“家族”というのは一台のバス、一隻の船のようなものだ。つまり、望むと望まざるとに関わらずそこに乗り合わせてしまった以上、関わらざるを得ない。だからこそ“家族”という拘束からの解放を描く物語も生まれるし、“乗り合わせてしまった”からこその支え合いを描く物語も登場する。
今回取り上げる『リトル・ミス・サンシャイン』(2006年)も『漁港の肉子ちゃん』(2021年)も、後者の“乗り合わせてしまった者たちの支え合い”を描いた2作だ。
“存在を肯定する”ことで家族を支える『リトル・ミス・サンシャイン』
『リトル・ミス・サンシャイン』に出てくる家族のメンバーは、みなそれぞれの事情を抱えている。
父リチャードは“勝ち組”になるための自己啓発プログラムの売り込みに必死だが、なかなかうまくいっていない。15歳の息子ドウェーンは思春期のまっただ中で、空軍パイロットになるため、家族とも会話をしない「沈黙の誓い」を立てている。祖父エドウィンは、素行不良で老人ホームを追い出され同居をしているが、一家の7歳になる娘オリーブとは仲がいい。母シェリルは、何度か「止めた」といいながら隠れてタバコを吸っている描写が登場し、表には出していない様々なストレスを抱えているであろうことが感じられる。そしてここに、プルーストの研究者で、失恋して自殺未遂を起こしたゲイの伯父(シェリルの兄)フランクが同居することになる。
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物語は、オリーブが運良くカリフォルニア州で開かれる美人コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」に出場することが決まったところから始まる。費用に余裕のない一家は、オンボロのマイクロバスでニューメキシコ州から一路、一泊二日でカリフォルニアを目指すことになる。
カリフォルニアを目指す道中で、各キャラクターはそれぞれの抱える屈託と向き合うことになるが、物語の中で“家族”という主題がぐっと浮上するのは、やはりクライマックスの「リトル・ミス・サンシャイン」のシーンだ。
コンテストに出てくる女の子たちは、みな着飾って、そのためのレッスンを積んだ子ばかり。一方、運良く繰り上げで出場できることになったオリーブは、ぽっちゃり体型でなんの訓練も受けていない。リチャードとドウェーンは、一旦はオリーブに出演を諦めさせようとまで思う。ミスコンに参加しているくだらない連中に、大事な家族であるオリーブが否定され、傷つけられる必要はないと考えたからだ。
だが、オリーブは出場を途中で辞めることはしなかった。そして特技を披露するコーナーで、祖父エドウィン仕込のバーレスク風ダンスを披露する。「品がない」と多くの観客や審査員は怒り出し、主催者はリチャードに「踊りを辞めさせるように」と命じる。
リチャードは、命じられるままにオリーブに近づくが、結局、オリーブと一緒に踊りだす。それを見て、フランクもドウェーンもシェリルもともに壇上に上がって踊り始める。
作中でドウェーンが「一生はくだらないミスコンの連続だ」と、吐き捨てるように言うシーンが出てくる。そんなくだらないミスコンの“勝ち負け”ばかりを問われる人生において、「一緒に踊る」ということを通じて、勝ち負けとは無関係に「オリーブの存在を肯定する」ことで彼女を支えるということは、家族でなくてはできないことだった。
誰とでも家族になれる『漁港の肉子ちゃん』
肯定することで支えてくれる存在。『漁港の肉子ちゃん』のタイトルロールである肉子ちゃんは、まさにそのようなキャラクターだ。作中で“トトロ”と呼ばれるほど太っていて、いつもニコニコしている肉子ちゃん。彼女は、一人娘で小学5年生のキクコと、漁港に停められた船の中で暮らしている。映画はキクコの日常を追いかけながら進んでいく。
成長し思春期に差し掛かったキクコが悩みながらも真っ直ぐに育っているのは、肉子がキクコの悩みを知ってか知らずか、とても自然に受け止めているからだ。そこにキクコは支えられている。生活をともにしている家族だからこその関係といえるだろう。
それは『となりのトトロ』(1988年)においてトトロが、母の不在という不安を抱えた姉妹の心を受け止める役割を果たしてきた姿と重なる。また、キクコの愛読書である「ライ麦畑でつかまえて」の作中で語られる、“崖から転がり落ちそうな子供を助けてあげる”キャッチャーのようでもある。
男運に恵まれなかった(ダメ男好きとも言う)肉子だが、彼女はおそらく「誰とでも家族になれる」という、天から授かった力を持っているのだと思う。肉子はそのようにして、誰かを受け入れ、肯定しながら生きてきたのだ。
文:藤津亮太
『漁港の肉子ちゃん』は2021年6月11日(金)より全国公開中
『リトル・ミス・サンシャイン』はデジタル配信中