香港映画の新潮流を感じさせる新鋭監督
アメリカではアジア系女性監督の活躍が目覚ましい昨今、香港でも長年好まれてきたメロドラマ的路線から一線を画した価値観を垣間見せる作品が注目を浴びているようだ。2019年に公開されるや地元香港の映画賞を皮切りに高評価を得た『花椒(ホアジャオ)の味』も、まさに中華圏〜アジアの多様な潮流を予感させる作品となっている。
本作の主人公ユーシュー(サミー・チェン)は、香港で火鍋店を営む父(ケニー・ビー)の急死をきっかけに、台北と重慶に2人の異母姉妹がいることを知る。お互いの存在を知らず育った三姉妹は見えない絆に惹かれあいながらも、それぞれ微妙な家族関係の中で生きる自身の葛藤と向き合っていく。一方、火鍋店の経営を契約満期まで全うすることを決めたユーシューもまた、常連客が愛した父の味の再現に苦闘する中で、これまで背を向けてきた父親の素顔を見つめ直す――。
アジアの女性監督のトップランナーとして、リアルな香港の姿を撮り続けてきたアン・ホイ(許鞍華[※])がプロデューサーとして参加していることでも話題の本作。彼女が直々に白羽の矢を立て、「クリエイティブな部分においては、そばで励まして感想を伝えただけ」と全面的な信頼を寄せるヘイワード・マック監督に、本作に込めた思いを伺った。
※アン・ホイの半生を追ったドキュメンタリー『我が心の香港~映画監督アン・ホイ』が2021年11月6日(土)より日本公開。ぜひ併せてチェックしてほしい。
共通するバックグラウンドを持ち、互いに救いを求めている姉妹
原作はエイミー・チャンの小説「我的愛如此麻辣(私の愛はこんなにスパイシー)」だが、実はこの小説、一度台湾でドラマ化もされている。しかしながらその内容は典型的な「偶像劇(アイドルドラマ)」で、今作とも大きく趣が異なっている。
元の小説は長女と遠く離れた土地に住む恋人を主軸としたラブストーリーだったのですが、私が魅力を感じたのは主人公の急死した父親が香港に残した火鍋屋の描写でした。私たち中華圏に住む人々にとって一つの円卓で火鍋を囲む姿は「家庭円満」の象徴とも取れるわけで、このエピソードを膨らませることで三姉妹を物語の主軸にして、重層的な家族の物語を描けると思ったんです。
父の急逝をきっかけに、互いの存在を知った「異母姉妹」という関係性。気持ちの整理もつかぬままで執り行われる葬儀での初めての対面~緊張状態にあった三人が、葬儀の慣例や、香港的独身生活の「あるある」など微笑ましいエピソードを交えつつ、張り詰めた気持ちを解していく姿が印象的だ。実姉妹の愛憎を共有した関係性とも、友人の様に時間をかけて理解を育む関係性ともまた違う「シスターフッド」を感じた。
あの様なシチュエーションでも彼女たちが心を通わせることができる理由は、やはりそれぞれ壊れた家庭の中で成長してきたバックグラウンドを自ずと感じ取っているからではないでしょうか。みんな立場は違えど父親の喪失という経験を通して、確実性はないけれど救いを求めているお互いを意識している。だからこそちょっとガサツな性格だったり弱い心を、時間をかけずとも認め合うことができたんだと思います。
「親しい人との心の溝を埋めることができない、相反する現実を暗示している」
70年代、80年代、90年代生まれの三姉妹。育った環境も違えば追い求める理想や対面する現実も違うが、異なる文化背景で育った彼女たちのキャラクターやシチュエーションは、綿密に交差する中華圏の都市の姿を彷彿とさせるところがあり、コロナ禍以前に作られた物語とはいえ、結果的に「家族の形」や「距離」を考えさせられる作品となっている。「もちろん全ての人に当てはまるわけではありませんが……」と前置きをした上で、ヘイワード・マック監督はこう語る。
私が思うそれぞれの都市(香港・台北・重慶)の文化的特徴を反映させた部分もあります。香港の長女の場合は経済的には独立した女性ですが、他人に信頼を預けたり、自分を託すことができないところ。台湾の次女は、プロのスポーツ選手として職業的なスキルといった側面では自立していますが、本当に愛されたい存在からの愛情は享受していません。外からの視線や意見に対して自分を誇示する三女も、やはり家の中には世代間の無理解があり、愛情の不足を感じていますね。
三女と祖母の関係性は、第77回ゴールデングローブ賞でも話題を集めたルル・ワン監督の『フェアウェル』(2019年)で描かれた中国社会の姿を思い出す人もいるだろう。またストーリーの中では多くは語られないが、(三女が「屈むと谷間が覗く美人を見る競技」とも揶揄した)ビリヤードの選手でありながら、中性的な魅力から女性ファンに取り巻かれ、元ガールフレンドと思わきしき影が覗く次女のジェンダー観なども、台北と東京を行き来する筆者から観ても台湾社会の一面をありありと感じた。
劇中の香港のトンネル、台北の堤防、重慶のロープウェイもひとつの象徴だと言えるでしょう。隔てた向こう側~他者との関係性を築くために作られた建造物ですが、親しい人との心の溝を埋めることができない、相反する現実を暗示しているんです。また、三姉妹の共通言語は自ずと場に依り北京語となるのですが、繋がりを修復しようとする家族関係の間では、それぞれその土地の言葉で会話をしたり……。その辺にも関係性が表れているかと思います。
長女を演じたサミー・チェンがInstagramに投稿したオフショットでは、映画同様に香港、台湾、中国とバックグラウンドが異なる三人が、お互いに中国語の発音の聞き間違えをネタに談笑する姿も。そうしたキャストの関係性や背景も、本作のキャラクターとして昇華されているようだ。
もちろん三姉妹だけでなく、そこから家族や、彼女たちを取り巻く人間関係へ視点を広げた時に、この映画の持つテーマがより明確に見えるはずです。
友情出演、アンディ・ラウ!
リッチー・レン演じる麻酔医ホーサンとの交流には、父親の姿を垣間見る。火鍋店の長として、懇意の常連客やスタッフを通して湧き上がる父親への追憶の中で、素直になれなかった過去の自分と父親を赦してゆく姿には、誰しも胸を打たれるだろう。心の琴線に優しく触れる人物造形や関係性は、どの様にして生まれたのか。最後に監督は、そのヒントを教えてくれた。
火鍋店の厨房には「百子櫃(中医薬店で生薬を入れる引き出し)」の様な香料入れがあります。私の頭の中にも「百子櫃」のようなものがあり、今まで自分が出会った人やエピソード、想像した人物像の断片をそこにしまっておくんです。それを引っ張り出して、ひとつに調合して、深みのあるキャラクターやストーリーが生まれる、といった感じでしょうか。
ちなみに本作を彩るバラエティ豊かなキャラクターの中で注目したいのが、ユーシューのよき理解者であり元婚約者のティンヤン役で友情出演する香港のスーパースター、アンディ・ラウだ。『ニーディング・ユー』(2000年)、『名探偵ゴッド・アイ』(2013年)など、数々の名作で共演してきたサミー・チェンと再び肩を並べる姿には思わず心が踊る。往年の香港映画を愛してきたファンにとっては嬉しいプレゼントが、癒しと成長の物語に花を添えていることも付け加えておきたい。
取材・文:永岡裕介
『花椒(ホアジャオ)の味』は2021年11月5日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
『我が心の香港~映画監督アン・ホイ』は2021年11月6日(土)より新宿K’s cinemaで公開
『花椒(ホアジャオ)の味』
旅行代理店で働くユーシューの許に「父が倒れた」という知らせが入る。病院に駆け付けた時には既に亡くなっていて、話も出来なかった。久しぶりに父リョンの火鍋店「一家火鍋」へ行き、遺品の携帯を見ていると、自分とよく似た名前があるのに気づく。葬儀の日、黒い服を着たクールなルージーが台北から、オレンジの髪の元気なルーグオが重慶から出席し、これまでお互いの存在を知らなかった三姉妹が、初めて顔を合わせる。すぐに打ち解けた3人は、思い思いに父の思い出を話し出す。火鍋店はまだ賃貸契約が残っていて、従業員もいる。ユーシューは、火鍋店を継ごうと決心するのだが……。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2021年11月5日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開