共に映画初主演! 水原希子✕さとうほなみインタビュー
漫画家・中村珍氏が2007年に生み出した衝撃作「羣青(ぐんじょう)」が、Netflix映画『彼女』として映像化される――。この作品を読んだことがある者なら、ぞくりとさせられたのではないだろうか。奇妙な縁で結ばれたかつての友人たちが、10年ぶりに再会。ただし、殺人の実行犯と依頼者として……。
このショッキングな物語を立体化したのは、『ヴァイブレータ』(2003年)の廣木隆一監督。『あのこは貴族』(2020年)が高評価を受ける水原希子が“殺人を犯す女性”レイに扮し、『窮鼠はチーズの夢を見る』(2019年)での好演が記憶に新しいさとうほなみ(バンド「ゲスの極み乙女。」でドラマーも務める)が“殺人を依頼する女性”七恵を演じた。
共に映画初主演となるふたり。「極限状況下で浮き彫りになる、愛の本質」を描くため、過激な性描写や暴力描写もいとわない攻めたアプローチを行った本作の中で、どう“生きた”のか。対談インタビューにて、怒涛の撮影の日々を掘り下げていく。
「役を生きる」実感を得られた順撮り+長回し
―原作の「羣青(ぐんじょう)」は、一度読んだら頭にこびりついて離れないほど、画も物語も“強い”印象です。おふたりはどうやって、自分が演じる際にバランスをとっていったのでしょう。
水原:私は原作の前に脚本を読ませていただき、強烈なインパクトを受けたんです。それで次に原作を読もうとしたときに、「読まなくてもいいかもしれないですよ」と言われたのですが、そのときは「いや読むでしょ」と思って、いざ読んだら「ああ、なるほど」と感じましたね。その人は、「原作に引っ張られ過ぎないように」とのアドバイスでそう言ってくれたんだと気づきました。とにかく、漫画から出てくる熱量がすさまじかったです。
漫画をそのまま表現することはできないと思いますが、表情や言葉一つひとつが持っている雰囲気は絶対に大事にしたいし、もっと言うと「羣青」らしさを出していきたいと感じました。「羣青」をガイドにして、自分たちの『彼女』を作っていく感覚ですね。おっしゃる通り、一度見たら忘れられない作品なので、それをエネルギーに変換して持っていた気がします。
さとう:私は原作が大好きで何回も読んでいたので、最初は引っ張られましたね。自分が七恵を演じるとなったとき、どうしても「できるかぎり原作に寄せるべきなのでは?」と思ってしまったのですが、本読み(撮影に入る前、出演者たちで行う脚本の読み合わせ)の際に監督から「漫画を100%連想しなくてもいいから」と言ってもらえたことが、大きかったです。
それは「羣青」という作品を尊敬し、信頼しているからこその言葉だと思うし、その言葉をもらって初めて「ああそっか、私は引っ張られ過ぎていたんだな」と気づきました。そこからは、私は私の戦い方ができればいいんだと思えるようになりましたね。
―本作は廣木監督の要望もあり、ほぼ順撮り(脚本の順番通りに撮影すること)だったそうですね。
さとう:最初に撮影したのは、レイに10年ぶりに電話をかけて「もしよかったら会えない?」と呼び出すシーンでした。ホテルの序盤のシーンは、監督を含めて何回もリハーサルを重ねましたね。その際にやっていたことと本番とは全く違うものにはなりましたが、何回も練習してきたシーンからのスタートだったので、個人的には緊張していました。ですが、そのとき廣木監督が「口を大きく開けて」といって表情をほぐしてくれたので、入りやすくなりましたね。
水原:私はケーキ屋さんでパートナーの美夏の誕生日ケーキを買うという、とてもほっこりするシーンからでした(笑)。その時は先のことはあまり気にせず、ケーキを買うことだけを考えていましたね。重いシーンから入らなかったこともあって、緊張はあまりなく「始まったな」くらいのテンションでした。
過激な表現も、最初から驚きはなかった
―クランクインの前に、リハーサルも入念に行われたのでしょうか。
水原:そうですね。3~4日くらいずっとリハーサルをする日があって、全部通す日もあれば一つのシーンをずっとやり続けることもありました。廣木監督が、私たちのお芝居の化学反応をまず見たかった部分もあるでしょうし、自分たちにとってもすごく意味のあるリハーサルでした。ただ、リハーサルでやったことをそのまま本番でもやることはほとんどなかったです(笑)。
でも、リハーサルはあくまで準備。順撮りでできたことで撮影の中で積み上がっていくものもありましたし、自然と違うものになっていきましたね。
さとう:廣木監督のスタイルかと思うのですが、長回しで一発で撮ることが多かったので、1台のカメラに収まっている“長さ(時間)”で私の役は生きているんだなと感じました。順撮り+長回しで、より役としっかりつながれた気がします。
―本作は冒頭からショッキングな描写もありますが、実際に現場で「ここまでやるんだ」と感じた瞬間はありましたか?
水原:いえ、表現については最初から「ここまでやる」と思っていました。そういった意味で、驚いたシーンはなかったですね。
さとう:「ここまでやるのか」と思った部分があったとしたら……ドライブのシーンですかね(笑)。運転は全部自分が行っているのですが、「ここも走るし、ここも走るのか」とは思いました。
水原:そうだね。脚本には書いてあったけど、実際にやってみて再確認したところはあった。私も新聞配達のバイクを盗んで走るシーンで、結構長い時間土手を走るなとは思いました(笑)。でも、いちばん自分たちが意図していなかったシーンは、「CHE.R.RY」を歌うところですね。あれは廣木監督の発案で、突然言われて「ここで歌うの?」とは思いました(笑)。廣木監督は物語の全体を俯瞰でとらえているからそういった指示をされたと思うのですが、言われた瞬間は「え、え?」とはなりましたね。
さとう:本番を撮っている際に、カメラの横で廣木監督が小声で「CHE.R.RY……CHE.R.RY……」ってささやいていたんですよ(笑)。でも、それでふっと歌ってみたら情景にすごく合うものだったし、ふたりの心情を表す切ないシーンになっていたので、出来上がったものを観て「なるほど、こういうことか」と思いました。
―おふたりに任されるシーンも多かったと聞きましたが、廣木監督とは、どういった塩梅でシーンを作っていったのでしょうか。
さとう:芝居のことを話すというより、気持ちの確認をする、という感覚ですね。撮影の初期段階で、何かがちょっと違うような気がして、廣木監督に相談しに行ったら「3人で話そうか」と場を設けてくださったんです。ただ、そこで議論するのではなく、「台本を読む」ということをもう一度丁寧に行う作業でした。そこからまたひとつ変わっていった気がしますね。
それぞれが演じた役の「愛」の捉え方の違い
―レイも七恵も非常に人間くさく、愚かさを抱えながらナイーブでもある。そこが魅力的なキャラクターかと思いますが、水原さんとさとうさんは、それぞれが演じた役の人物像をどう捉えていましたか?
水原:レイに関していうと、レズビアンであることを母親に告白したときに受け入れてもらえず、周囲からも陰口をたたかれるというつらい経験を送ってきました。ただ、母親にもすごく愛してもらっただろうし、美夏というパートナーに出会って優しい愛情で包み込んでもらえた経験もある。つまり、レイは「愛を知っている人」だと考えました。
ただ、いつも受けてばかりで、自分から愛を発することはすごく不器用だったと思うんです。高校時代に七恵にお金を貸して、結果的に支配する流れになったのも、そういったやり方しか知らなかったから。それで彼女を苦しめていたことを、10年後に再会して思い知るんです。そう考えると、愛というものが何かを知っているレイが、不器用な形であっても愛をどう証明していくのかを探していく話だとは感じていますし、演じる際にもすごく意識したところですね。
さとう:七恵は経済的にも家族の愛情にも恵まれず、友だちもいなければ夫にも暴力を振るわれて……。信頼できる人、本音を言える人がいない状況で、自分の弱みを知っていても好きでいてくれるレイの存在が、ずっと引っかかっていたと思っています。だから自分がギリギリの状態になったときに、この人に連絡を取りたいと思い立った。ただ、七恵自身は愛というものを信用できていないんです。
「私のために人を殺して」とまで言って、実際に実行するレイに対しても信じられなくて、ずっと試したり確かめたりするところがある。歩み寄ってくれるレイのことを、七恵は傷つけて突き放しているような場面もあるのに、ふたりの関係が縮まっていく感じは原作のすごく面白いところですし、『彼女』についても一貫してそれを感じていました。そこを出せればいいと思って臨んだわけではないですが、結果的に「あ、出ているかもな」と思えるところにまで近づけた気はしています。
―おふたりの役の入り込みがすさまじかったですが、完成した作品をご覧になって「自分はこんな表情をするんだな」と感じたシーンなどはありましたか?
水原:演技をしているときはその辺りを全く考えていなかったので、試写会で観たときは若干客観視できないところはありましたね。こんな笑い方するんだとか、顔がぐしゃぐしゃになってるなとか……(笑)。
ただ、そういった部分を抜きにして、七恵と愛し合うシーンは、演じていた瞬間に感じていたものがそのまま映し出されているなと感じました。演技中に自然とこみあげてくるものがあって、すごくつらかったけど本当につながった感じがあったんです。長回しということもあり、その感情が切り取られることなくすべて出ていて、それは改めて観ても嬉しかったですね。
さとう:余談なのですが、完成品をまだ観ていない段階で「音声の関係でセリフを録り直すかもしれない」と言われた部分があって、そのピックアップされたものを観たら、私が「よいしょ」って言ってる回数がものすごく多かったんです(笑)。全く意識していなかったから、恥ずかしかったですね。
水原:(笑)。いま思い出したけど、レイが七恵を膝枕するシーンで、七恵のお尻をずっと触っていて。触っている意識は全くなかったのですが、ちょうどアングル的に手が目立つところにあったから、完成品を観たときに「いやー!」ってなりました(笑)。
水原、さとう、それぞれの「演じる」意識の変化
―おふたりはこの作品を経て、「演じる」ことへの意識に変化はありましたか?
水原:自分はお芝居に限らず色々なジャンルの仕事をしているのですが、様々なことがシンプルになった気がしています。元々モデルとしてデビューして、『ノルウェイの森』(2010年)で役者の仕事をさせていただいてからドラマや芸能の仕事もするようになって、自分が全く予想もしていなかった現場を体験させていただきました。今回の『彼女』もそうですし、多くの“他者”によって自分の世界を広げてもらったことは本当に素晴らしい体験だと思っています。
だからこそ、どのプロジェクトに対しても、自分が本当に心の底からパッションを持ってやりたいと思うものに全力を注ぎたいなと思うようになりました。ちゃんと向き合っていないと、自分に嘘をつくことにもなりますし。「これをやりたい」と心から思えるようなものの数をもっと増やしていきたいですね。
さとう:私自身、長編映画にじっくり関わらせていただくことが初めての経験だったんです。作品をよく知り、脚本をよく読み、それを監督や皆さんと共有できる、つまり映画ってみんなで作りあげることができるものなんだな、というところがすごく身に染みて分かったことですね。
もちろん舞台もドラマも好きですが、やっぱり初の主演映画なので特別な一作になりました。一つのものに対してみんなで同じ姿勢で一緒に向かっていく、一緒に走っていくということがすごく良いことだなと気づけた、本当に新鮮な体験でした。
取材・文:SYO
撮影:落合由夏
『彼女』は2021年4月15日(木)よりNetflixで全世界同時独占配信
『彼女』
裕福な家庭に生まれ育ち、何不自由ない生活を送ってきたレイ(水原希子)はある日、高校時代に思いを寄せていた七恵(さとうほなみ)から連絡を受け、10年ぶりの再会を果たす。しかし喜びも束の間、夫からのDVで全身あざだらけな姿を目の当たりにし愕然とする。追い詰められ死を口にする七恵に「それならば夫が消えるべきだ」と諭すレイ。そして「だったら殺してくれる?」と呟く七恵。彼女が生きるためにレイは、七恵の夫を殺す。そして行くあても、戻る場所もないふたりは共に逃避行に出る……。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年4月15日(木)よりNetflixで全世界同時独占配信