日本映画初! カンヌ脚本賞受賞
『ハッピーアワー』(2015年)や『寝ても覚めても』(2018年)の濱口竜介監督の最新作『ドライブ・マイ・カー』が、2021年8月20日(金)に劇場公開を迎える。
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」を原作に、妻の音(霧島れいか)を失った演出家・俳優の家福(西島秀俊)が広島での新作演劇の制作中、ドライバーを務めるみさき(三浦透子)や若手俳優の高槻(岡田将生)と交流していく。静謐な雰囲気の漂う上質な作品でありながら、人の心のわからなさ・複雑さを明瞭に捉え、喪失と向き合うさまを描き出した力作だ。
『偶然と想像』(2021年公開予定)で第71回ベルリン国際映画祭の銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞し、『ドライブ・マイ・カー』で第74回カンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞した濱口監督。共同脚本で参加した『スパイの妻 劇場版』(2020年)では第77回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(最優秀監督賞)を獲得し、世界3大映画祭全てで受賞したことになる。
彼の作品を長年観続けてきただけでなく、シネフィル仲間として「同じような映画体験をしてきた」と語るのは、『ドライブ・マイ・カー』で主演を務めた西島秀俊。濱口監督と共闘した日々を、振り返ってもらった。
濱口監督と黒沢清監督の共通点は?
―濱口監督と初めてお会いした際のエピソードを教えてください。
もともと『PASSION』(2008年)をフィルメックスで観ていて、作品はすべて拝見していたんです。凄い監督が日本に生まれたなという感覚でした。初めてお会いしたのは、ジョン・カサヴェテス監督の特集上映「カサヴェテス2000」でしたね。僕は人生が変わるくらい衝撃を受けたのですが、濱口さんもそうおっしゃっていました。
僕のほうが年齢は上ですが、僕が映画をたくさん観るようになったのは仕事がなくなって暇になっちゃってからなんです(笑)。そのぶんタイムラグがあるので、僕のなかでは同じような映像体験をしてきた感覚があります。きっと、映画館ですれ違っていることもあったんでしょうね。そんな濱口さんと映画を作ることができて、運命的なものを感じています。
―西島さんと濱口監督の共通点でいうと、黒沢清監督も挙げられるかと思います。濱口監督は黒沢清監督の教え子であり、西島さんも『ニンゲン合格』(1999年)や『LOFT ロフト』(2006年)、『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)に出演されている。濱口監督と黒沢監督の共通点は、どういうところにあると思いますか?
黒沢監督の現場には、常に驚きがあるんです。例えば『LOFT ロフト』では「中谷美紀さんを西島さんが追いかけてきて首にロープをひっかけて木につるそうとしたらパトカーがやってきて捕まる、をワンカットでやります」と言われて、「えぇ!?」と思いました(笑)。驚きと「それは面白い!」とみんなが思うことが、黒沢さんの現場には毎日あるんです。
みなさんプロで、色々な仕事をしてきて大体のことは経験しているけれど、「そんなことをやるんだ!」とチャレンジできることが多くて、やっぱり喜びを感じますね。濱口監督との『ドライブ・マイ・カー』の現場も、同じでした。「ここから車を運転して、あそこにある空港の駐車場で停めてください」とサービスエリアの時点で言われたり(笑)。演出方法でもそうですが、黒沢さんも濱口さんも、撮影方法やカメラの置き方などを見ても「普通こうなる」じゃない、チャレンジと驚きと喜びが常にありますね。
濱口監督は、人の“分からなさ”を描く名手
―素敵なお話ですね。では、脚本を読んだ際の第一印象を教えてください。
読んだ際の気持ちの流れも言葉の強度も、いわば質量や密度が全く違いましたね。当然ながら「やる側はすごく大変だぞ」と感じたのですが、やっぱり挑戦したくなる脚本でした。
濱口監督のこれまでの作品のような、軽薄に見える人間がすごく深いことを考えていたり、汚れているように見える人間が純粋なものを持っていたりする部分がしっかりありましたね。さらに人の計り知れなさと、それが突然現れる瞬間や、人と人が徹底的に話し合うことで人生に新たな意味が生まれるということも描かれていた。村上春樹さんの原作にもそういう瞬間はありましたが、より密度が増した印象を受けました。
―村上春樹さんを原作にした映画といえば、西島さんが“声”の出演を務めた『トニー滝谷』(2004年)もありますが、村上さんの作品について、どういった印象をお持ちでしたか?
僕が中学・高校時代に村上龍さんと村上春樹さんが出てきて、爆発的に人気があったことを覚えています。世界の人々が共感する不思議な魅力がありますよね。イスタンブールで行われた映画祭に参加した際に、そこで会ったおばあさんに「あなた、村上春樹の新作読んだ? どう思う?」って聞かれたくらい(笑)。やっぱり、村上さんの作品には国境や年齢を超えた普遍的な力があるんでしょうね。
濱口さんの作品は、これまでも恋人同士であったり近しい人のどうしようもない分からなさ・得体の知れなさにフォーカスして、人がどんどん断絶していく様子を描いてきたと思います。今回の原作となった村上さんの短編小説集「女のいない男たち」には、肉体的につながっていても心がつながっていなかったり、どこか“喪失”のにおいが漂っているのですが、そこが濱口さんの作家性とリンクしたように思います。
ただ、濱口さんにしか出せない部分も確かにあって、ちゃんと彼の作品になっている。とても不思議な感覚を得ました。喪失だけで終わらず、その先の希望も見せてくれるんです。
台本が常にアップデートされていく現場だった
―2020年に別作品での取材の際に、ちょうど撮影中だった本作の役を引きずっている、と西島さんが話されていたのが印象に残っています。やはり、大変さは別格でしたか?
そうですね。空き時間はずっと本読みをしていたし、ホテルに帰ってからはそれを録音したものを聴いていたんです。というのも、台本が常にアップデートされていくから。「、」が「。」に変わるだけでも間(ま)が変わりますし、楽譜のように厳密にスピードも決められていました。
これはあくまで本読みの段階の話で、本番はどうなってもOKだったのですが、そこに行き着くまでが大変でしたね。全部の時間とエネルギーを作品のために使わなくてはいけない現場でした。
プラス、台本とは別に霧島れいかさん演じる音と、家福の過去にあったことのテキストもあるんです。それも本読みをしましたし、他にも色々な質問が設けられていて、それに対し家福がどう応えるかを考えたり、濱口さんも「こうじゃないか」と考えたテキストを提供してくださったり……。凄まじい量のテキストを渡していただきましたね。
さらに、演出家の役だったので様々な劇団にお邪魔して演出家の方々のお話を聞いたり、「映画で撮る舞台」をどう演出していくかも濱口さんと話しました。濱口さんがずっと一緒にいてくれたので、僕一人で役作りをした感覚はないんです。
監督に自分の気持ちを打ち明けるのは、役者の立場からするとちょっと遠慮してしまう部分もあると思うんです。ごく普通の意見は伝えますが、もうちょっと深いところにある不安などは、なかなか言えない。自分で処理するべきものでもありますから。
でも濱口さんは、ちゃんと聞いて一緒に考えて、行動で返してくれる。これはキャストだけじゃなく、スタッフも含め全員がそう感じていたんじゃないかと思います。濱口さんもみんなの気持ちがわかっているから、クランクアップの際に涙されたんじゃないかな。現場には、そうした信頼感が流れていました。改めて、美しい現場でしたね。
改めて気づいた、「言葉を聴く」ことの重要性
―今回は多言語が飛び交う作品で、海外のキャストも多く出演しています。なかなか特殊な現場でもあったのかな、と感じました。
今回は本読みをとことんやって、相手の声とテキストを注意深く聴き続けるやり方をとっていますが、そこに多言語演劇のシーンでは日本語・英語・韓国語・北京語が入り乱れ、同じセリフがそれぞれの言語で並んでいるんです。
それをチェックして音を覚えて、そこから意味を調べて自分の中に落とし込み、読み続けていくと、日本語以上に注意深く相手の言うことを聴き続けることになります。その作業は、今回の映画のテーマである「言葉を聴き、発する」と深くつながっているように感じます。
―国内のキャストの皆さんも、素晴らしい方々ばかりでした。
三浦さんはものすごく聡明で、それでいてまっすぐな人。年齢は若いですが下の世代の方と話している意識はなく、話すことでお互いに色々と感じるところがありますね。それはそのまま家福とみさきの関係につながると思うし、濱口監督は間違いなく、そういった三浦さんが元々持っている魅力を感じ取ってキャスティングしたのだと思います。
岡田くんはびっくりするほど純粋で、いま芸能界でここまでピュアな人物がいるだろうか……と思います(笑)。この映画の中で最もすさまじいシーンは、やっぱり岡田くんの独白のシーンだと個人的には思うのですが、彼の純粋さが出た結果、すごいことになりましたね。そのシーンは僕も立ち会っていましたが、特別な体験になりました。
霧島さんはミステリアス。女優さんは前に出て常に表現をしている方が多いかと思うのですが、霧島さんは一度自分の中に置いて、その一部を出している感じがする。僕たちに見えているのは、全部じゃないんですよね。リハーサルから一緒にやらせていただいて、すごく素直な方で学生のころの話や色々と教えていただいたのですが、根っこに謎めいた部分があるように感じて、そこがすごく面白かったです。
西島秀俊が今後、組んでみたい監督は?
―出来上がった作品を観て、「こうなったのか!」と驚いたシーンなどはありますか?
少し話がズレるかもしれませんが、僕がびっくりしたのは現場での出来事です。普通の撮影だと、俳優の視界には照明や遮蔽が入ったり、相手が見えなかったり、車の中で話すとなったら「大きい声で」と要求されるのですが、今回は一切なかったんですよ。それでどうやってあの画が撮れたのか、そこがすごく驚きでした。
撮影の四宮秀俊さんも照明の高井大樹さんも録音の伊豆田廉明さんも素晴らしくて、頭が下がります。演技の範囲が決まっていなくて「どこに移動してもいいよ」という現場でしたから。「小さな嘘をどんどん削いでいくことで、真実が映り込むんだ」と感じましたし、現場全体にも「嘘をつくのはやめよう」という意識があったように思います。
―本作は、劇場で体験することで余韻が何倍にも増幅する映画だと感じています。西島さんはいかがですか?
2時間59分があっという間なのは、それだけテキストや感情の密度が高いからだと思います。やっぱりいまは、密度がない作品だと受け入れられない。逆に、密度があれば何十時間あっても観られるところはありますよね。そして、それを最も感じられるのは映画館だと思います。
濱口さんと四宮さんは、すごい画を撮ることができる方たちなので、その画に負けない演技をカメラの前でやらなくちゃいけないという覚悟はありました。そういったすべてを、スクリーンで観ていただきたいですね。
―直近の映画に絞っても、『風の電話』『サイレント・トーキョー』『劇場版 奥様は、取り扱い注意』(すべて2020年)、『ドライブ・マイ・カー』と振れ幅が凄いですね。作品選びの基準など、あるのでしょうか。
僕は呼んでいただく立場なので、“選ぶ”という意識はありません。仕事に関しては、マネージャーと相談して決めていますね。ただ、僕は全部やりたいんです。
楽しくて幸せになるようなコメディも観たいし、アクションがすごいワクワクするような超大作もやりたいし、最先端の映画や人の気持ちを探求する映画にも参加したい……。必要としてくれるなら、何でもやりたいと思っています。
―今後、西島さんが組んでみたい監督はいらっしゃいますか?
たくさんいますよ。例えば、三宅唱さんや真利子哲也さんなど……。僕は今までご一緒出来ていない監督が数多くいますから、いつかご一緒できたら、と常々思っています。
取材・文:SYO
撮影:川野結李歌
『ドライブ・マイ・カー』は2021年8月20日(金)より全国公開
『ドライブ・マイ・カー』
舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが……。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年8月20日(金)より全国公開