混沌に飲み込まれる若きゲリラ兵たち
少年少女兵だけで構成されたゲリラ部隊の暴走を描く『MONOS 猿と呼ばれし者たち』が2021年10月30日(土)より劇場公開される。右派とも左派ともわからない暴力組織の末端にいる彼らが、ある事件から空中分解していく、戦争の混沌を描いた問題作だ。
監督は、建築家としても才能を発揮するアレハンドロ・ランデス。建築物の整った美しさとは正反対のカオス的な映画でありながら、映像は現代美術のように美しい。まったく違う“美”が創り上げられた背景を、ランデス監督に聞いた。
「キャストはスタッフと同じ宿舎に寝泊まりして、起床も就寝も同じ時間」
―若い兵士たちが目隠しサッカーをしている場面から映画が始まるのが暗示的です。彼ら=MONOSが極左過激派なのか極右暴力組織なのか、どんな戦闘部隊にいて、誰と戦っているかすらわからない、そうした混沌を表しているのでしょうか。目隠しサッカーは訓練すらも遊びになってしまうほどの、彼らの幼さも表しているようにも見えました。
そうです。実際のコロンビア正規軍の軍事訓練を見てアイディアを得ました。アメリカからの資金流入でコロンビア軍はますます大きくなっていて、兵器はどんどん洗練されていますが、訓練は原始的なテクニックを重視したものになっています。たとえば、絶対に音を立てないように裸足で移動するとか、笛だけでコミュニケーションを取り合うテクニックが通常の戦争で使われているんです。
一方で、彼らがただゲームしているようにも見せたかった。彼らは目隠しされていて、左右に何があるかもわかっていない。彼らが将来何をするのか、過去に何をしてきたのかもわからない。人によっては少年か少女かもわからない。この場面には「まだ何もわかっていない」ということについての多くの情報をこめました。観客が、登場人物の存在感、身体性、人間性から、関係性を見つける必要があるのです。
観客は登場人物の姓すら知りません。みんなスマーフ、ランボー、ウルフなどニックネームで呼び合っています。ああいった組織には、ある者は必要に迫られ、ある者は何者かになりたいと思って、さまざまな理由で入ってきます。しかしシナリオでは、彼らは選びようがなくその組織にいることになっているのです。
―8人の兵士を演じる少年少女たちは全員魅力的ですが、オーディションでは800人の中からどういう基準で選んだのでしょうか。
私はコロンビアで800人の少年少女に会って、ビッグフット役のモイセスはハリウッド俳優(『キングス・オブ・サマー』[2013年]ほか出演)ですが、ほかの子の多くはカメラの前に立ったこともなかったし、都会出身の子もいれば田舎から来た子もいます。最終的には精神性が映像から感じられる25人を選んで、数週間、山で生活してもらいました。
午前中は基本のトレーニングや軍事トレーニング、午後は演技の練習。スタッフ全員と同じ宿舎に寝泊まりして、起床と就寝も同じ時間でした。人間性はもちろん見ましたが、キャラクターだけではなく、集団になったときにどんな人間関係ができるだろうか、という部分を見ました。彼らがそれぞれどう演技するか、MONOSとしてどんな集団になるかで最終的にキャスティングを決定したんです。
そうして彼らの声やイントネーション、行動に合わせて脚本を書き直し、生き生きした集団が生まれました。カリスマ性、リーダーシップ、内面の混乱……彼らそれぞれの人生経験がありました。彼らの中に嫉妬や愛、関心、惹かれあう関係性が起こりそうになるのをカフェテリアやトレーニングで見て、それをフィルムにとらえたのです。
―関係性がすでに出来上がっていて、そこから彼らを選んだということですね。
もちろんプリプロダクション前には、彼らはお互いに会ったことがなかったので同じ宿舎に寝泊まりすることで関係性を作ったわけですが、撮影時にはもう兄弟や姉妹のようになっていましたね。
―脚本を書き直したとのことですが、物語に合わせて彼らを選んだのですか? それとも彼らに合わせて物語を変更したのですか?
両方です。すでに書いてあった脚本と関係なく彼らを選んだのですが、脚本を書き直して、もともとあった映画のアイディアに彼らがハマるようにしました。
「元兵士をどのように社会に迎え入れて平和を作っていくのかが重要」
―暴力がコミュニケーションの一種で、ランボー(少年兵)が誕生日に友だちに殴られて祝福されるシーンはちょっと衝撃でした。
普通とは違う場面を入れたかったのです。学校などでも誕生日に、友だちに耳を引っ張られたりしますよね。日本でも子どもたちは誕生日にふざけたあったりしませんか? ここでは、特にエクストリームな誕生祝いのシーンを見せたかったのです。仲の良い関係性で、痛みさえ喜びになるようなことがある、と。
―劇中で「博士」と呼ばれている人質ですら暴力に引き込まれていき、兵士たちが暴力から救われるかどうかは最後までわかりません。彼らはどうなるのでしょうか。
大事なのは、被害者だった者が加害者にもなり得るということです。モラルや善悪をはっきり分ける線というものは存在しません。これは良い/これは悪いとはっきり言っている映画のほうが落ち着くということもわかっていますが、現実には真実は流動的で、被害者が加害者にもなるし、その逆もあり得ます。博士の場合は生きるため、自由を得るためにはああするしかなかった。
彼らはどうなるのか? というあなたの質問は、私たち自身への問いかけでもあると思います。特にランボーに対しては、誰もが助かるのだろうか、と疑問を抱くと思います。アフガニスタンの人々を見て、逃げていく彼らはどうなるのだろうか、と思いますよね。平和協定の後、ゲリラ兵はどうなるのだろうというのも同じで、これは私たちが今後どうしていくのか、という問いかけなんです。
ランボーが生き延びられるかどうかということだけではなく、感情的にどうなっていくのか、生き延びたとしてどんな人生を送るのか……。ヘリコプターのパイロットが無線で“ある確認”をしますが、あれが重要な問いかけになっているんです。
―彼らが“自分たちで決定しない”ことがすごく怖かったです。チリの独裁政権がヘリコプターから政治犯を落として殺したりしていたことも思い出しました。
確かにそうした不幸な出来事もありましたが、あのシーンについては観客自身がランボーを迎え入れるかどうか考えなければならない、という狙いがあったのです。流動的な脚本、流動的なシチュエーションなので、ランボーの運命も決定されていません。
―つまり、人々に議論してほしいということですか?
その通りです。議論しなければなりません。コロンビアの内戦はあまりにも長期化しましたし、左派ゲリラ組織と極右暴力組織、コロンビア軍など勢力が多すぎて、左派ゲリラも社会主義者とマルクス主義者で分かれていたりします。どの勢力か、どういうイデオロギーかということは問題ではなくて、今後どうしていくか、元兵士をどのように社会に迎え入れて平和を作っていくのかが重要です。
これはベトナム戦争後のアメリカに似ていると思います。帰還兵を社会にどう迎え入れるのか、傷ついた彼らをどのように扱うのかがアメリカ映画の一大テーマになって、『タクシードライバー』(1976年)のような映画が作られましたよね。だから、これはコロンビアだけの問題ではないと思います。テーマはもっと大きいのです。
「左派ゲリラでも極右組織でも、同じリハビリを受けて社会復帰する」
―MONOSが焚き火やパーティを楽しんだりして、街にいる普通のティーンとまったく変わらないと感じるシーンもありました。そこは狙っていたんですか。
そうです。最初にこのテーマを撮りたいと思ったきっかけが、カンヌ映画祭に出品した『ポルフィリオ/Porfirio』(原題:2011年)でした。ポルフィリオは車椅子に座りながら、手榴弾をおむつに隠して飛行機をハイジャックした人物なのですが、私はキャスティングで長いプロセスを経た末に、やっぱり本人に演じてもらった方がいいと思ったのです。でも彼はまだ刑期が明けていなかったので、彼の映画を撮る許可をもらいに法務省に行かなければなりませんでした。その時点で彼は5年間軟禁されていました。
私が法務省に行くと、ジーンズやスニーカー姿の少年たちでいっぱいだったんです。こんな子どもが法務省なんかで何をしているんだろう? と思ったら、ゲリラや極右暴力組織にいて逮捕されたのだとわかりました。彼らは演技のワークショップを受けたり、音楽を演奏したりしていました。それを見に行ってもいいか尋ねたら、「ぜひ」と言われました。そうして私はワークショップを見に行った。それが最初の体験です。
―捕まった少年兵たちはコロンビアではどうなるんですか。
普通はリハビリを受けて、段階を踏んで社会復帰します。ワークショップはそのためで、ホストファミリーや家族のところから通います。彼らは左派ゲリラや極右組織などまったく別々の組織にいて、ジャングルや野原や市街で互いに戦っていたのに、同じリハビリのプログラムを一緒に受けている。そこが面白いと思ったんです。
―社会復帰の道が用意されていると知って、ちょっと安心しました。高山やジャングルで撮影されていますが、撮影でいちばん苦労したのはどのシーンでしたか?
どのシーンも、とても大変でした。標高4000メートルの山も、ジャングルも大変でした。ハリウッド俳優と未経験者が両方いて、動物も使いましたし、ヘリコプターのシーンもあって、特殊効果やデジタルエフェクトも使い、ずっと緊迫状態でした。
混乱を作り上げたにしても、決まった画面でスタイルを決めて撮らなければならないわけです。どうやって演出するか、どうカメラを動かすか。天候もどうなるかわからないし、そういう現場で8人のティーンエイジャーと動物をコントロールして、ひとつの画面に収めなければいけない。すごく大変でした。周囲の人も心痛や胃痛になっていたと思います。私のことはもう許してくれているでしょうけれど、映画が完成するのに神の力が必要と思ったときもありました(笑)。
「ジャングルの真ん中のエデンの園のようなところにいるのだけれど、誘拐されている」
―焚き火のシーンやコンテンポラリーダンスのような襲撃、水中シーン、土を塗られて塑像のようになったランボーたちなど、すべてが美しかったのですが、映像の美しさは意識していましたか。
ゲリラによる誘拐事件について書かれた多くの記事を読みました。興味深いことに、「地獄のような日々だった」「いままで見たことないほど美しい場所だった」と、多くの被害者たちが同じことを言っていたんです。ジャングルの真ん中のエデンの園のようなところにいるのだけれど、誘拐されている――。人質は大物と交換するために誘拐されるのですが、その人質を世話しているのは大抵の場合、軍でもっとも地位の低い少年兵たちなんです。それはコロンビア以外の国、アフガニスタンやシリアでも同じ。だから現実を元にしました。それに、美しいものは泥の中から出てきたりします。仏教でも“蓮は泥から生える”(※蓮は泥より出でて泥に染まらず)と言いますよね。
―天国と地獄を一緒に作り出したのですね。
その中間、グレーゾーンも作り出しました。黒と白がはっきり分かれている世界ではなくね。脚本にも、人質が彼らと笑いあうシーンを入れていました。こういう状況では境界線が曖昧なんです。
―博士が囚われている部屋も印象的でした。壁に描かれた花の画は博士が正気を保つために描いたように思えたのですが、そういった部分も現実の事件を元にしたのですか?
いいえ、博士役のジュリアンヌ・ニコルソンをあの部屋に入れて放っておいたら、彼女があれを炭で描いたんです。撮影はせずに、あの部屋で数日間ただ暮らしてもらいました。すでに彼女が誘拐されて、家族から引き離されているというコンテクストを用意するために、彼女に何か描いてもらうことは考えていましたが、花を描いたのは彼女自身です。博士はコロンビアに来たというだけの理由で誘拐されて、何もかもから引き離され、携帯で誰かと話すこともできない。本当に孤独です。撮影のときに兵士たちと一緒にいさせたのも、彼女の孤独さを引き立たせるためです。
「サウンドデザイナーとは暗室で一緒にジャムセッションした」
―衣装がそれぞれの個性によく合っていましたが、どのように準備したのですか。
プロダクションデザイナーがメキシコ人のダニエラ・シュナイダーという、ものすごい才能がある人なんですが、長時間一緒に作業して、過去から現在までの反乱軍の軍服……コロンビアの反政府組織や正規軍、シリア軍やカリビア海域のラスタファリの反政府組織、ロシアがクリミアを侵略したときの制服からロシアの徽章を取りはずしたものなど、いろいろな紛争からアイディアを得ました。外部との接触がない限られた環境という設定でコスチュームを用意して、その中から彼ら自身が自分が着たいもの、着心地がいいと判断したものを選びました。
―ミカ・レヴィによる音楽も素晴らしかったです。
驚異的ですよね。音楽が乱用されている映画をよく見かけますが、危険です。私たちはいかに過去とも未来ともつかない音を作り出せるか、いかに密な音(Sound of Intimacy)が出せるかを考えて、同時に不必要な音は一切使わず、特定のキャラクターにある音を当てました。たとえば組織のメッセンジャー(上官)が現れるとき、特定の音がします。映画全体の中で25分くらいしか音楽を使っていないんですが、存在感がとても強い。
Mica Levi details upcoming soundtrack for Monos and shares title-track "Monos" https://t.co/MgdH5qbLeL pic.twitter.com/S6ACGGaYor
— THE LINE of BEST FIT (@bestfitmusic) August 7, 2019
―雷のようなティンパニの音が印象的でした。
すごく強いですよね。ボトルを吹いて出したホイッスルの音と一緒にすると、さらに緊迫感が増します。熱病に浮かされた夢のように現実を撮っているのに現実感がない、といった感覚も作り出したかったんです。
―あんなに才能がある人たちをどうやってマネージするんですか。
まず彼らがフィルムを見てやる気になってくれたのが重要でした。こちらからお願いしたのですが、最終的にはミカがブエノスアイレスに来てくれて、もう一人のサウンドデザイナーと一緒に仕事しました。二人とも才能あふれる女性です。一人は英語が話せず、もう一人は英語でのコミュニケーションでしたが、暗室で一緒にジャムセッションしたのが重要でした。一緒に作業したからこそ出来たものなのです。
「建築には設計図があり映画にはシナリオがあるが、どちらもそのとおりに作らなくていい」
―あなたは建築家として、マイアミのカーサバイーアをデザインされていますね。カーサバイーアはとても美しい建物ですが、この映画ではカーサバイーアに住んでいるような人々を誘拐する兵士たちを描いています。ご自分では、どちらの世界にシンパシーを感じていますか?
人質が何者かわからないことも、この映画では重要なポイントです。彼女は石油会社の技師なのか、外交官かもしれないし、ただハイキングに来た観光客かもしれない。シリアやコロンビアでは、どんな人でも人質になり得るんです。富裕層じゃないから狙われないとは限らない。誘拐される対象が階級と関係ないので、事態はもっと複雑です。
描きたかったのは、人質が加害者化し、誘拐犯側が被害者化するところです。戦争映画の傑作は、善悪がはっきりしていません。多くの人は第二次世界大戦を描いた映画のように、善悪や敵味方、旗や制服がわかりやすく、イデオロギーがはっきりしている映画を好みますが、こんにちの戦争はもっと混沌としています。線引きが曖昧としていて、すべてがグレー。それが私にとっては重要なんです。というのも、私は人間とは矛盾に満ちた動物と考えているから。その矛盾こそが面白いと思うんです。
―カーサバイーアはあまりにも整っていてクリーンで美しく、一方『MONOS』は美しいけれども混沌としています。そのまったく違う美しさが、同じ人物によって表現されたことが驚きだったんです。ご自分を切り替えているのでしょうか?
私にとっては、カーサバイーアと『MONOS』には多くの共通点があります。カーサバイーアには主にコンクリートを使用していますが、木材や自然の岩など自然物も使いました。『MONOS』でも自然物を使っていますし、映画のルールを破って“継ぎ目”を作りました。だから登場人物がカメラ目線で画面を真っ直ぐ見ているんです。主観から客観へのカメラの切り替えで“壁”を壊したり、わざと継ぎ目を見せるようなことをしたかった。そういった継ぎ目はカーサバイーアにもあります。
でも、スタイルを押し付けないようにするのも私にとって重要なことでした。前作『ポルフィリオ』は小津安二郎にインスパイアされてカメラを固定して撮っているので、『MONOS』とは全く違います。スタイルを変えると、生まれてくる物語や意味も変わるんです。何を作るにも、自分のアイデンティティを押し付けるのではなく、場所、状況、人によってアイデンティティが作り上げられるのだと思います。
むしろ、まったく同じ自分でありたくない。それに、映画を撮ったときの自分とカーサバイーアを建築したときでは、自分自身も変化しています。変化したいと思っていますし、数年経つと同じ人間でも同じように話さなくなりますよね。それが成長ということだと思います。現れてくるものや、物語、登場人物によっても手法を変えることが重要だと思います。
―建築と映画には共通点がありますか?
はい、すごくよく似た芸術形態だと思います。建築には設計図があって、映画にはシナリオがあります。建築では建物を建てますが、必ずしもまったく設計図と同じように建てなくてもいいのです。映画もシナリオとまったく同じでなくても構いません。作っているうちに新しいものが出来上がります。
建築ではチームの中に10年以上研究を重ねてきたエンジニアもいれば、高校を卒業したコンクリートを塗る左官もいます。映画も同じで、深遠な哲学の持ち主がいる一方で、学校教育をほとんど受けたことのない人がいたりします。まったく違う経験をしてきた人が、同じチームで協力して一つのものを作り上げる。そこが似ていると思います。
Here are some pics of the hard work it took to bring to life the sensational Casa Bahia, owned by Alejandro Landes. pic.twitter.com/x3zoQuUh2t
— Shorecrest GC (@ShorecrestGC) January 13, 2016
映画を撮る前に建築をやっていて良かったと思ったのですが、建築では物語に関係なく、モーションで建物が出来上がっていきます。私は物語を語ることは大好きではありますが、映画はコミックノベルと違って物語だけが要素ではなく、映像そのものが感情に訴えかけます。映画をモーションの世界に取り戻したい、物語だけの世界から救い出したいと思っています。
取材・文:遠藤京子
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』は2021年10月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか公開
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』
世間から隔絶された山岳地帯で暮らす8人の兵士たち。ゲリラ組織の一員である彼らのコードネームは“モノス”(猿)。「組織」の指示のもと、人質であるアメリカ人女性の監視と世話を担っている。ある日、「組織」から預かった大切な乳牛を仲間の一人が誤って撃ち殺してしまったことから不穏な空気が漂い始める。ほどなくして「敵」の襲撃を受けた彼らはジャングルの奥地へ身を隠すことに。仲間の死、裏切り、人質の逃走……。極限の状況下、“モノス”の狂気が暴走しはじめる。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2021年10月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか公開