“最少”の登場人物で“最大”の事件を描く妙味
『TENET テネット』のレビューを書く――その行為にいま、重大なパラドックスめいたものを感じている。この映画を言葉で把握しようとすること自体が、無謀であり不敬なのではないか? 本作は、まだこの世にないものを生み出してしまった“神をも恐れぬ”傑作。どんな言葉を並べたとしても、陳腐に散らばるだけではないか……。そんな絶望感と畏怖を抱きつつ、魅力の一端だけでも言語化できるよう、尽力したい。
『TENET テネット』は、巨匠クリストファー・ノーラン監督の11本目となる長編監督作だ。近年は3年に1本ペースで監督作を発表してきたノーラン監督にとって、『ダンケルク』(2017年)以来約3年ぶりの新作。かねてより『007』(1962年~)好きを公言しているノーラン監督が、満を持して挑むスパイ映画というジャンルに、おなじみの「時間」というテーマを混ぜ合わせ、「時間を逆行させる兵器」をめぐるSFアクションに仕上げた。
大まかなあらすじはこうだ。所属も構成人数も一切が不明の謎の組織にスカウトされた男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、第三次世界大戦を防ぐため、世界各国を奔走する。カギとなるのは、時間を逆行させる力を秘めた銃弾。エージェントのニール(ロバート・パティンソン)とともに調査を進める主人公は、武器商人のセイター(ケネス・ブラナー)と、彼に弱みを握られている妻キャット(エリザベス・デビッキ)にたどり着く。
非常に興味深いのは、メインの登場人物がほぼ4人程度というミニマムな構造で、「第三次世界大戦を防ぐ」という大スケールの映画を成立させていること。冒頭のコンサート会場のテロやジェット機を実際に爆破したシーンなど、群衆が登場する場面は多いが、ドラマ面では最少人数をキープし、じっくりと人物像の掘り下げを行っている。
これは『インターステラー』(2014年)にも通じるノーラン映画の特色といえるが、過去作品と比べても「起こっていること」「描かれていること」と「人数」のギャップが激しく、ますます冴えわたるノーラン監督の構成力に、うならされずにはいられない。「登場人物が多くて覚えられない」ということは一切なく、『007』シリーズへの目配せも感じられる「主人公と相棒と敵と美女」のわかりやすい構造が敷かれている。
ノーラン組初参加の音楽&編集が才気煥発
スタッフ陣では、音楽のルートヴィッヒ・ヨーランソンと編集のジェニファー・レイムという、ノーラン組初参加の2人に注目いただきたい。ヨーランソンは『ブラックパンサー』(2018年)でオスカーに輝いた俊英で、本作でも荘厳なクラシックに音が爆発するような過激な打ち込みをミックスさせ、さらにSF感漂う電子音を流し込むことで、観客の緊迫感を煽りまくるサウンドを創出。“逆行”を音楽でも表現している点が素晴らしい。
レイムは、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016年)や『ヘレディタリー/継承』(2018年)、『マリッジ・ストーリー』(2019年)といった“賞レース系”の作品に数多く携わってきた。キャリア最大規模の大作映画への参加となり、ノーランからは「映像編集者史上、最も難しい映画かも」と冗談めかした言葉が投げかけられたとか。その言葉が割と“ガチ”だったことは、映画を観ればわかるだろう。
時間逆行のシーンはもちろんだが、『TENET テネット』はテンポ感が絶妙だ。世界各地を舞台にした本作だが、主人公の移動シーンはあえてほぼカットし、目まぐるしい“ステージ”の変化で魅せる。緩急どころか、急・急・急と畳み掛ける凶暴な構造は、「一瞬でも頭を休めたらついていけなくなる」と観客の思考力を絶え間なく刺激し、ニューロンを活性化させる。「観客を能動的にする」ことはノーラン作品の特長だが、それにしても攻めている。
ちなみに本作では『インターステラー』に続き、物理学者キップ・ソーンが参加。時間逆行のロジックや、そのキモとなるエントロピー理論の解説、「時間が逆行する世界では、酸素を肺に取り込めない」などのアイデアを提供したという。
ノーラン流「ハッタリの利かせ方」が秀逸!
肝心な『TENET テネット』の中身についてだが、ここはもう見てのお楽しみということで詳細の言及はほぼ省かせていただきたい。その代わり最後に、本作でノーラン監督が魅せた「ハッタリを利かせる絶技」について言及する。
「ハッタリの利かせ方」というのは、アナログな方法論でどう観客をダマすか、という意味合いだと考えていただきたい。これまでも『インセプション』(2010年)の「セットごと回転させた」シーンなど、CGを使わない映画作りを標榜してきたノーラン監督。本作では、ある種のタイムトラベルものの要素を入れながら、徹底してマンパワーと“力技”ともいえる映像力で押し切っている。
まず、本編に入る前にワーナー・ブラザースのロゴが赤色、シンコピー・フィルムズのロゴが青色で表示されるのだが、ここの“仕掛け”が秀逸だ。本作では「赤」が「順行」、「青」が「逆行」を示している。そのイメージを、いきなり観客の脳裏に刷り込むのだ。
そして、後ほど登場する「逆行装置」が、非常に面白い。この装置、近未来的なボタンが多数配置されているとかメタリックな質感とかではなく、見た目はただの回転するドーム。ハリボテに見えてもおかしくないシンプルなデザインを、画と音の畳みかけで観客に信じ込ませてしまう。
この演出は、一種の「書き割り」的な方法論でもあり、観客の想像力を誘発できれば、CG満点で飾り立てる必要などないのだ、という固い意志が感じ取られる。ちなみに、前述した「赤」と「青」の描写がここで効果を発揮するつくりになっているのも秀逸だ。
コンサートホールでのテロの描写も、「ガスで観客を眠らせる」シーンは、エキストラが一斉に目をつぶって倒れるという、非常にアナログなもの。ただここも、直前のシーンでテロリストが楽器を無残に破壊したり、始まった直後の音(音楽と音響)による観客の引き込みがすさまじいため、お遊戯的にならない。ここでも“布石”を入念に仕込んでいるため、実にスムーズに、観ている我々は乗せられてしまう。
そもそも、逆行状態でのバトルシーンも、役者が振り付けを覚えて忠実に行う、というマンパワーを貫いたものであり、わかりやすい「早送り・巻き戻し・スロー再生」なんて演出は皆無。ただただ画面に映る人間が頑張る(バックしながら車が追いかけてくるシーンなども努力の賜物だろう)という方法論は、オーソドックスではあるが、狂気の沙汰と思えるくらいに徹底してしまうと、デジタルに頼っていないぶん、本物以上に本物にしか見えなくなる。前述したジェット機の爆破シーンも、撮影のために購入したジェット機が自走不可能のため、索引車などで引っ張って動かしたのだという。
たとえば『イントレランス』(1916年)に代表されるように、圧倒的な画の力で観客を「信じさせる」アプローチは、往年の映画作品ならではの特長だ。だからこそ、『TENET テネット』を観ていると、「観たことのない」要素の数々に驚かされながらも、同時に不思議な懐かしさも抱かされる。そこに、映画に対する本質的な愛情がにじんでいるからだ。
どれだけ映像技術が発達しようとも、本物に勝るものはない――。誰よりも「映像の力」を信じるノーラン監督らしい『TENET テネット』は、新型コロナウイルスに侵された時代で、私たち観客に「劇場で映画を観る喜び」を、そして世界中の映画制作者たちに「映画を作る喜び」を、再び思い出させてくれることだろう。
文:SYO
『TENET テネット』は2020年9月18日(金)より全国公開
『TENET テネット』
満席の観客で賑わうウクライナのオペラハウスで、テロ事件が勃発。罪もない人々の大量虐殺を阻止するべく、特殊部隊が館内に突入する。部隊に参加していた名もなき男は、仲間を救うため身代わりとなって捕らえられ、毒薬を飲まされてしまう……。
しかし、その薬は何故か鎮痛剤にすり替えられていた。昏睡状態から目覚めた名もなき男は、フェイと名乗る男から“あるミッション”を命じられる。それは、未来からやってきた敵と戦い、世界を救うというもの。未来では、“時間の逆行”と呼ばれる装置が開発され、人や物が過去へと移動できるようになっていた。ミッションのキーワードは<TENET(テネット)>。「その言葉の使い方次第で、未来が決まる」。謎のキーワード、TENET(テネット)を使い、第三次世界大戦を防ぐのだ。
突然、巨大な任務に巻き込まれた名もなき男。彼は任務を遂行することが出来るのか? そして、彼の名前が明らかになる時、大いなる謎が解き明かされる――
制作年: | 2020 |
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監督: | |
出演: |
2020年9月18日(金)より全国公開