ポーランド産ポスターから“映画ポスター”とは何ぞや? を考えてみる
【ポスターは映画のパスポート 第6回】
「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランドの映画ポスター」展が京都国立近代美術館で開催中だ(会期:2020年7月12日[日]まで)。東京の国立映画アーカイブ(元東京国立近代美術館フィルムセンター)でも開かれていたものだが、映画ポスターが“国立近代美術館”で展示・公開されるなんて大変なことだと思うので、お知らせを兼ねて紹介しておきたい。なにしろ京都国立近代美術館の略称は「MoMAK」。「MoMA」+京都の「K」でっせ!
世界的にもポーランドの映画ポスターは芸術性が高いとして人気がある。同様に独特のデザインが評価されているチェコスロヴァキアのポスターはほとんど小型ばかり(日本ならB4サイズくらい)なのに比べて、ポーランド・ポスターは、アメリカ版1シートと日本版半裁(B2)の中間ぐらいと、ほどよいサイズで扱いやすいし、紙質も上等。小生も数点所有しているが、どれも額装して壁に飾りたいような素晴らしい質感だ。
今回の展示点数は96点(一部、展示期間内で入れ替えあり)。3つのカテゴリーに分けられていて、「ポーランド映画」「日本映画」「世界各国の映画」、それぞれのポーランド版ポスターが間近で見られる。まず、なんといってもポーランド映画の代表作といえば、『水の中のナイフ』(1962年)だろう。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)の登場人物のひとりであり、『戦場のピアニスト』(2002年)などフランスのセザール賞監督賞の常連(?)でもある現役の巨匠ロマン・ポランスキーが世界に認められた監督作だ。海・夏・ヨットなのになぜか不思議な不安感や閉塞感が充満する映画には、ソ連のおかげで共産国となったポーランド社会が隠喩となって描かれていたように思うが、登場人物を奇妙な魚に模したポスターにも同様のメタファーが読み取れる。
パリ生まれで、ポーランドからイギリス・アメリカを経てフランスへと活動の拠点を移していった放浪映画作家(?)ポランスキーと対照的に、常にポーランドの地に足をつけて活躍し続けた巨匠がアンジェイ・ワイダだ。展覧会ではポランスキー監督作 『サムソン』(1961年)、ワイダ監督作 『戦いのあとの風景』(1970年)、『婚礼』(1973年)、『約束の土地』(1974年)、『鉄の男』(1981年)と、最も多くの作品のポスターが展示されているが、やはり白眉は1982年の『ダントン』だろう。
フランス革命でテロリズムの元祖ロベスピエールと対立・粛清された政治家を描いた名作だが、大胆すぎるポーランド版ポスターのビジュアルは衝撃的ですらある。各国のポスターは当然、主演のジェラール・ドパルデュー(全米批評家協会賞、カンヌ映画祭などで主演男優賞受賞)の顔で勝負していた。なにしろ、映画のクライマックスはなんといっても裁判での主人公ダントンの力強い弁論なのだ。しかし、当時はまだ共産国だったポーランド版は、男がまるで口封じされているような強烈なイラスト……ポスターなのに。
国民へのプロパガンダか、アーティストの芸術的反抗か
第二次大戦後、ソ連を中心とする共産圏諸国に組み込まれて社会主義国となったポーランドでは、映画を含めてポスターはすべて極めて“コミュニズム”的に作られていたという。要は、社会=国民へのプロパガンダ(宣伝)だ。1910~40年代に共産主義国家ソ連で作られたプロパガンダ・ポスターはパワフルで大胆な構図・筆致・色彩で有名だが、ポーランドの映画ポスターはそれほどプロパガンダ色がなく、アーティストの作家性が前面に打ち出されている。
カタログに掲載されている解説によると――大都市ワルシャワやクラクフの美術アカデミー出身のアーティストたちが、WAG(美術グラフィック出版)およびCWF(映画配給センター)で「芸術審議会が週に一度開催され、提出された各ポスターについて議論を戦わせた。社会主義リアリズムに加わりたくない作家たちはWAGに集まり、ポスターの製作にいそしんだ」そうである。一方CWFプロパガンダ映画部門では「導入予定の映画が上映され、その後、誰が映画ポスターを制作するかを決定した」ともある。
ということは、ポーランドではCWFプロパガンダ製の「プロパガンダ」型ポスターとWAGの「反社会主義リアリズム」型ポスターがあったということだろうか……作家名で分けてくれればその違いが明確になるのかもしれないが、なにしろ馴染みのない上にやたら長い名前が連続するポーランド人アーティストたちなので、にわかには分類できない。展覧会でじっくり見極めてほしいところだ。
日本映画がここまで変身! 大胆な解釈・翻案・単純化にビックリ
そもそも映画ファンとして気になるのは、はたしてポーランドの人たちはこれらのポスターを見て映画を観に出かけたのだろうか、という点だ。
世界の映画ポスターとは一線を画した独特なデザインには「ほー」とうなずくばかり。共産国における映画館がどんな場所だったのかは想像することすら難しい。本当にこんなポスターが映画館や街角に貼られていたのだろうか(さすがに銭湯には貼ってなかったとは思うけど……あ、銭湯がないか)。
これらのポスターが、ポーランドの映画館や街角に掲示されている写真や映像を見たことがないから仕方がない。展覧会カタログにクラクフの街角にあるパリ風の「ポスター掲示用屋外スタンド」の写真が掲載されているが、残念ながら最近の写真のようだし、写っているのは映画ポスターではないようだ。
それでも「日本映画」セクションには、シンプルに構成されたグラフィックなポスターがいくつかあり、見ようによっては「映画よりも芸術的かも」と感心できるものもある。
一方、元の映画を知っていることもあって「どうなってんの?」と首をひねるしかないポスターも多い。たとえば、オモチャの新幹線(しかも車体にはMADE IN JAPANとある)が描かれているだけにしか見えない『新幹線大爆破』(1975年/ポスター:1977年)なんて、ちゃんと映画を観て描いたのだろうかと疑問が浮かぶ。もしかするとエコノミック・アニマルと呼ばれていた日本人をバカにしているようにも取れるが、その自由な発想には幼稚園で子供の絵を見てほほ笑む親のような心境にもなる。
『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年/ポスター:1978年)は、どう見ても1970年代の東京のナイトクラブの映画だと思い込んでいるとしか思えない(第二次大戦前にボルネオ島で娼婦をしていた“からゆきさん”の話)。映画を観に行った人は腰を抜かしたに違いない。
それでも『日本沈没』(1973年)や『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)など、傑作としかいいようがない作品もあるし、黒澤明作品のポスターはどれも興味深い。残念ながら、これらのポスター画像はここでは紹介できないのでぜひ会場でお楽しみいただきたい。
映画ポスター神経衰弱!? 文字を読まずに映画の題名を当ててみよう
大きな文字で書かれている「HITCHCOCKA」は「ヒッチコック」の意味なのだろうが、このビジュアルから名作『めまい』(1958年)は想像もつかない。ナチスのホロコースト物かと思ったが、どうみても「こんな映画見ちゃダメですよ」と言っているとしか思えない……。
※ソウル・バスがデザインした『めまい』アメリカ版ポスターはこちら
続いて、イタリアの名匠エットーレ・スコーラが、セルジオ・レオーネの『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)のタイトルをパロった、元祖“パラサイト”みたいなブラック・コメディ『醜い奴、汚い奴、悪い奴』(1976年:日本未公開)もすごい。人の顔が毒虫になっているような“アート”には「虫唾が走る」人もいるだろう。人を集めるためのポスターとは到底思えないんですけど。
違いは歴然! ポーランド版を世界各国のポスターと比較
興味深いのは「世界各国の映画」セクションだ。映画ファンならずとも、共産主義国でこんな映画が公開されていたのかと驚かされるタイトルが次々に現れる。――『明日に向って撃て!』(1969年)『ファントマ/電光石火』(1965年)『ナック』(1965年)『アメリカを斬る』(1969年)『コールガール』(1971年)『ウエスト・サイド物語』(1961年)『燃えよドラゴン』(1973年)『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)などなど。いくつか手元にある各国のポスターとポーランド版を比べてみよう。
ベルトルッチの『暗殺の森』(1970年)は各国でアーティスティックなポスターが作られているのだが、ヤン・ムウォドジェニェツによるポーランド版もポップアート寄りのデザインもシンプルでカッコイイ。展覧会のメインビジュアルにも選ばれているのもうなずける仕上がり。顔がシャツのカフスボタン(?)になっているアイディアには深い隠喩がありそうだ。間違えて子供も見に来てしまいそうではあるけど。
アート系の小規模作品にはあまり力を入れない傾向のあるアメリカ版は、色数を抑えた低予算ポスターとは逆にクールな仕上がり。一番上のコピーはニューヨーク・タイムズの映画評だ。モダンでおしゃれなフランス版はサントラ盤にも使用されている。イラストはよりカラフルなイタリア版も担当したローマ生まれの(ピエロ)エルマンノ・イアイア。
ロシア(ソ連)のアンドレイ・タルコフスキーが製作活動の自由を求めてイタリアへ行って撮った『ノスタルジア』(1983年)。スタシス・エイドリゲヴィチウスによるポーランド版は、まるで鼻をへし折られたピノキオのようにも見える絵で、タルコフスキーの苦悩を代弁しているかのようだ。同じアーティストとして心通じる部分があったのかもしれない。
よりドラマチックなフランス版、ソ連崩壊後にようやく公開されたロシア版は内容に即していながらタルコフスキーの芸術家としての人生の日が燃え尽きてしまったことを表しているようで感慨深い(タルコフスキーは86年に他界した)。
映画ポスターは何を語るべきか
最後に口直し(?)に、いかにも日本的な映画ポスターを紹介しておこう。かつては、こんなポスターが、街角に、映画館の前に、そして近所の銭湯の脱衣場に貼られていた。もちろんヴィンテージ物なのでホンモノなら高値で取引されるのは確実。とはいえ、おそらく日本の「美術館」には所蔵されたり展示されてはいないはず(アメリカのMOMAなら所蔵されていそうだけど)。
美男美女に風光明媚な景色、そして、謎もあるけどロマンチック。映画館へ足を運び、料金を払って観ようと思うのはこんなことを語りかけてくれるポスターだと思うけど……。
「映画の顔=パスポート」な役目から遠く離れて、より独自の芸術世界に浮遊しているかのように見えるポーランドの映画ポスターたち。自分が共産圏の国の映画ファンだったとしたらどう見るかと想像するもよし、知っている映画が社会主義国で何の役割を果たしたのかと邪推するもあり。映画とポスターが織りなす、より深い存在感と関係性について考え込んで、夜も寝られなくなるかもしれない。会場では、全展示ポスターを掲載したカタログも販売される。
文:セルジオ石隈
「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランドの映画ポスター」は京都国立近代美術館で2020年7月12日(日)まで開催中