希望を、チリの若者たちへ
『夢のアンデス』は、名匠パトリシオ・グスマンが、祖国チリの歴史と政治の記憶をテーマにした3部作の最後にあたるドキュメンタリーだ。
第1作『光のノスタルジア』(2010年)ではアタカマ砂漠を舞台に、空を見上げて宇宙を観測する天文学者たちと、砂漠の砂粒の中に遺骨を探す独裁政権の犠牲者の遺族を対比し、第2作『真珠のボタン』(2014年)では、チリ南西パタゴニア沖の海底から発見された真珠のボタンの出自を巡って、侵略者によって滅ぼされた先住民たちの姿と、独裁政権によって政治犯として殺され、海に捨てられた人々の姿を対比し、チリの血塗られた近代史を人々の記憶によって掘り起こした。
3作目となる『夢のアンデス』の舞台は、チリを南北に貫くアンデス山脈。太古の昔から人々の営みを見守ってきた山々の視点で、再びチリの近代史を振り返る。登場するのは、アンデスの石を使って作品を制作する彫刻家から、市民の抵抗を記録する映像作家、歴史家たち。彼らは独裁政権の暴力と恐怖、歴史を知り、過去を記録することの大切さを語る。
もちろんグスマンの興味は前作に引き続き、自分とチリの運命を決定的に変えてしまったピノチェトによるクーデターにある。だが今回は、その先の、独裁政権がチリに導入した新自由主義が祖国をどう変えたのか、主要産業を外国企業に握られ、激しい所得格差に苦しむようになったか、の方へと興味を進めていく。前作『真珠のボタン』が本国チリで今まで以上に関心を持って受け入れられたこと、若者たちが積極的に過去の歴史を知ろうとしていることを知って、最終話の観点を変えたのだとグスマンは語っている。それが『夢のアンデス』の、未来へ向かって希望を託そうとする姿勢を生んだのだろう。
『光のノスタルジア』から『夢のアンデス』までの約10年間、日本でも2015年に山形ドキュメンタリー映画祭の特集として、グスマンの出世作である『チリの闘い』3部作(1975~1978年)が初上映され、1973年の軍事クーデターで何があったかがより詳細に知られるようになった。グスマンはクーデター直後に政治犯として逮捕され、国立競技場に監禁されるも、運よく処刑を逃れて1973年に亡命し、以後、現在までパリに住んでいる。二度と祖国に戻らないとまで決意するほど凄惨な体験をしてもなお、グスマンの思いは祖国から離れることはないのだ。
芸術、文化、健康、教育すべてに利益を最優先する新自由主義
80年代初めにパリに留学した私は、映画学校でチリ人のクラスメートに出会い、彼女からパリにチリ人のコミュニティがあることを教えてもらったり、ひょんなきっかけで亡命チリ人の映画監督ラウル・ルイスと知り合ったりした。親交のあったクリス・マルケル(1921-2012)が亡くなったときには、グスマンが発表した「What I owe to Chris Marker(※マルケルに恩を返す)」という文章を読んで、クリスが生フィルムをサンチャゴに送って『チリの闘い』の撮影を助けたことを知った(その後、二人の仲は決裂するのだが)。
チリは私にとって遠くにあって近い国であり、いつも気になる存在だった。グスマンの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』は、そんな私が待望していた悲しく、美しいドキュメンタリーだった。
『夢のアンデス』は前2作と比べ、はるかにチリと日本の距離を縮めてくれる映画だ。なぜなら、今や高層ビルが建ち並ぶ近代都市となったサンチャゴは一見、東京と何ら変わらないように見えるし、新自由主義のおかげで貧富の格差が拡大し、富める者はさらに富み、貧しい者は食べるものさえない現状もまたそっくりだからだ。
いつの間にかチリは日本と同じ顔を持つ国になっていた。いや、チリと日本だけではない。芸術、文化、健康、教育すべてに利益を最優先する新自由主義が社会を侵食し、グローバリゼーションの波が世界中を同じ顔にしている。
チリ最大の産業である銅の採掘権を外国企業に握られ、絶対立ち入り禁止となった採掘現場を空撮した場面が秀逸である。いくら厳重に地上を封鎖しようと、鳥になれば空から自由に侵入できる。今はドローンという最新技術があるのだ。サンチャゴの高層ビルの谷間をたゆたうように飛んでいくドローンの視点は、下界を見下ろす山々の視点に重なる。悠久のアンデス山脈の下、果たして人類は、これからどこへ向かうのだろう。
文:齋藤敦子
『夢のアンデス』は2021年10月9日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
『夢のアンデス』
南米ドキュメンタリーの巨匠パトリシオ・グスマン監督作品『光のノスタルジア』『真珠のボタン』に続き、チリの歴史的記憶、政治的トラウマ、地理の関係を探る三部作最終章。
制作年: | 2019 |
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監督: |
2021年10月9日(土)より岩波ホールほか全国順次公開