フランス映画界の新鋭グザヴィエ・ルグランが第86回アカデミー賞にノミネートされた自身の短編『すべてを失う前に』を長編化し、親権争いの狭間で翻弄される11歳の少年の心理を描いた『ジュリアン』。離婚家庭の“その後”を緻密な緊張感で描いた話題作を、東京を拠点に活動する4人組バンド、シャムキャッツの夏目知幸はどんな視点で観たのか?
いつのまにか心に風が吹かなくなっちゃった
晴れた日にドライブに出かける。窓を開けて通りを走っていく。誰もいない海。シートベルトも外して。名曲をかけて。こういう想像って、誰でもきっと心の中に描ける。オーソドックスで素敵な物語の予感。どこまでも自由に、風通しよく、くだらなく。
そんなふうにいつもできたらいいけど、現実はいつ誰を傷つけてしまうか、いつ誰に傷つけられてしまうかわからないし、僕たちは交通制度に沿って、信号や制限速度を守って、お酒を飲まず、曲がるときはウィンカーを出して、もちろんシートベルトを締めて運転する。
ま、そりゃ理想よりは窮屈だけど、それでいい。それでも道が混んでなきゃ、自由だな~なんて思える心を持ってる。渋滞してたって、ま、ゆっくり行こうぜと言えるときだってある。「これでいいのだ~」と言えたらオッケー。そういう気持ちを持てなくなったら、窮屈だ。
で、だ。持てなくなっちゃうのもわかる。なぜってたまに僕もそうなる。そういう時って誰にでもあるでしょ。
この映画の主人公はジュリアンじゃない。まさしく「これでいいのだ~」と言えなくなっちゃった、ジュリアンのパパなのだ。いつそうなったのか分からないんだけど、パパ、いつのまにか心に風が吹かなくなっちゃったのだ。
まあそういうことってあるよなって思うから、アントワーヌお父さん、どうしてこんなんなっちゃったんだろうって、ずっと考えながら観た。どうしてそんなに、息苦しくなっちゃった? 母さんの浮気が原因かな? とか考えるよね。なーんかそういう匂いがするの。
そうなるとちょっと話は変わってくるっちゃくる。もちろんそうだとしても、お父さんまじで最悪なんだけどさ。絶対それはもう本当に最悪ですっていうことをずっと家族にしちゃうんだけどさ。
お母さんとジュリアンを見てるとさあ、なんか、お父さんだけが悪いんじゃないっていう感じがしてくるんだ。演技めちゃくちゃいいんだ。あんだけお父さん最悪なのに、それでもそれでも「家族の問題は他人には完全には理解できませんよ」って言ってくる映画だった。
だよね、そうだよね。ジュリアン、超つらいけどどうか前を向いて欲しいな。お姉ちゃんには「パパみたいな言い方ね」ってやんや言われてさ、パパには「お母さんみたいな嘘つきだなお前!」って言われてさ、つらいよなあ。つらすぎるよ。まあさ、たまにはパーティーやって踊ろうぜ。踊ってると「これでいいのだ~」って思えるからさ。
そうそう、パーティーシーンの音楽の使い方、面白かった。あの、ビートの刻みが増えていってみんなで盛り上がって行く4小節ってあるじゃないですか。ダッタッタ ダッタッタ ダッタッタ ダッタッタ ダダダダ ダダダダ ダダダダ ダダダダ ダダダダ ダダダダ ドゥ~ンみたいな例のあれ。あの喜び・幸福の増幅の瞬間を使って真逆の感情の高ぶりを演出してたの、よかったっす。ジュリアンが楽しそうにぴょんぴょんしてんの、可愛かった。
文:夏目知幸(シャムキャッツ)
『ジュリアン』
両親が離婚したため、母、姉と暮らすことになった11歳の少年ジュリアン。離婚調整の取り決めで親権は共同となり、彼は隔週の週末ごとに別れた父アントワーヌと過ごさねばならなくなった。母ミリアムはかたくなに父アントワーヌに会おうとせず、電話番号さえも教えない。アントワーヌは共同親権を盾にジュリアンを通じて母の連絡先を突き止めようとする。ジュリアンは母を守るために必死で父に嘘をつき続けるが、それゆえに父アントワーヌの不満は徐々に溜まっていく。家族の関係に緊張が走る中、想像を超える衝撃の展開が待っていた。
制作年: | 2017 |
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監督: | |
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