古びた大きな邸宅にひとり、たくさんの骨董品に囲まれて暮らしているクレール。ある朝、「自分は今夜死ぬ」と確信した彼女は、長年にわたって蒐集してきたコレクションを手放すことを決め、若者たちを雇って家財を庭に運び出させる。装飾品、絵画、蔵書、机にソファなど、古くは18世紀まで遡る値打ちものがタダ同然で投げ売りされているとあって、突然のヤードセールは大賑わいに。母親と疎遠になっていた娘のマリーは、クレールの突飛な行動を心配した友人から連絡を受け、20年ぶりに帰ってくるのだが……。
ドヌーヴがマストロヤンニとの間に生んだ娘キアラと共に贈る家族の終活
10代の頃から芸能活動を開始し、その彫刻的に整った顔立ちと豊かな金髪で「フランスを代表する美人女優」と見なされてきたカトリーヌ・ドヌーヴが、この作品では年老いて認知機能が衰えてきた女性を演じている。白髪で映画に出演するのは本作が初めてなのだそうだ。
クレールの娘マリーを演じるのはドヌーヴの実の娘であるキアラ・マストロヤンニ。久しぶりに見た気がするけれど、年齢を重ねて渋みを増し、ますますスクリーン映えするかっこいい容貌になっている。父親のマルチェロ・マストロヤンニにそっくりの目元と高い鼻に、口元のほくろがチャームポイント。これは映画史を体現するような「圧が強い」顔をした母と娘による、家族と終活のドラマなのだ。
主な出演者も監督もフランス出身のフランス映画だが、原作はアメリカで2013年に出版されたリンダ・ラトレッジの小説。アンティークにまつわる思い出の数々を鍵に、クレールのこれまでの人生と家族の軋轢があきらかになっていく。大小の品々がいっぱいで掃除が大変そうな室内、ずらりと並んだティファニーっぽいランプ、実際に動いてみせる19世紀のからくり人形など、モノから伝わる情報量や圧迫感は映像ならではだ。
テーマは断捨離? ベルトゥチェリ監督によるクセの強い演出にも注目
この映画では、いまがいつどこで目の前にいる相手が誰なのか時折わからなくなってしまうクレールだけでなく、娘のマリーもかつての自分や周りの人々の幻影を見る。演劇ではよくある手法だが、「ここから回想です」とはっきり示されることなく違う時系列の出来事が示され、加えて現実に起こっていることなのか曖昧なイメージも侵入してくる語りのバランス感覚は、映画としてなかなか個性的なものになっていると思う。
ジュリー・ベルトゥチェリ監督にとって、長編映画はカンヌ映画祭で批評家週間のグランプリに輝いたデビュー作『やさしい嘘』(2003年)、シャルロット・ゲンズブール主演の『パパの木』(2010年)に続いてこれが3本目。ドキュメンタリー作品『バベルの学校』(2013年)、『Dernières nouvelles du Cosmos(原題)』(2016年/日本未公開)は、どちらもセザール賞候補になったそうだ。
日本で「断捨離」が新語・流行語大賞に選ばれたのが2010年。こんまりこと近藤麻理恵がアメリカに拠点を移したのが2014年。片付けがグローバルに人々の関心を集めているのを感じる。そして老いとのつきあいかたも、この高齢化社会において無視できない問題だ。広々とした庭のある石造りの邸宅に住むマダムなんて、いま自分の生きている現実からはあまりに遠いけれど、それでも自分に引き寄せて感じるところがあった。よくある「かわいいおばあちゃん」像に収まらない気難しい高齢女性の物語を、ドヌーヴというちょっと浮世離れした美しき大スターの存在感を活かして描いた意欲作だ。
文:野中モモ
『アンティークの祝祭』
夏のある朝、クレールの決意は突然だった――。
70年以上におよぶ長い人生。ここのところ意識や記憶がおぼろげになることが増えてきた。「今日が私の最期の日」と確信した彼女は、長年かけて集めてきたからくり人形、仕掛け時計、肖像画など数々のコレクションをガレージセールで処分することにする。見事な品々の大安売りに、庭先はすぐにお客と見物人で賑わいはじめた。
大きな家財から小さな雑貨まで家中を彩り続けたアンティークたちは、いつもクレールの人生と共にあった。それは、彼女の劇的な生きざまの断片であり、切なく悲劇的な記憶を鮮明に蘇らせるものでもあった。
一方、疎遠になっていた娘マリーは、母のこの奇妙な行動を友人のマルティーヌから聞きつけ、20年ぶりに帰ってくるが――。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2020年6月5日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開