち延びた秀頼は、その後どうなったのか? いくつか話が残っており、その一つが、薩摩の鹿児島城下に突然、身長180センチ以上の大男が現れたという話。その男は毎日浴びるように酒を飲んで無銭飲食を繰り返すので嫌われ者だったそうだが、薩摩藩はこの男を庇護していたとか。秀頼も身長が180センチ以上あったらしく、自分の運命の不遇さに、酒浸りの生活に落ちぶれてしまったのかもしれない。そして薩摩で嫁を娶り子供も授かったが、45歳で自ら命を絶ったと言われているのだ。
さらに、このとき授かった子供が後に成長し、あの「島原の乱」の天草四郎になったという説まである。かなり信憑性は薄いが、戦国末期にもこんな都市伝説が存在するのだ。信じるか信じないかは、あなた次第。
文:桐畑トール(ほたるゲンジ)
『プリンセス トヨトミ』はAmazon Prime Videoほか配信中
『プリンセス トヨトミ』
大阪全停止。その鍵を握るのは、トヨトミの末裔だった。
このことは誰も知らない。
七月八日の金曜日、午後四時のことである。
大阪が全停止した。
通常の街としての営業活動、商業活動は停止。
地下鉄、バス等の公共機関も運転をやめた。
種々の非合法活動すら、その瞬間、この世から存在を消した。
四百年に渡って封印されてきた扉を開ける重要な“鍵”となったのは、
東京からやって来た会計検査院の三人の調査官と、
大阪の商店街に生まれ育った二人の少年少女だった―
制作年: | 2011 |
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監督: | |
出演: |